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高齢出産とフリーランス

 会社の部門閉鎖をきっかけにフリーランスになりました。

 ワタシに残されていた選択肢は、別会社に移って派遣社員を続けるか、本社あるいは市役所でフルタイムパートになるか、あるいは一念発起して正社員転職を模索するか。
 さて、どうしようかな~と考えたときに「フリーランス」を選んだ理由は、高齢出産で授かったムスメの存在が大きかったかも?というお話です。

★高校無償化の話題でピンチに気付く


 40歳でムスメを授かった後、テレビでニュースを見ながら夫くんと「高校無償化」の話題になりました。都道府県によって限度額や算定方法が違うとのことで、共働きの我が家はどうだろうね、と雑談していたのですが、
 「ま、ムスコはともかく、ムスメのときは大丈夫だな。オレ、定年退職してるから」と、あっけらかんとした発言が飛び出しました。

 夫くんはワタシよりそこそこ年上で、ムスメが誕生したのはアラフォーどころかアラフィフでの出来事。確かに、ムスメが高校に入学する頃には還暦を越えています。
 「ホントだ。ムスメのときは所得制限、関係ないわ」とハハハ~と応えたのですが。

 ハハハ~、じゃないぞ。

 さすがに再雇用制度で働き続けてくれるとは思いますが、夫くんが今の給与形態でいてくれるのは、あと10年ちょっと、という現実に気付きました。
 第二子を考えるにあたり、大学進学のための貯蓄はキープする算段をしていたのですが、中学・高校時代の家計については深く考えていなかったんですね。

 これは・・・。夫くんより年下のワタシが働き続けなきゃいけないヤツ。
 稼ぐ額や雇用形態はともかく、ムスメが成人するまで「働き続けること」は必須だ、と覚悟を決めたのでした。

★ムスメの誕生で自由な気分を手に入れた


 さて、前述の「稼ぎ続けなきゃ」という話とちょっと矛盾するのですが、ムスメが誕生したことで、ワタシは「これからは自由に生きよう」というマインドになっていました。

 結婚後すぐに誕生してくれたムスコとはやや事情が異なり、ムスメは3年に渡る不妊治療、不育症治療を経て授かった子です。
 「ふみゃー!」という元気な産声を聞いて、どっしりと丈夫そうなムスメさんと対面できたことは、人生史上で最高にホッとした瞬間でした。

 で、そのときに。こんな天の声が聞こえてきたような気がしたのです。
 「これで、ワタシが人生ですべきことは達成! あとはお好きにどうぞ!!」

 子どもを産めと周囲から強要されたことはありませんし、私自身も人生にとって子どもがマストだとは思っていません。そもそも、出産するしないは自分の意思でコントロールできるものではない、と痛いほど思い知っていました。

 でも、3年間の不妊治療のプレッシャーから解放されたからなのか、無意識のうちに生物的役割が刷り込まれているのか、出産ハイなのか、よくわかりませんが、「よーし、自由に生きるか!」と謎のポジティブマインドが湧き上がってきたのでした。
 生まれたということは、今後20年の子育ての義務が発生しましたよ、ということなのですが・・・なんとも説明できません。

★そんなこんなでフリーランス


 「ムスメのために稼がなきゃ」、「ムスメが無事に生まれたので、残りの人生を楽しもう」という、相反する心理がクロスした40代半ば。ワタシが出した結論は「フリーランスとして跳んでみる」という選択でした。

 ま、やってみてダメなら日銭を稼ぐ方法はなんでもあるだろう、と楽観的なんだか悲観的なんだか分からない見込みもありました。人手不足の時代に入っていることは確実なので、贅沢を言わなければ、そして健康さえあればどうにかなるだろう、と。

 で、今に至ります。

 好きな仕事ができてラッキー。ムスコ・ムスメのために自分の手で稼ぎ出せてハッピー。
 フリーランス生活を、もうしばらく続けていきます。

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