ダンサーから路線変更して弁護士になった私の自己紹介
来週くらいから新しい挑戦を始めようと思っているなかでnoteを利用することになったので、せっかくなので自分ごとも書こうとPCに向かっています。
もともと↓のブログも書いていますが、棲み分けはこれから考えるとして、まずは自己紹介を。
バレエに捧げた青春
今は弁護士という職業に就いていますが、高校を卒業をするまでの夢はバレエダンサー一筋で走り抜けました。
幼稚園のときにバレエの名作「白鳥の湖」のレーザーディスク(古い!)を見て魅了され、まだバレエを始める前の5歳のときから「バレリーナになる!」と決めて踊り狂う人生が始まりました。
バレエのバの字もわからず、「白鳥の湖」の物語もろくにわからない幼稚園生がなぜバレエに魅せられたのか今では覚えていませんが、とにかく毎日レーザーディスクを観続けました。
念願叶って6歳からバレエを習い始めると、レーザーディスクで観たあの動きを習える、自分でも一応できるようになる。
これが小学生には楽しくて仕方がなくて、レーザーディスクを見ながらひたすら踊った少女時代でした。
すっかり頭に全幕焼き付いた「白鳥の湖」は、今ではYouTubeで観られます。その後数多ある白鳥の公演を観てもなお特別と感じる、大切な作品です。
中学生になるといよいよ本格化し、学校に行く前に稽古場の鍵を開けレッスンをしてから学校へ。学校生活は適当に送り、終わったら稽古場に直行。そんな毎日をひたすら続けました。
ダンサーならみんなが知っている「1日休むと自分にわかる。2日休むと仲間にわかる。3日休むと観客にわかる。」との言葉のとおり、とにかく休むことへの恐怖心に追われ続けた毎日でした。
ただ、大学進学を考える時期になってふと立ち止まって「バレエで生きていけるのか」を冷静に考えるころには、日本では、トップのダンサーしか踊ることのみで生計を立てられないことがわかってきていました。そして自分の才能に限界があることも。
高校卒業以降も続けるならとにかくバレエを踊るだけの生活を目指していたし、生計の足しにバイトなどしながら極められる世界とも到底思えなかったので、大学進学と同時に、ダンサーの道はすっぱり諦めました。
そうだ、弁護士資格を取ろう!
そんなこんなで、バレエが自分の将来像から消え、生きる糧を失っていたときに目に入ったのが法科大学院制度でした。
それまで、司法試験といえば、合格率数%で受験を10回続けている方もザラにいるという世界だったのが、法科大学院に行けば新司法試験の合格率50%!という触れ込み。
ダンサーになる夢は諦めたけど、いつかダンサーの環境を変えるお手伝いをしたいとぼんやり考えていたことや、女性のキャリアとして手に職をつけておきたいとの思いもあって、気づいたら法科大学院進学に向けた勉強を始めていました(思い立ったら後先考えずすぐ夢中になるタイプ)。
ビジネス現場に近い弁護士として
法科大学院はほとんどがつらい時間でしたが、良い仲間に恵まれどうにか一発で新司法試験をパスすることができ(あんな試験二度と受けたくなかったのでここだけは踏ん張りました)、法律事務所と企業の法務部でキャリアを積みました。
とにかくビジネス現場のそばでサポートしたかった私には、企業の法務部が一番肌に合っていたように思います。
新規事業開発部署の担当を長く務めていたので、ビジネスを一から立ち上げるときにリスクレベルを評価し、リスクがある中でもビジネスを前に動かす提案をする関わり方を得意としています。
私にしかできない何か
今はアメリカ・ロサンゼルスに期間限定で住んでいますが、私にとってはロスに引っ越したことが大きな転機になりました。
充実しながらも目の前の業務をこなすだけで手一杯だった毎日を離れ、日本の外から日本を見つめ、今までの経験を棚卸ししながら新しいことにも挑戦し、自分のこれからをじっくり考える時間。
そんな時間を通じて、日本に帰ってからは自分にしかできないことで社会の役に立ちたいと思い、今は日々動き、イメージを固めて壊してを繰り返しながら、一歩ずつ前に進んでいます。またその話は追々‥。
ともあれ、社会人になってからの留学、おすすめです。ということで、インタビューしてもらいましたので、ぜひこちらもご覧ください↓