見出し画像

つかファンのバイブル ⑪「ティファニーでつかまえて」

秋野ひとみ「つかまえてシリーズ」全95タイトルを全巻レビュー。
無作為に選び一冊ずつ、順不同にいきます。

11作目「ティファニーでつかまえて」1990年

シリーズ初期を代表する作品。
上下巻になっており、由香と左記子の初めての二人での海外旅行の様子がにぎやかに描かれる。どんどん事件が展開し、重要な人物もたくさん登場し、いきいきと楽しい場面が多い。
初期の代表作としては「ペーパームーン」も挙げられるだろうけど、私は断然、こっちの方が好み。どちらにも共通するのは「山野蓉子」さんが話のキーパーソンのような働きをすること。

これはその昔、恋する少女だった頃の私のバイブルだった。
桜崎圭二郎さんへのかなわない片思いの気持ちを抱え、その思いと一緒に生きている蓉子さん。それは外国へ行っても何があっても変わることなく彼女の中にある。
誰にも言えない、本人にこれ以上告げる気もない。
圭二郎さんは彼女の思いを知っていて、その上で今のところそれを受け入れることはないのだから。

山野蓉子という人がこのシリーズで初期に一身に担っているのは「かなわない恋をしている美しい人」という役割。
あれくらいきれいなら、蓉子さんくらいきれいなら、他にいくらでもいい人見つかるわよ、と他の作品ではたまらず左記子が泣く場面があり、それは読者も同感。

だからこそ、これを読んでいた恋する少女であった私はこの人に自分の失恋を重ねた。
相手が自分を好きでないなら、自分の気持ちに意味などない、だから忘れなくては。少女はそんなふうにもがいて苦しむけど、そんなとき好きで読んでいる本のシリーズに出てくる美しい女の人がこういう。

「けっこう楽しんでもいるのよ。そういう実らない気持ちをね。あの人はあたしのほうをふり向こうとしないだろうし。遠い海の向こうの国で暮らしているし。顔を見ることもできないし。あたしはあの人の写真一枚持っていない。でも。それでもまだ、ずっといっしょにいたい。ずっとずっといっしょにいたいと思うの。いくらそう思っても、実らないことだけど、そう思うの。悲しいことは悲しいのよ。でも悲しいけれど、ずっといっしょにいたいと思う人がいるだけで…元気がでてきちゃったりするのね。もしも、それだけ好きになれる人がいなかったらと思うと、ぞっとするわね。どこかで、あたしから遠く離れたどこかで、とにかくあたしの好きな人が元気に生きていて、あたしのことなんて忘れててもいい、元気に生きていて、あたしがその人のことを思っていられれば…それでいい」

このセリフには励まされた。
そうなんだ、叶わなくてもいいんだ、大切なのはそこじゃないんだ、と。
自分の報われない恋をまずは自分自身が肯定する、ということが大事な心のプロセスなのだと知ることは、とても大きな力になってくれた。

恋の相手が変わっても、失恋のたびにこの本の蓉子の独白ページを繰り返し読んだ。
時には泣いた。時には大泣きした。そしてその度に力づけられた。

私がつかまえてシリーズを好きなのは、思春期にこうして自分自身と同時進行で恋の辛さ、楽しさ、を知ることができたから。
由香や左記子、蓉子はいつもとても正直で、素敵だから。
だから私も、全然ダメでも頑張ろう。片思いでもかっこいい大人の女の人になろう、蓉子さんみたいな。好きな人にまっすぐぶつかっていける正直な人になろう、左記子のように。
時には自分を思ってくれる相手に応えることができなくてその人を傷つけることになろうとも、自分の好きな人は自分を好きになってくれることはないあの人だと認めよう。そんな強さを教えてくれた。

この作品が多くの少女の心をつかんだのは、こういうところだったと思う。謎解きが面白いだけじゃない。

うまくいくだけが恋じゃない。
それを心の底から理解することは、人や人間を豊かにすることだから。
好きな人を好きだといえる強さを身につけたことが現在でも自分を励ます力になっているし、それは長い時間をかけてこのシリーズから学んだことだと思っている。



いいなと思ったら応援しよう!