鈴木家の日常②「そのお湯、いつからですか?」

「普通」の基準は一人一人違うから、「普通」という言葉をあまり使わないように生きてきた。これは父の教えだ。今思えば、その教えに都合よく言いくるめられていたのかも知れないが、おかげで私は人と違うことに違和感を覚えることなく、「ちょっと違う」人や行動、出来事に対して比較的柔軟だった。そんな私に、どうしても納得できない衝撃的な事が起こった話をしようと思う。

鈴木家のお風呂は生臭い。臭気が家中に漂う。魚が水槽で死んでいるんじゃないかって、そんな臭いがする。

夫の義母は自称風呂好きで、入れば2時間出てこない。胸の下くらいの湯量に2時間浸かって過ごしている。風呂好きって清潔じゃん。って思うかもしれないがそうでもない。
追い炊き機能がついているお風呂だから、お湯はずっと抜かないのだ。
じゃあ24時間風呂ってこと?機能的じゃん。って思うかもしれないが、追い炊きはできてもそれ以外機能はないから、そのお湯は決していきれいではない。しかも、義母は身体を洗うことを嫌う。「汗をかかない体質だから肌が汚れない」という理由と、「髪を頻繁に洗うと抜ける」という理由。
そんな人いる?と思うかもしれないが、いる。ここにいるのだ。

いつのお湯かわからない、生臭くてちょっとドロッとしているお湯に2日おきに2時間浸かる。そう、毎日は浸からない。実家の風呂がそんなだから、義父や義弟妹は、生臭い風呂場でシャワーだけで済ませるか、実家の経営する会社を挟んだ場所に暮らす私の家まで入りに来る。
わざわざ入りに来るのが億劫なのか、週に1,2度しか入らないから、義父が入った後の風呂はお湯の表面一面に垢が浮いている。それを見ただけでもゾッとするのに、ちょっと奮発したそこそこの値がする私のお気に入りシャンプーやコンディショナをものすごく使う。夫の育毛シャンプーを使えばいいのに、「いい匂いだ」と私のを使う。義妹に至っては、小さな容器を持ってきて詰めて持ち帰る。
義弟は、そもそも使い方が汚い。お風呂の途中でトイレに行く習慣があるのか、びしょ濡れのまま全裸でトイレに移動する。義弟が入った後は、洗面所も廊下もトイレも水浸しだから、私はとりあえず黙って掃除をする。なんなら、お湯を張りかえる。
鈴木家の人たちとお風呂を共有するということは、まさしくストレスフル。避けたくても避けられない現実だった。

ある時、私は意を決して夫の実家の風呂場を掃除した。ゴーグルをかけ、マスクをした上からタオルを巻き、あたまにシャワーキャップを被った。コンビニで買った上下セパレートのカッパを着て、肘まで隠れるゴム手袋をした。靴下の上からビニール袋を3枚履いて、袋の口をラップで止めた。全身完全防備の体制だ。
何となくとろみを帯びて見えるお湯を抜き、抜けるまでの間に風呂場にあるあらゆるものをピカピカにした。何度も詰め替えていそうなシャンプーボトルは、ほぼ全体的に黒く汚れている。まるで模様だ。壁面に括り付けられた棚はヌメヌメ。白っぽい壁のあちこちにカビが点々と広がっている。排水溝にはドロっと溜まったヘドロがまるで生きてるように溢れ出た。
この日、私の風呂場での格闘は、3時間近くに及んだ。
「今日からここでお風呂に入れますから」
私は義父母と義弟妹にそう告げた。義母は不服そうにぶつぶつとぼやいているが、知ったこっちゃない。
「何日もかけて、やっとこ柔らかいお湯になったのに。また一からやり直しじゃないの」
私は内心ゾッとしたが、ここは怯んではいけない、毅然とせねば。
「24時間風呂に変えない限り、お湯を何日も入れっぱなしにするのはダメです。菌が繁殖していますから。それってお湯に浸かるたびに身体を汚してるんですよ」
淡々と話した。1ミリでも感情を入れてしまったら、私の口は放流中のダムの如く苦情が溢れてしまうからだ。
「今日からは、もううちのお風呂来ないでください.、ここで充分事足りますから。それと、お湯はきちんと取り換えてください。お風呂のお掃除をしてください。掃除をするのは、お義母さんじゃなくたっていいんです、お義父さんだってユキオさんだってユミさんだって。誰だっていい」
思いつく限りのことを伝え、私は自分の家へ戻った。背中越しに「余計なことをしてくれた」という義母の声を聞きながら。
私だって、本当はこんな厄介なことをしたくないし、義母以外の家族も義母の思考に賛同しているのなら手を出すのなんてごめんだと思っている。しかし、こうしなければ自分の生活が脅かされてしまうのだ。やむなく手入れをしたが、苦労しても苦情しか言われない、こんなことは2度としたくないと思っている。

夫の実家でお風呂の掃除をしてから10日ほどが経過した。夜になるとユキオとユミが尋ねてきた。
「お風呂貸して」
「なぜ?」
「汚くてさ」
何故平然とそれを言うのか。私は玄関先で断った。
「自分たちで掃除をするという選択はない?そもそも、自分たちのことでしょう?うちのお風呂だって、毎日掃除をしてるからきれいなだけ。誰かが掃除をすれば汚くはならないはずよ。それを自分たちでやるという選択はない?」
二人は顔を見合わせた。
「え、だからさ、この前みたいに姉ちゃんが掃除に来てくれればいいんじゃん?」
「私のお風呂じゃないし、私が使ってもいないのに?それって、私が家政婦か何かと勘違いしてる?嫁って家政婦じゃないよ」
渋々と帰っていくユキオが「冷たい女だよな」と呟いたのが聞こえてきたがスルーした。冷たいと思われたって構わない。ハタチをとうに過ぎた大の大人なんだ、自分のことは自分でやればいい。
結局、入れっぱなしのお湯が良いとかそういうことではなく、単純に「お風呂掃除をしたくないからお湯が入ったままなんだ」ということだけはわかった。鈴木家のお風呂は、いつになったっら綺麗になるのだろうか。

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