レイニーブルー
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”青 ブルー”
中1。
チョークを持った国語の丹羽先生は、黒板の右端に達筆な字でこう書きました。
いつもの字よりも少し大きな字で、かっこよく描かれたその文字を見て、
私の心はなんだか澄んでいくのが分かりました。
丹羽先生は、ゆっくりとこうおっしゃいました。
「皆さんは、青とかブルーと聞いて、何を想像しますか?」
この投げかけが妙に私の心を掴み、ワクワクさせたのをよく覚えています。
丹羽先生はこう続けました。
「B'zの曲にも〜この”ブルー”ってよく使われるんですけどね…」
すぐ話をB'zに持っていきたがる。
でも、もうその頃には私の頭と心の中は、すでに青い海と青い空が広がっていました。
丹羽先生はこうおっしゃいました。
『爽やかな青空〜とか、綺麗な青い海〜なんていう言葉かと思いきや、Gパンを青いなんて言うし、若さや初々しさも青と表現します。この”青”っていう言葉は不思議でね、”ブルー”は憂鬱な心なんかも表現してくれるんですよね〜』
ちょっと江戸っ子みたいな話し方をする丹羽先生。
でも、その時の丹羽先生の”青・ブルー”のお話は、今でも忘れえぬ光景として時々思い出されます。
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というわけで、
今年もこの季節がやってきましたスペシャルーーーーーーーーーー!!!!!!
「明日のお天気は、雨でしょう。」
今どき、そんなベタなことを言う気象予報士さんはいないのかも知れませんね。
さて。
明日は、また、雨だそうです!!!!
ゲホ…ショックがすぎる。
「今年は、私が何か楽しみにすると、決まって雨が降るなぁ…」
思わずこの言葉が口をつく私は、
なんて自己中なんだろうって思います。
だって、
私は、雨が嫌だけど、
この季節の木々やお花にとっては、恵みの雨になっているのかも知れないんだから。
私を含め、多くの人は、
視覚でも聴覚でも、嗅覚でもいいんですが、
何か”情報”を受け取った時に、
基本的にそれを自分の経験に基づいた都合の良い感性で解釈をします。
もっと言えば、自分の都合で解釈したのに、
その”解釈”で一喜一憂します。
雨なんていい例。
「もうーーー明日は雨なんて困る!」
っていうけど、一年のうちの1/4は雨なわけで、
もっと言えば、外出しない日の雨なんて、
あまり気にしないくせに、
自分が出かける日の雨だけ困るだなんて、
本来は滑稽です。
いや、今日はそんな話がしたいのではなくて、
結論を言うならば、
”解釈次第で、人生なんてどうとでも変わる。”
この変わるとは、コントロールできると言った方がいいのかもしれません。
私、結局人間なんてこの世界に生かされているんだと思います。
ただ一方で、人間だけが、感情を持ちあわせた生き物であり、
唯一
この世界を自らの解釈で、
幸せな人生にも、
不幸な人生にも、
コントロールできてしまうのだと
思います。
そう。
今までのあなたのこの”人生”は、
あなたが選び、あなたが解釈し、あなたが造り上げてきた人生である、と言うこと。
そして同時に、
これからのあなたの”未来”も、
あなたが選び、あなたが解釈し、あなたが造り上げていける人生である、と言うこと。
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あとどれくらい生きられるのだろう?
何十年も生きるかもしれないし、
明日何かしらで途絶える人生なのかもしれません。
それは新宿の売れっ子占い師のおばちゃんだって、
”事実”は分からないはず。
ただ、この”分かりえぬ人生”を、
季節や、雨や、星や月、
いや、
”運命”すらも、自らかけるスパイスとして利用ともにて、
演出し、
あとは自らの選択と想像で、
どうとでも、創りあげ、造り上げていけたらなって思います。
青の美しさと、ブルーの切なさが効いた人生に…
なればいいなって思います。
本日は、「眠すぎて、眠すぎて、3回二度寝。ん?これを三度寝っていうの?よくわからないけど、とにかく眠たい。でも昔、父方のおばぁちゃんに、「眠い」って言ったら、「若いのよ。」って言われたのを今でもよく覚えています。褒められると調子に乗るタイプ。いや褒めてない。眠い…」お話でした。
学び:私の文章は真面目に読んじゃダメです。頭いかれますからね。感覚で読んでください。
おしまいー
chihiro