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老人と海と私
夜が明ける前に家を出て、海の上で朝を迎える。
どこからが海で、どこからが空なのか
天地の境のない、真っ暗な世界。
ブルンブルンッ、ドッ ドッ ドッ ドッーー
エンジンキーをひねると、船が震えだす。足の裏から伝わる細かな振動。
波に合わせて船が揺蕩うので、腹に力を入れて、体を支える。
真っ直ぐ前を見て、舵を切る。
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祖父は漁師だ。海の漢だ。
たった一人で、沖に出る。仕掛けも道具も自分でつくる。
季節を読んで、漁を選び、潮を読んで、罠を落とす。
風を読んで、雨を避け、景色を読んで、居場所を掴む。
タコにタイ、ハマチ、カンパチ、シマアジ、スズキ。
オコゼ、サワラ、ベラ、ヒラメ、カレイ。
兵庫は明石の漁師の家の、次男に生まれて漁師になった。
日本に数ある漁師の村に、たくさんいる漁師の一人だ。
●
やがてあたりが白み出すと、水平線からまあるいお日様が顔を出す。
透き通るようなオレンジ色の発光体が、空を鮮やかに染め上げる。
夕焼けよりもピンク色した、朝の始まり。
海に、仕掛けを放り込む。
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はえ縄、地引網、一本釣り。
季節や魚の種類に合わせて、漁のやり方を変えていく。
ド派手な色したビニール布に、ワタを包んでテグスで縛る。
針と重石を縫い付けて、キラキラテープで着飾って、
完成するのはお手製のルアー。
ショッキングピンクのボンレスハム。
「この仕掛けはなんやよう食べるんや」
「今度はこれを使うてみたろか」
町に出かけて仕入れる材料。金銀ギラギラのシールやビーズ。
面白がって何でも試す。大体のものは自分で作る。
はえ縄漁で使うのは、120メートルもあるロープ。
重りと針が均等に並んだ、硬い硬いナイロンロープを、
5本連ねて海に放り込む。
仕掛けの準備は炎天下、家の軒先で妻も一緒に。
使ったばかりの潮のついたロープを、翌朝のために巻き直す。
針を一本ずつ診ていたら、あっという間に2、3時間。
何も釣れない日もあって、ガソリンだけが食われるばかり。
それでも毎日繰り返す。
長年の感で船を動かして
「ここやとどうやろ。 お、居ったぞ。」
「おるけど食わんな、潮はこっちやな」
ほんの数センチで釣れたりする。
魚のことをよく観察して、ついたあだ名は「校長先生」。
70年も、魚や針、瀬戸内海の粗塩と戦う手は
私の2倍も太い指、岩のようにゴツゴツで皮も分厚い。
先の尖った糸切りバサミで、手のひらにできた豆をちょん切る。
痛くも痒くもないらしい。
●
気づけばお日様はずいぶん遠く、目の前に広がる青空と雲。
特別な時間が終わったような、少し寂しい気持ちにもなる。
降り注ぐ光を反射して、ゆらゆら、キラキラと水面は揺れる。
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「北に出た入道雲は『丹波太郎』、東のヤツは『和泉の小次郎』、
南は『讃岐入道』言うてなぁ・・・・」
真っ直ぐに海を見つめながら、堤防に腰掛け祖父は話す。
85歳まで現役で、船のが先に根を上げた。
いまではあの手も柔らかく。目も見えにくいし、耳も遠い。
口数の減った祖父だけど、海の前でだけ聞かせてくれる。
漁師に伝わることわざや、釣った魚のこと、海のこと。
船をは降りたが、いまでもずっと、
祖父は漁師だ。海の漢だ。
「じいちゃんは釣る専門や。あんましお魚食べへんわ」
せやから、わたしが美味しく食べる。
身は焼いて、骨は素揚げして、アラは煮付けて。
出汁かて取れるし、目玉も美味しい。
捨てるとこなんて何もない。
骨が刺さっても構わへん。
余すところなく全てわたしの、血となれ骨となれ肉となれ。
ここにもそこにもお店があって、だれかの魚が並んでる。
野菜もお肉も一緒やし、モノもサービスも一緒やと思う。
だれかの仕事で、世界はできている。
だれかの仕事で、わたしの暮らしはできている。
そんなことを忘れずにいきたいし、そんな仕事を届けていきたい。