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旭丘の彼女がやっていた「スピードぐるぐる勉強法」とは?
愛知・旭丘高等学校の女の子、
私の高校時代の話です。
愛知県の旭丘(あさひがおか)高校に通っている知り合いの女の子がいました。
愛知の旭丘高校と言ったら、愛知県の人なら分かっていると思いますが、愛知県では、トップ中のトップです。
いや、直接知り合いではありません。だって、私は、偏差値30以下の高校にかよっていたので、
そんな秀才と出逢えるはずもありません(笑)
ただ、奇跡的に、その旭丘の彼女とは、3年生のとき友人を通してある図書館(の自習室)で知り合いました。
今日は、その旭丘の彼女がやっていた「スピードぐるぐる勉強法」について書いてみたいと思います。
彼女は優秀な旭丘生の中でも極めて学力が高く、毎回の模試で志望校欄に「東大文Ⅰ」と書き、
そして毎回のように「A判定」を獲得していました(A判定以外取ったことがないと言っていたような・・・)。
私は、(いまと違って)その当時は人間の「地頭」(=先天的能力)の存在を完全に信じていたので、
彼女みたいな人間は私とは別次元の存在、別の惑星に住む宇宙人だくらいに考えていました。
当然、人の学力には「先天的」なレベルでの違いがあると信じていたので、彼女が如何に優秀であろうと
彼女の真似をしようだとか、何か一つでも盗めるものはないかとか、そんなことは全く考えませんでした。
そんなある日のことです。
彼女が「今日から世界史の勉強を始める」と言っていたので、(野次馬的な興味はあったもので)
それじゃ彼女の勉強の仕方でも覗いてみようかと思い立ち、しばらく(数分程度だったと思います)
彼女の斜め後ろ辺りから、彼女の勉強の「動作」を観察したことがありました。
その「動作」は、当時の私にとっては、たいへんに驚くべきものでした。
彼女は、世界史の教科書を、「読む」というよりは、ほとんど「眺めていく」ような感じで、
ちゃんと理解しながら読んでいるとは到底思えないようなスピードで、ページをめくっていきました。
いわゆる「速読」というものよりはずっと遅いですが、まるでマンガでも読んでいるかのようです。
「テキトー」に、力を抜いて、とにかくどんどんと先へ進んでいくのです。
時折、気がついたように(1ページに2~3箇所くらい)シャーペンで「ピッ」と記を付けていきます。
なんというか、しっかりとアンダーラインを引いていくというのではなく、ちょっと斜めった感じの線を
チェックを入れるようにして、「ピッ」と一瞬で引いてしまう感じです。
そんな「動作」を、ほんの数分、呆然と眺めていました。
彼女が教科書を閉じて休憩に入ったので、すかさず私は聞いてみました。
「○○ちゃん、そんなやり方で覚えられるの?」
彼女は笑いながら答えました。
「覚えられるわけないよー。だからこれから何度も読むんだよー」
「何度もって、何回くらい?」
「う~ん。100回とか? 200回とか・・・?」
・・・なんじゃそりゃ(?)。
そう思いました。
私だったらそんなやり方はできないし、そもそもそんなやり方で覚えられるわけがない。
ちゃんと勉強をするというのは、もっとこう、マークをしたり、書き込みをしたり、ノートを作ったりetc…
そういう風に「ちゃんと勉強すること」を言うんだ。
あんな風に、ただテキトーに読んでいくだけの勉強なんて、そんなの「勉強」じゃない。
私は思いました。
そうか、やっぱりこの子は特殊なんだ。天才なんだ。天才だからこんなやり方をするんだ。
「オールA判定で東大に行く人って、こういう人なんだ」
・・・何ひとつ、参考にできる部分があるとは思いませんでした。
やっぱり違う人は最初っから違うんだなぁ~、としか思えませんでした。
ちなみに、彼女は結局、その日の(図書館にいた)数時間で、世界の全歴史を(ひとまず)最後まで読み終えていました。
・・・時は過ぎ、3年生の12月を迎えていました。
私は、文系クラスであったにもかかわらず、
② 国語が「超」得意科目になってしまっていたこと
②中学1年くらいから、(担当教師のせいで)どんどん数学が嫌いになっていったこと
以上の2点から、大学受験をするなら、5教科の国立はあきらめるしかなく、
私立文系一本の進路を決めていました。
受験科目は(私大受験でいうと)「英・国・社」です。選択科目は日本史です。
でも、しょせん偏差値30以下の学校です。
周りにはヤンキーしかいない。
おい、ちひろ―!何勉強なんかしてんだよ?あそぼーよ!
