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鈴木家の日常⑬「これ、洗うのって誰ですか?」

「普通」の基準は一人一人違うから、「普通」という言葉をあまり使わないように生きてきた。これは父の教えだ。今思えば、その教えに都合よく言いくるめられていたのかも知れないが、おかげで私は人と違うことに違和感を覚えることなく、「ちょっと違う」人や行動、出来事に対して比較的柔軟だった。そんな私に、どうしても納得できない衝撃的な事が起こった話をしようと思う。

以前も話した通り、鈴木家の人々は自分で使った食器を自分で洗うという概念がない。それどころか、シンクまで持っていこうという行為さえしないのだ。
では、一体誰が洗っていたのか。正解は「だれも洗わない」だ。どうしても必要な時は、シンクにたまった器をチャチャと水で流しているとずっと前にユミから聞いたことがあるが定かではない。
「姉さんが洗いに来てくれるのが一番いいんだけどね」
そんな言葉を幾度となくぶつけられたが、私はそれをすり抜け続けている。
数十年前までは、家政婦さんが存在していて、家の中をきれいにしていたようだが私が結婚したころには家政婦さんの存在はなく、残念ながらきれいな自宅を見たことがない。
ここまでは鈴木の実家の話しだ。

さて、そんな鈴木家で育った我が夫は、やっぱりというか、それ以上というか、ヤバい人だ。
食器を洗わないだけならまだ救えるが、使いかけを溜め込む。どこに溜め込むのかというと、自分の寝室だ。
寝酒にするのか大きな湯呑みに焼酎のお湯割を持って部屋に入る。高いびきが途切れる深夜2時頃に今度は白湯を持って部屋に入る。
翌朝マグカップにコーヒーを淹れて部屋に入る。ここまでですでに3つのカップが夫の寝室にある。その日の夜、また寝酒を持って部屋へ、深夜に白湯、朝にコーヒー。合計6個、いや違う。出社するとき、自宅のコーヒーメーカーで落としたコーヒーをマグカップに入れて持って出る。そして帰宅した夫は「湯呑みがない」と焼酎片手に文句を言うのだ。放っておけば、来客用のカップを使い出すこともしばしばあったから、来客用は使う時だけ出して、普段は箱に入れてしまうようにした。面倒くさがりな夫だから、わざわざ箱を探してまでは使わないと踏んでいた。
夫には、自分用のマグカップを6つ、湯呑みを4つ用意している。それでも足りなくなるのは、自分がだらしないからだということに気づいていない。寝室が別々の私にとって、夫の寝室に幾つのカップがあるのかなんてわからない。よほど習慣化して注意しないとそのままとなるのだ。
夫は、飲みかけだらけのカップを2往復してキッチンへ運ぶ。
夫「足りないよな」
いや、本来充分足りる数だ。私とショウはひとつずつしか持っていない。
私「あの、ひとつ使うたびにひとつ片付けたら足りるんじゃないかしら」
夫「気づいたら洗ってくれれば足りるよな」
私「そもそもいつも飲みかけだから、いるいらないは本人しかわからないでしょう?」
夫「一晩おいた酒なんかもう飲まないだろ」
吐き捨てるように夫は背を向け、もう一度振り返る。
夫「いいから早くそれ洗えよ」
自分では洗わない心底残念なやつだった。

珍しく会合が無かったからと、久しぶりに夫が家にいる。私とショウは普段2人で向き合って食事をする。しかし今日は夫がいる。どう座るか…。ショウが先にいつもの席に腰掛け、ランチョンマットを敷いた。夫が腰掛けようとすると「あ、そこ母さんの席」とショウが言った。
「どこだっていいじゃねえかよ」とぼやきながらも夫は空いてる席に大人しく座る。
晩酌を始めた夫を尻目に、私とショウは夕食を食べる。夕食後に紅茶とアイスクリームを食べながら、他愛無い会話を楽しむ。概ね2時間が過ぎ、夫は席に腰掛け、箸を持ったまま居眠りをしている。
ショウが自分と私の器を運んでくれて、私は食器を洗い始めた。
「まだ下げんなよ」
酔っぱらいの口調で夫がガナリ声を上げた。
ショウ「母さん、オヤジの食器下げられないよ」
私「わかった、いいよ。ありがとう」
ショウは自分の部屋へ戻って行った。全て洗い終えたと、私は夫に声をかけた。
私「それも洗ってしまいたいんだけど」
夫「ダメだ」
私「けど、空でしょう?」
夫「いいか、器をさっさと下げるっていうのは、早く帰れって言ってんのと同じなんだ。俺はまだ帰らん」
私「帰るも帰らないもここはあなたの家です。私は汚れた器を一晩放置したく無いんです」
夫「ちっちえこと言ってんな、洗えばいいんだろ」
私「洗っておいてくれるってことかしら」
夫「酒くらい好きに飲ませろって言ってんだよ」
食器を洗うことを諦め、自分の部屋に入った。誰もいなくなったリビングから、大音量のテレビの音が流れてくる。流石にご近所迷惑だと、私は音量を下げにリビングへ行く。夫は「つまんねえな」と言いながら、お酒の入った飲みかけの湯呑みを片手に部屋へ行く。
私はふぅーっとため息をついて、宴の残骸を片付ける。たった一人でお酒を飲んでいるだけなのに、なぜこんなに散らかるのかと疑問に思うほど、夫のあとは汚い。そのまま宵越ししたくない私は、食器を片付けだあとに床を拭く。
そうだ、結局やるのは私。

朝になり、昨日は悪かったと言う夫。謝らなくていいから、協力的な姿勢を見せてほしい。食器を洗わなくていい、ただ、洗わせてほしいだけだ。
そんな風に思った矢先、夫の口調がちょっと荒くなった。
夫「マグカップが一個もないぞ」
私「寝室は?」
夫「湯呑みしかない」
私「全部事務所に持って行ったままなんじゃない?」
夫「今朝はコーヒー飲むなってことか?酷い女だな」
全く筋の通らない話をしていることに気づかない夫に、淹れたコーヒーを水筒に移して手渡した。
私「これで飲めるでしょ?自分で持って行ったカップは自分で片付ける、当たり前のことだから」
この水筒が家に戻るのはいつになるのか。私は少しだけ楽しんでいる。


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