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生きていたということ~呉・江田島旅行記①~

旅の余韻に浸り過ぎて、旅行記書くの忘れそうになってました。
てなわけで5/26・5/27で行ってきたぜ広島は呉!江田島!!
今回は姉に付き合ってもらって二人旅。
二人とも旧日本海軍(のピンポイントな部分)に興味津々。しかも学生時代から。かれこれ10年近く前だ。その頃からいつか行きたいと思っていたこの旅は2人の悲願でもあった訳で。
なので今回の旅行記はバリバリミリタリーな話題が出ます。ええ、でます。でますと言うかそればっかりです。途中カレーの話が出るけど。
あと、これひとつにまとめきれないので何個かに分けます。ゆっくり更新していきますね。

旅行記に入る前に2人の趣味嗜好を一応。

姉⇒零戦52型初めとするその他航空機や戦艦・空母大好きウーマン。40期ラブ。
私⇒南雲機動部隊の話が大好きの全通甲板フェチ。九七式艦上攻撃機が至高。

んで何しに呉行こうと計画したかって言うと.......
・大和ミュージアムに行く
・護衛艦を夕呉クルーズで見物
・旧呉鎮守府司令長官官舎に行く
・てつのくじら館に行く
・江田島で第一術科学校(教育参考館)見学。特に教育参考館にある海軍兵学校の歴代生徒の集合写真を見る

とまぁこんな予定だったんです。
ただ行く前に残念なお知らせがあってね、ちょうどトランプ大統領来日に合わせて、護衛艦かがが呉から横須賀に移動してたんですよ。本当に凹みました。めっちゃ見たかった..............。

そんな感じで最初は出鼻くじかれたかな?と思ったけど蓋を開けてみたらそんなことなんて全然なく!戻ってきてなんだか気持ちが変わる程に楽しい旅になりました.......。

まずは1日目。
博多駅に8:30頃集合。自分は寝不足、姉はオール明けで二人とも顔色悪い。姉が私に会って開口一番放った言葉が「え!唇の色悪っ!」でした。
そのまま新幹線に乗り込みいざ広島へ!

約1時間程で広島駅に到着。

(これは姉が撮ってくれた写真です、カメラ出すのがめんどくて頼んじゃった)

ここからまた電車に乗り継いで、呉へ!
45分くらい?で呉に到着!
駅に着いたところで「呉海自カレーガイドブック」を発見。食べた数によってプレゼントがもらえるらしい。とりあえず食べるとこ探すのに困ってたところだったので助かったと2人でもらい、そこから一旦今回の宿泊先である阪急ホテルに荷物預けて、江田島へ向かうべく船の乗り場へ。

乗り場に向かう途中にてつくじの前にあるあきしおが!!!すげーーでけーーーーー!!!!(語彙力)
今じゃもう全通甲板・空母大好きマンの私だけど、この界隈に飛び込んだ原因は、何を隠そう「終戦のローレライ」つまり潜水艦だったのでもうテンションがすごい、ただ上がり。
しばらく何見てもすごいすごい状態でした。姉と自撮りしまくった。こんなこと普段絶対しないけどめっちゃ楽しかった。

そしてフェリーへ乗船(フェリーに乗るまでもここに書けないくらいくだらない話をしながら沖の船を眺めてました。本当にくだらん話。けどそういうのがめっちゃ楽しい)

しかもフェリーに乗ってるだけで既に護衛艦が見れるのです。

呉すげぇよ..............
そして何より嬉しかったのが!!

輸送艦やんけ~~~~!!!!!

くにさきとしもきたがいました!
ここで私のテンションは1度最高潮に達しました。
姉は護衛艦や輸送艦等の自衛隊装備には普段あまり触れないためここで狂ったように輸送艦について説明をしだす私。この全通甲板.......たまらん.......すき.......

そんなこんなしつつ写真を撮っていたのですが、江田島に近づくにつれ、急に緊張してくる2人。
「この島に、自分達が大好きな人達が学び生活し、生きていた」という事実が何故か突然実感を帯びてきたからだったんだけど、本当に我々は感情の揺れ動きが急である。
そうこう言ってる間に江田島は小用港に到着!

フェリーから降りたらそのままバスへ。
第一術科学校前で降りて.......

ここでなんだか緊張がMAX。
私は緊張のあまり、足の裏に蕁麻疹が出来てしまった。
時間もあったので目の前のコンビニで時間を潰す。
この時もめっちゃ緊張していた。
いい頃合に正門で受付をして。いざ学校内に!

待合所になっている江田島クラブでお土産を見つつ見学開始時間を待つ.......。
時間になると、その時見学する人達(休みの日なので結構人がいた)が集められ、まずは海自OBの方から第一術科学校についての説明を受ける。
この方がね~~~すごい広島訛りで可愛いんだよ~~~思わず微笑んでしまった。

説明が終わったらまずは江田島クラブから出て古鷹山の説明。ここの山皆登ったのかしら……

(木々の後ろの山が古鷹山。わかりにくい写真で申し訳ない)

そのまま大講堂の説明を聞く。ここは今でも卒業式などの式典で使われているそうで。貴族門と平民門の話は興味深かったなあ。

(絨毯に海自のマーク。とても素敵)

荘厳な雰囲気。いかにも海軍さんと言った感じ。

そして次に説明を受けたのが……

来ました!!幹部候補生学校!そうだ!旧海軍兵学校生徒館!!

