意識の向く方向
土曜日にぶつけたおでこが痛い。
https://note.com/chihiro95/n/n36e4abc83bcc
見た目にはそれほどわからない程度の怪我なのだけれど、ふとした瞬間に「痛い」と感じる。たとえ小さな異常であっても、自分にとっては大問題だ。
きっとそうやって自分の内面にばかり意識が向きすぎると、外のことに意識が向かなくなっていくのだろう。ふとそんなことを考えた。
今から約4年前、青年海外協力隊としてスリランカに派遣されることが決まったころに付き合っていた彼氏に勧められ、「虫眼とアニ眼」という本を手に取った。
自然や人間、子どもの成長などをテーマとした宮崎駿さんと養老孟司さんの対談集である。
小さな虫の動きも逃さず捉えて感動できる「虫眼の人」養老孟司と、日本を代表する「アニメ(眼)の人」宮崎駿が、宮崎作品を通して自然と人間のことを考え、若者や子供への思いを語る。自分を好きになろう、人間を好きになろう、自然と生きるものすべてを好きになろうという前向きで感動的な言葉の数々は、時代に流されがちな私たちの胸に真摯に響く。カラーイラスト多数掲載。(新潮社HPより引用)
https://www.shinchosha.co.jp/book/134051/
人間は、外界からの情報を得るため五感を使用している。視覚・聴覚・味覚はわかりやすく機能しているが、触覚・嗅覚は意識しなければなかなか感じることはない。
普段の生活においてもそうで、歩くときにいちいち地面のコンディションなんて確認していないだろうし、天候や湿度によって外気のにおいに変化があることにも気付けない。
スリランカに暮らした2年間は、日本で暮らしているときよりも、何倍か感覚が研ぎ澄まされていたように感じた。
雨が降ればわかりやすく地面はグチャグチャになり、道路には水が溢れる。道端には野良犬、野良牛がのさばっており、野生の孔雀に遭遇することも珍しくなかった。スリランカの人たちは草木の名前などほとんど知らないが、カレーにいれると美味しいカラピンチャ(カレーリーフ)やランペ(パンダンリーフ)は絶対に見逃さない。
そんな環境に合わせて暮らすとなると、どうしても外に意識を向けざるを得ない。スリランカで先日と同じようにおでこをぶつけて怪我をしたとしても、その痛みにそれほど意識が向かなかったかもしれない。
世界中どこで暮らしていても自分は自分だ。周囲の環境が変わっても、私は人見知りで方向音痴なままである。(変わることを期待したけど変わらなかった(笑))
ただ、物事の感じ方や何に意識を向けて生きるかは環境に左右される。内側ばかりに意識を向けすぎると、私の場合息苦しさを感じる。
たまにはゆっくりと周囲の音やにおいを感じながら山を歩き、地面に寝転がりつつ雄大な地球を感じたい。
*写真は大変お世話になった近所の人。笑顔が素敵で大好きだった。