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”追憶の小瓶”をやさしく並べておける場所

A6サイズの青い表紙のノートを用意し、「on that day」と表紙に油性マジックで書いた。持ち歩けるように小さいサイズがいいな、と思った。
特別な思い出になったあの日、忘れられないあの一日。
二度と会えない人との今でも心に残る出来事。
好きだった場所でのあの日。自分が心の中で大切にしてきた思い出の数々。

過去の記憶を書きだす作業に夢中になった一時期がある。

今日、ここ現在が自分の人生の全てだと考えるのは苦しいことだった時期のこと。
今日のこの景色だけが人生の全てで結果なら、もうこんなのいや。
そう思えて仕方がない環境にいて、日々には何の希望もなかった。
心の中をいくら探しても、どこにも喜びがなく、暗くふさぎ込んだままの気持ちを抱えていた。
してはいけない失敗をしてしまったのだ、自分の選択は間違っていた。
もう取り返しがつかないのだと思い詰めていた一時期がある。
一時期といっても、それは六年半に及ぶ。

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結婚のため隣県で暮らすようになってから、環境の変化に心が対応できなくて、激しいホームシックに襲われた。
絶え間なく襲ってくるさびしさに、移住後ほんの数日で飲み込まれてしまった。常に故郷に帰りたくて喉の奥がひりひりした。

落ち込んだ時に行くいつもの海辺の公園がないこと。
いれば気持ちが安らぐ、慣れ親しんだあの店がないこと。
ストレスのたまった状態の自分をどうにかしてあげられるアイテムがないというのは、本当に心細いことだった。

わたしは、自分が自分の地元をこれほど好きだったことを知らなかった。
簡単に出ていけるし、そのあとも簡単に新しい生活を作り上げていける自信があった。
ホームシックには時差があった。
こんな状態になることがあらかじめわかっていたら来なかったと数えきれないくらい繰り返し同じことを考えた。
私は、後悔しているのだ、あの時の自分の選択を。
と結論づけてしまうことは怖いことだった。
それでも、夫となったSのことがとても好きだからここに踏みとどまりたい気持ちも少しはある。ホームシックと夫への愛情が両立せず、苦しさは増した。同じことを繰り返しループして考えながら、三年ほど過ごした。

ホームシックの底の底で私は、過去のことばかり懐かしく思い出すようになった。そうしながら一方で、後ろを振り向いてばかりの自分を責めもした。
そんな日々の中、絶望したまま生きるよりはまし、と考えて始めたのが思い出を記録するという作業だった。
夢中になりながら、少しずつ自分の心に力が戻ってくるのを感じることができ、どうやっても生きていかなければならないのなら、私はこの先、こうやって追憶の力で生きていこうと思った。

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大切な思い出を掘り起こし、覚えていることを文字で記録していくのは私にとって、ひとつずつ丁寧にボトリングし、ラベルを貼る作業に似ていた。
ある人とのあの日を思い出しながら記録しそれをボトルに入れ、
「卒業式の夜」「高校の修学旅行」などの名をつけラベルを貼る。

ノートのページが埋まっていくにつれ、
「過去を全体的にとりとめなく振り返って落ち込む時間」が減っていった。
とある一日にフォーカスして追憶することで起こった作用だろうか。
丁寧に追憶した思い出をボトルに入れラベルを貼る。
いつでも取り出せる状態にして並べて置くことで、いつでも好きな時にこの日の思い出に力をもらえる、と心が整理できたのか、少しずつ楽になっていった。同時に、現在の生活もだんだん、楽しくなっていったのには驚いた。

このnoteを始めたのは移住の初期だが、当初は現実が苦しいだけで何も書けなかった。愚痴と泣き言、誰かの悪口しか書けなかった。タイトルも筆名も何度か変えたが突破口にならず、この場をどう使ったらいいのかわからず、アカウントを放置したままにしていた。

時が経ち、過去の思い出を小瓶に詰め終わった私は思いついた。
この追憶の小瓶を、このnoteという場所に並べて置いてみよう。
小説のようにして。時には日記のようにして。
現在がつまらないとしか書けなかった数年前の私は気づかなかったけど、
ここは必ずしも日記を書かなくてはならない場所ではないのだから。

だから今は、ここでの生活も、故郷での思い出も、とても大切なものだ。
だって、noteに記事を書くことは、今の自分の生活の中にあることだから。






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