現代ラーメンは永福町大勝軒から始まった!
追悼・草村賢治さん
昭和30年(1955年)に創業した永福町大勝軒。その創始者である草村賢治さんが、2018年8月に亡くなられました。この逝去は、僕にとってはすごく大きな出来事で……前から永福町大勝軒はよく食べていましたが、一報を聞いてから、時間を見つけては永福町大勝軒の味を出すお店を食べ歩くようになりました。
三鷹大勝軒、保谷大勝軒、東川口の大勝軒、新小岩の中華そば 一颯、柏の大勝……まだまだ系列のお店はあります。弟子、孫弟子を含めて、長い視点で巡っていこうかと思っています。
なぜ僕が永福町大勝軒にここまで惹かれるのか。それは、草村さんがラーメン界に残した功績、足跡は無視できないものがあると思うからです。
「素材の鬼」「食材の鬼」と聞いたら、多くの人は故佐野実さんを思い浮かべるかもしれません。しかし、佐野さんに先立って、食材を探して全国を巡っていたのが草村さんです。煮干し、一斗缶の醤油を数十ケースも倉庫に積み上げている。そんな写真が、草村さんの著書にはあります。
産地に足を運び、産直で買いつけた煮干しを、ベストな配合を見極めてスープに使う。醤油もヒゲタとキッコーマンなどの銘柄をブレンドして使う。さらに、タレも常時作りためておき、長期貯蔵、中期貯蔵、新しいものをミックスして使う。
今のラーメン屋さんでは当たり前のことですが、それを昭和の時代に独自の工夫でやっていた。匠ゆうじさん、佐野実さんの前に、草村さんがいたんです。彼こそ、元祖「素材の鬼」です。
決して安くはない価格帯ですが、今も行列が絶えず、支持され続けているのは、草村さんが突き詰めた姿勢が今も店に残り、お客さまに伝わっているからだと思います。
サービスもプロとして見習うべきものがあります。笑顔で、とか元気に、とかいう今どきの接客とは一線を画します。音やお客さまの動きを察知してお冷やを注ぐ。気遣いも含めた徹底的なプロフェッショナルなサービスです。
お土産ラーメンも草村さんが始めた試みですし、独立システムとしての徒弟制度も彼が確立したもの。昭和時代でも月給50万円という厚遇で、独立資金もサポートする。この仕組をきちんと確立したから、弟子や孫弟子も素晴らしい店をダシている。そんな熱、遺伝子を求めて、僕は系列を食べ歩いているんです。
こうして挙げてみると、草村さんが亡くなったということは、ラーメン業界にとってすごく大きなことだということが、あらためてわかります。
草村さんら、先人が努力し、作ってくれた道を、今のラーメン職人である僕たちは進んでいます。これは本当に感謝しなければいけない。
教わったり参考にしたりしたのに、「この味は自分が考えました」「この味の総本家」と、あたかも自分が創ったかのように詐称する。何と格好悪く、恥ずかしいことでしょうか。
毎年、ラーメン界やフードシーンを総括するガイドブックが出ますが、2018年において、僕の中のラーメン大賞は草村賢治さんであり、永福町大勝軒です。今のラーメンに多大な影響を与えたという意味で、見逃してはいけない偉人、お店だと思っています。
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