そんなやつばかり(笑)。
考えてみたら、そもそも、勉強という勉強を人生でほとんどしたことがなかった私です。
(恐ろしいことに、つい最近までそういう人生を反省もせずに歩み続けてきてしまいました・・・)
それでなくても「やらない」のに、更に輪をかけて「大嫌い」まで付いてくる数学(文系数学)の成績が上がるはずはなく、国立はあきらめざるを得ず、
いやいや、国立、私立って言っている場合じゃなく、12月を迎えても全体の偏差値は28のまま「安定」していました(ちなみに英語や他の教科も20~30台)。
「やばい・・・このままでは大学に行けない・・・」
焦りだけは最高潮に達していた私は(※勉強しない人ほど焦る←受験あるある)、12月の半ばになって、
つまりセンター試験(現在「共通テスト」)まであと1ヶ月という時期になって、突如、選択科目だけでも完璧にやろう!と、日本史を集中してやることにしたのです。
(英語や国語は小学・中学からのコツコツ積み上げだと思ったので、逆転できるなら日本史しかないと思った。)
日本史はそれまで勉強したことがありませんでした。もちろん、教材も持っていませんでした(バカ校なので、受験用の教材を手にしたことがなかった。超有名な、山川出版の教科書は、高校指定ではなかったので、持っていなかった。)。
そこで、当時受験生の間で定評があった山川出版の日本史の教科書を急いで買ってきて、
とにかくそれだけに絞って勉強していくことにしました。
やり方は単純で、まずひと回し目に、人名に赤マーク、その他の主要な事柄には黄マークをして、
あとはひたすら延々と繰り返し教科書を読んでいくだけ、という単細胞な方法です。
もう、それしかする時間がなかったのです。
当時の私は勉強法の大家、「和田秀樹」先生すらも知りませんでしたし、
そもそも、勉強法っていうモノが存在することすら知らず、
「勉強には方法がある」ということ自体を知りませんでした。
ですから、もうただただ「焦る」ことしかできなかったのです。
ただ、心の中では、「どうせ1ヶ月じゃ無理だよね・・」と諦めの境地になっていたのは事実です。
ところが、(これは自分でも非常に驚いたのですが)1ヶ月が経ち、センターまであと数日となった頃、
どうやら自分が教科書の内容を全部覚えているという事実に不意に気づきました。
1ヶ月では絶対に無理だと思っていたのに、よく分からないけど「間に合ってしまった」ようでした。
センターの得点はたしか89点だったように記憶しています。私には大満足な結果でした。
ちなみに、上で挙げた「勉強法」では、最初のマーク期間に1週間を費やして、
その後の「繰り返し」はもの凄いスピードでやりました。
1ヶ月で合計数十回は読んだと思います。
とにかく焦っていたので、ゆっくりじっくりやっている暇自体がなかった、というのが正直なところです。
狙って(つまり「勉強方法」として意図して)あえてそういう方法を採ったわけではありません。
もし、の日本史を始めたのが春や夏だったら、きっともっと「じっくりやってしまった」だろうと思います。
教科書をハイスピードで早く回したのは、単にそうせざるを得なかった、というだけなのです。
日本史の偏差値が最終的にどこまで行ったのかは(模試を受けていないので)分かりませんが、
ともかく、この「日本史の1ヶ月」があったことで、私はなんとか、自信をつけることができました。やればできるじゃん!って。
私が大学受験でともかくも意識的に「勉強」なるものをしたのは、この1ヶ月が全てでした。
ふざけた受験生でした。
でね。
私が(何の意図もなく)やった「日本史の1ヶ月」が、
旭丘の彼女の(自覚的な)方法論に極めて似ている(その劣化版である)ということに気づいたのは、
合格して、他の合格者と勉強法について語り合ってた時です。
勉強法について、マニアと化していた私にとって、
あらゆる方法論という方法論を深めていく中で、
上記のような勉強法が、正当な「方法」の一つであったということに気がつきました。
それは遡ってみれば、旭丘の彼女がやっていた方法そのものでしたし、
私も(一部)実行していたものに違いありませんでした。
では、ここで、この「スピードぐるぐる勉強法」の特徴を適当に列挙します。
① とにかく早く回す。
② 「質」のことは考えない(「質」は後回しにする)。
③ 適度に力を抜く(意識的にちゃんとやらない)。
④ 早く回せば、1回にかかる時間が短いので、何回も(何百回も)回せる。
⑤ 早く回せば、人が1回やっている間に、10回以上回せる。その差は加速度的に広がっていく。
⑥ 何回も回すと、何回も同じものを見ることになるので、更に加速度的に早く回せるようになる。
⑦ 何百回も回せば、その内容は完全に自分のものになる(対象を潰し切ることができる)。
⑧ 最後には、じっくりやっている人との間に、隔絶した差が生まれる。
(以下、心構え)
⑨ 人間には本来こういう能力が備わっているのだと(常識をいったん捨てて)信じる。
⑩ 自分も人間である以上、自分にもそれができると信じる。② 「質」のことは考えない(「質」は後回しにする)。
まず⑥から解説すると、結構この部分に考えが及んでいない受験生が多いところだと思うのですが、
最難関大学受験のような、「自分がその科目について先生のように説明できる」くらいに習熟することが求められる試験においては、
じっくりやろうが、早くやろうが、最終的には数百回・数千回と「繰り返す」必要があるのです。
私が主張する勉強法とは真逆の、例えば「努力型」の受験生であっても、間違いなくそこまでやって合格しています。