ドラマなどのロケ地になっていることも多いので、ご覧になったことがある方は多いと思います。まさか自分がこの場所に来ることができるなんて……なんて考えていたらほとんど説明聞けてなかった。確か横の全長が駆逐艦と同じ長さだって言ってたような気がする。すみませんうろ覚えです。

そのまま横に回って、横から生徒館を拝見。

普通に生徒さんがうろうろしていてびっくりしてしまった。そりゃそうだよな、けどなんだかドキドキした。

生徒館を出て、次に向かったところが、私たち姉妹が目当てにしていたところ。

教育参考館。慰霊の場として作られているため、館内は撮影禁止・脱帽・入出館時は一礼。ここに来るために来たんだ。前持って調べてみたら特攻隊員の方々の遺書や遺品がたくさんあるようで、そこがメインなのかなと思いつつ中へ。(勿論一礼は欠かさず)

入るとすぐに真っ白な館内。赤の絨毯。目の前には階段が。上がっていくとそこには大きな扉があり、その中には東郷平八郎氏と山本五十六氏とネルソン氏の遺髪が納められているそうです。すごいこう……なんといいますか、重いとはまた違う雰囲気が館内を包んでいました。嫌な感じのしない緊張感、背筋が伸びるような。それでいて一歩踏み出す足が重く感じるような。

そんな遺髪室の前を通って、展示物が並ぶエリアへ。幕末の頃くらいからの資料が並んでいる。とりあえず順番に見ていく。日露戦争の辺りから知識があるので進むスピードが遅くなり始める。廣瀬中佐のパンツ1丁の写真とか、血痕のついたコートとか。ここで廣瀬中佐の最期について立ち止まって話し合いだす私たち姉妹。早く進みなさい。

そのコーナーを進んでいくにつれ、どんどん知っている名前も増えだしテンションも上がりだす。高木惣吉氏の恩賜の長剣、五十六氏の地球儀……。なんといいますか、みんな生きていたんだなあという実感が湧いてくる。それに呼応するように、私はふと、不安に襲われた。南雲長官のパネルがない。展示品はないかもしれないけど、名前すら出てこない。あまり良い評判のない方だというのは承知している。故にちょっと怖かった。
ノータッチ?まさか。

エリアが変わる。
中には前のエリアと同じように、パネルと展示品が並んでいた。そこには山口多聞氏と柳本柳作氏のパネルと遺品が並ぶ。二人ともミッドウェー海戦で命を落としている。ミッドウェー。聞いただけにざわつく。艦に残ると決めた多聞氏が部下に預けた帽子が展示されていた。正直言葉を失う。まさか展示されているとは思っていなかった。ぐらぐら来たのを覚えている。
とうとう私は隣にいた姉に「南雲さんのがない……」とこぼした。
姉は先の区画を見たまま、至極冷静に「いや隣にあるやん」と言った。

ん?
顔を上げる。心臓が止まるかと思った。え?こんなに?というのが正直な感想である。パネルには「豪放磊落だけど繊細なところもあった」という良心的な説明がされていてほっとした。そこに展示されていたのは、弓道の弓懸、矢と矢筒、書が二点。弓道関係の品は豊田穣氏が書いた「波まくらいくたびぞ」という南雲長官の伝記(この伝記、読み物としてもとても面白いです)の中で入船山に展示されていると紹介されていたものだと思われる。入船山記念館にあると思っていたのだ。ここではあまり展示されていないとばっかり思っていた。
弓懸けには蝶の家紋が描かれているのが印象的だった。南雲家の家紋なのだろうか?書のひとつには中部太平洋方面艦隊司令長官とあるので、サイパンに行く直前に書いたものだろう。そしてもう一つの書、これも上記の伝記の中で登場する一文「皇国(伝記だと御国)の興廃 翼かけて 偲ぶ永禄桶狭間 挙がる勝鬨真珠湾」を色紙に書いたものだった。この一文をとても気に入っていたようで、しょっちゅうに歌ったり書いたりしていたようだったので、それが実感できて嬉しい。あと佐世保でも書は見たことがあるのだけど、その時も今回も豪快で美しい文字を書く人だと思った。
というかこの旅行が始まってすぐに、こんなに生きていた証に触れ合えるとは思っていなかった。すごい。そんな私の気持ちを見透かすように「ちゃんと生きてたんだね」と声をかけてくれた。泣くかと思った。

次にエリアが特攻隊員の遺書等のエリア。そのエリアを見ているときでした。
「は~~~~い!!!時間ですよ~~~~~!!!!!!!」
めっちゃ大きな声でくっそビビった。ガイドしてくれた方が時間だと知らせにきてくれたのだ。実はこの建物二階建てで、二階から見学するルートになっていたのですが、私たちまだ一階に降りていない。時間!?まだ全然見終わっていない!わ~~~!!!と慌てて二階残りと一階の半分を見て一礼して外に。時間足りない!あとで気づいたけど、30分くらいしか見学時間はないらしい。時間配分ミスった。

後は来た道を戻って解散。私はにやけが止まらなかった。港行きのバスが来るまで時間があったので、レストランでカレーを食べることに。この時点で15時前だったのだが、私たち朝早くおにぎり食べただけで何も食べていなかったのでめっちゃお腹すいていたのだ。
江田島クラブの中のレストランに入る。頼むのは定番中の定番……

海軍カレー!!

このカレーめっちゃうまい。
優しくて『家庭のカレー』って感じでした。具もごろごろ入っていて、食べ応えもある。お腹を空かせた小学生のようにカレーを頬張り、術科学校を後にした私たちでした。

思ったより長くなってしまった……。続きはまた今度。