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手放したもの

何かを“手放す”には、話すのがイチバンだと感じる。
特に、誰かと話すのが、とっても喜ばしいこと。

想い出したくなくても、思い出してしまうものたち。

時に、私を苦しめるものたち。
時に、私を恥ずかしさで満たすものたち。

ただ、あの頃の感情まで想い出す事は、
とても難しいのだ。

それらは、予想や仮説の類であり、事実とは異なる。

あの時、
悲しかったのか、嬉しかったのか、怒っていたのか…
複雑な心境だったのかは、忘れている事の方がずっと多い。

今の感情が、記憶の捉え方を変えてしまう。

これは、物凄く恐ろしいことだと、
私は私に、警鐘を鳴らす。

「違うよ、今の感情に引っ張られているだけなんだ。」
「本当に悲しい出来事だったの?」
「どこに恥ずかしさを感じるの?」

自分に問いかける事で、自分を知ることができる。

私は、「感情の分類表」を眺めながら、考える。
ハーバード大学の意思決定センターによる、「感情の分類」である。

[ネガティブ]
怒りはほとんど感じない。イライラは微小。
悲しみと恥が大半だ。
罪はよくわからない。
不安/恐怖は、ネガティブな時に強く感じる。

これを書いていた時の分類はこれだった。

[ポジティブ]
驚きがいちばん大きい。次に希望。
幸せや安心は、多め。
誇りは、ほとんどない。
感謝もあまり強いとは言えない。

自分の感情の偏りを知ることによって、
自分を深く見つめなおす事ができる。
感情の強弱や順番は、その時々で変わるだろう。

最近、いろんなものを手放すことができた。
胸の中に詰めて詰めて苦しくなっていたもの
喉まで顔を出していたのに押し戻されたもの
そういう嫌なものたちを手放すことができた。

だから、新しい自分と会って、対話している気がする。

もちろん恥ずかしい、
けれど、
私は、
伝えずに、
ここに、いられないのだ。

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