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ただいま、屋久島
10月から鹿児島に異動してきた。
屋久島に行くなら今だと思った。
1年9ヶ月ぶりに、屋久島に帰ってきた。
いつぶりかの、心が震える感覚があった。
2泊3日の短い時間で、いろんな人が時間をつくって会ってくれた。
おかえり!と声をかけてくれる大人がいた。
小さく縮こまっているききの話を聞いてくれる人がいた。
どうしようもなくありがたかった。
過去の自分が紡いできた関係性に、掬い上げられた。
山で8時間すごした。
エコヴィレッジ的な空間で少し時間をすごした。
今までの屋久島で感じてきた何かの一部を、感覚的に思い出した。
この3日間で思ったこと。
ああわたしは、自分の人生を生きることを放棄していた。
ここ1年ちょっと、必死だったんだ。
自分を守ることに。
自分をちゃんと守りきったわたしには拍手を送りたいけれども、
今の自分とか今の生活を肯定しないと明日を生きられない日々の中で、自分の生きたい未来を描く術を失っていた。
日々の仕事が、つまらない。
楽しめる余地があるのは見えているのに、楽しめていない。
会社の中で自己実現を果たすために、環境保全とか地域連携を自分のアイデンティティ・拠り所としていた。
そこにも違和感があった。
自分がここにいる価値も感じている。
だからこそ、この場所に全力を注ぐ以外の生き方が難しくなっていた。
だけど私は、山登りではなくトレッキングをしたい。
目標のための手段としての価値よりも、今ここの豊かな瞬間を積み重ねることを大事にしたかった。
自分を生きるは、自分を大切に生きるとは、
優しく楽な生き方をすることではなくて
ときには強くあらねばならない。
やっぱり、いかしあうつながりを育んでいきたいし、自分を大切に、自分と世界とのつながりを大切にできる世界であってほしいし、つながりに自覚的になれる体験をつくりたい。
目的だけ見れば今の環境で頑張ることはなかなか価値があることのような気がしている。
だけど、わたしのしあわせが真ん中にないと。
だから、本格的に、今の仕事の先を考えようと思う。
この会社のリソースを使うならという枠を外して考えよう。
まずは、せっかく余白がある今のうちに仕事以外に誰かと何かを企てよう。
自分がどんな生き方・働き方をしたいのか、もう一度描き直そう。
この下書きを書いてから、もう1ヶ月が経とうとしている。
あのときの感覚をもう、思い出せない。
そのことへの名残惜しさや残念さを感じつつ、この言葉はどこかに残しておきたいと思ったので、そのまま公開してみる。
今の日常に溺れかけてる自分への応援の意味も込めて。