じっくりやったら、最終的に回す回数が劇的に減らせるかというと、そんなことはないと私は思います。
⑦は、私が常に口酸っぱく主張している
「手を広げないこと」「対象を潰し切ること」と表裏の関係にあります。
手を広げなければ、(たとえ最初はじっくり回してしまっても)次第に内容に習熟してきて回すスピードが上がってきます。
そうなると、回す回数も加速度的に増えていきます。
回す回数が桁違いに増えてくると、
内容を完璧に「潰す」(自分のものにする)ことができるようになるのです。
教材の浮気を繰り返している人は、永遠にこのサイクルに入れません。
方法論には疎(うと)く、ただ真面目だけが取り柄みたいな女子が東大とか早稲田とかに、結構順当に受かりますが、
その理由は、
(真面目ゆえに)手を広げないという行動がとれるため、結果としてこのサイクルに(自然に)入っていくことができるからだと思います。
②についても少し触れておくと、人は(ちょっと油断すると)すぐに「意味」を求める生き物だということです。
何か読んでいても、それを適当に「流す」のは案外難しいものです。
質=意味のことは気にしない、と自分に言い聞かせても、
すぐに「意味」を把握できる水準まで読むスピードを落としてしまうのです。
最後に。一番難しいのは、③と⑩です(②を加えてもいいです)。
この③⑩の難しさゆえに、私自身は、この勉強法は万人におすすめできるものではないと思っています。
あくまでも私が奨励している最重要の方法は
「手を広げないこと」です。
これができていれば、
上述のように、最終的には(十分な努力をすれば)誰でも「潰す」ラインまで到達することが必ずできます。
ですから、今回紹介した方法が自分に合わないからといって、どうかそこはあまり気にしないでください。
実際、この方法は(受験生オタクの注目を集めるほどには)実現可能性の高い方法ではありません。
(私が今まで「手を広げない」と「潰す」のほうばかりを強調してきたのは、そういう意味もあります)
「速く回す」という方法は、いかなる意味でも受験の「本質」ではありません。手段です。
本質はむしろ「手を広げない」ことのほうにあります。
この堅実さのほうをこそ、私は強調したいです。
手を広げさえしなければ、いずれその「効果」として、速く回すというステージが(自然に)やってきます。
そうなれば、(いずれにしても)「対象を潰し切る」という究極的な目的に到達することができるのです。
もう一度繰り返しますが、私自身は、この方法は万人におすすめできるものだとは思っていません。
方法として、絶対に採用しなければならないものだとも思っていません。
この方法を採用しなくても、(大学受験であれ)何の問題もなく合格できると思っています。
ただ、人は、やったことはやった分だけできるようになります。
ですから、現時点でこの方法が適さない人であっても、訓練次第で必ずできるようになるはずです。
以下、今回の記事に興味を持って、積極的にやってみたいという方に、私が有効だと考える方法を少し書いておきたいと思います。
まずは、
【1】とにかく速度を落とさないように気をつける。
【2】自分にそれができるということを(とにかく意識して)疑わない。
既に述べたことですが、心構えの問題として、この2点が非常に重要です。
さらに具体的なアドバイスですが、
【3】具体的な時間を設定して、「いつまでに読み終えるか」を先に決めるといいと思います。
速く読むという「動作」を意識するのではなく、先に時間的な制約を作って、それを動作として守るように心掛けるのです。
速く読むことを意識するのではなく、制限時間を意識するわけです。
たとえば、どこどこまでを10分で「見る」と決めたら、絶対に10分で見終えます。
電車が駅に着くまでにここまで終えると決めたら、それまでに必ず終えるようにします。
あと1時間でローの自習室が閉まる。それまでに間に合わせると決めたら、絶対に間に合わせます。
あたかも、時間ピッタリにしゃべり終える生番組の司会者のように、「何分」と決めたらそれまでに必ず(終了時間ピッタリに)終えられるように努力してください。
そうやって、環境(時間)に合わせて動作を自在に「調整」できるように心がけるのです。
このように、「動作」のほうに意識を持っていかずに、その「枠組み」(時間)のほうに意識を移したほうが、
上で述べた(①~⑩のうちの)②が上手くいくと思います。
「時間」のほうに意識を置くと、「速く読むこと」に力みがなくなります。
おそらく、時間を強く意識すると、(動作ではなく)時間のほうに「力み」が持っていかれるため、
動作のほうは力みが取れて自由になるからだと思います。
そうすると、先ほど述べた「無意識のブレーキ」から、自然に足を離すことができるようになると思います。
時間の設定について、私自身の経験も加味していうと、自分自身が設定した主観的なリミットよりも、
電車の到着時刻や自習室の閉館時間のような、制度上強制的に終わりが来る客観的なリミットをターゲットにするほうが、格段に効果は高くなると思います。
人間は習慣の生き物ですが、こういった「訓練」を意識的に積み重ねていけば、
いずれはこちらの方法のほうが、あなたの「習慣」となっていくはずです。
以上、終わります。最後までお読みいただきありがとうございました(^▽^)/
ちひろ
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