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「自己紹介」 の思い出は苦い

私の旧姓は読み方の珍しいもので、初めてその字面を見た人が一発で正しく読めることはほとんどない。新学期になると、新しい担任が名簿で名前を読み上げながら私のところで必ず、つまる。

「えーと、これは、〇〇、さん?(違う)〇〇さん?(違う)」

もちろん知っているクラスメイトたちはまたかという顔をしている。教師は私に言う。なんて読むの?そして自分で教える。〇〇です。ああ、そうなの?難しいですね先生わからなかった~とおどける。数人は笑う。小学校から高校三年生まで、新しい教師と知り合うたびに同じ思いをし続けて来た。兄も妹もそうらしく、あれは面倒くさいよねー、本当に嫌だよね。と話し合っていると父が入ってきて、お父さんもずっとそうだったぞ、なんて参加してくる。じゃあ私たちがたいへんなのはお父さんのせいじゃん、と妹が言うのがなんだかおかしかった。

「珍名は困るね」と家族で嘆きあったあの頃が今はとても懐かしい。だけど今でも思うのは、もし私が教師なら、生徒の名前の読み方は事前に調べておきたい。そういう準備もしないって怠慢じゃないのか。ということ。

「この先生もきっと自分の名前を正しく読んでくれることはなく、また今回もつまずいて、自分で言わされるという恥ずかしい目にあうのだろう」って予想しながらドキドキしている生徒の気持ちってなかなかしんどい。それから、たまに兄や妹のことを先に知っていて、「これは先生ね、読めるんですよ!」となぜかドヤ顔で大きな声で言う教師もいた。余計恥ずかしいし、普通にしてほしいと思っていた。

現代なら、下の名前でもそういうことがあるのだろうか。珍名だから読めない、っていうのは簡単だけどそれならなおさら、事前に調べておくことはできると思う。他人を傷つけないための工夫って、そういう小さいことからでいいのではないだろうか。



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