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私が極北を愛する理由

町を渡る風は、北極の青白い氷を抜けて来たのか、清冽で気持ち良い。白っぽい灰色の空でも、びっくりするくらい青い空でも、そのひんやりとした空気は颯爽としていて気持ちが良い。一方、寒さは怖いものだ。もちろん暑さも過ぎれば同じく怖いけど、やはり寒さの方がより死に近いイメージがある。特に冬の北極圏は死が身近にあるのがよくわかる。

最初に極北を訪ねたのは、オーロラを見るために訪れたカナダのホワイトホース。日本人にはイエローナイフの方が人気なので、あえて小さなホワイトホースを選んだ。小さな北方の町。年末の寒い時期に訪れたが、記憶にあるのは小さなアイスクリームショップ。こんなに寒いのに、アイスクリーム売ってるんだ(というか、食べる人がいるんだ)…という小さな衝撃。町全体が白と灰色で暗い印象もあったけれど、その分、室内の暖かさや明るさが心地よかった。

次は、夏のアラスカ。アラスカについてはいくら語っても語り尽くせないくらい思い入れがあるけれども、それはまた別の機会に。
アラスカを訪れたのにはいくつか理由があるけれど、そのひとつのきっかけは、冬にホワイトホースを訪れた際に、ガイドや現地の人たちに「冬にこんな寒いところにわざわざ来て、見えるかどうかわからないオーロラを見に来る物好きは日本人くらい(もちろん実際はそんなことはなくて、いろんな国からオーロラ観光に来ている人たちはたくさんいる)。どうして夏の美しくて楽しい季節に来ないの?」と言われたこと。たしかに、そうして訪れた夏のアラスカ、決して長くはない極北の美しい夏は一生心に残る思い出を残してくれるものだった。

そして北極圏最大級の都市、ノルウェーのトロムソへ。最大級といってもごく小さな北国の町である。ここでは観光案内所で北極圏到達証明書を発行してもらったが、いよいよここまで北に来たのか!という満足感と達成感があった。白夜が終わりかける夏の後半。キンキンに冷えて硬質な青く高い空と、吹き抜ける風の心地良さはいくら言葉を継いでも伝えきれない。標高421mのストールシュタイネン山にロープウェイで上り、トロムソの町を一望する。きっと冬は一面白い雪で覆われるのだろう。そう考えると、夏の青さが一層際立って感じられる。この町には世界最北のビール醸造所がある。このマックビールをシロクマの剥製を見ながら飲んだ。静かで穏やかな満足感。

私がやたらと寒い国に行くものだから、周りからは随分と不思議に思われているのだが、こればかりは実際に体験してもらわないと、わからないだろう。日本の寒い地方に行く、ということとはまた違う、世界の極北の何もない荒涼とした風景や、想像を絶する広く果てしない心細さは、一度体験するとクセになる。それは決して、常夏の島ハワイや、美しい緑の丘陵地帯が続くトスカーナなどのわかりやすい癒しではなく(無論、それが悪いということではない)、何かもっと人の心の奥底に触れる、もっというなら、己の人生観に向き合わざるを得ない、厳しい癒しがあるような気がする。良薬が口に苦いように。彼の国では、厳しい自然と対峙して、淡々と生きる人々がいる。人口密度が低く、孤独で自律しており、だからこそ、人と助け合う、優しい人々だ。そもそもなんで人はこんな寒いところにまでやって来たのだろうか。他にももっと暖かくて住みやすい土地はあったのではないか。それでも彼等はここを住処とし、連綿と暮らし、命をつないできた。そうした人々の決然とした態度と深い皺に刻まれた温かさは、寒々しい風景の中でひと際、印象深い。

<了>

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