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江戸っ子と銭湯の深い関わり

銭湯文化がすっかり根付いた江戸時代。中でも、江戸は銭湯の発展が著しく、今でも東京には古くからある銭湯がたくさんあります。江戸で銭湯が発展したのは、俗に言う「江戸っ子気質」が影響していたのではないか、ということについて書いていきます。

江戸時代(1863年)創業の銭湯「金春湯」

けんか

江戸っ子は、気が短く、「火事と喧嘩は江戸の華」と呼ばれるほど喧嘩が日常茶飯事でした。
そんな江戸っ子の喧嘩と銭湯を描いた川柳があります。

大げんかふんどししたが湯番なり

湯番というのは、銭湯の番頭さんのことで、銭湯で起こる喧嘩の間に割って入るのも仕事。湯番以外はみんな裸、という滑稽な様子を描いた川柳です

湯語教 

喧嘩っ早い江戸っ子が多い江戸での銭湯経営は大変なことも多かったようです。
そんな銭湯経営の哲学を伝える銭湯経営の教科書「湯語教」がありました。
湯語教は、銭湯手引草の中に掲載されており、書いた人書かれた年代は不明です。
客からのクレームや文句に対し、直接反論するのは良くないので、紙に書いて貼るといったノウハウが、韻を踏んだリズムの良い文章で書かれています。
たしかに、現代の銭湯にも、してはいけない迷惑行為などが紙で壁に展示されていますが、この名残かもしれません。

あつ湯

東京の銭湯は、地方の銭湯に比べると、温度が高いと言われています。
とくに、昔ながらの銭湯は、42~43度くらいに設定されていて熱いと感じることが多いです。
その理由として、昔から江戸っ子はあつ湯好きだった、と言われています。
ではなぜ、江戸っ子はあつ湯好きなのでしょうか?
まず、江戸っ子という言葉が生まれたのが江戸時代中期ごろと言われています。
この言葉は、古来から都があった上方への対抗意識から生まれたもので少し劣等感みたいなものも含まれていたようです。
結果、江戸っ子は見栄を張るのが習わしとなり、風呂が熱くても「こんなぬる湯」と言って見栄を張っていたようです。
あつ湯に、何食わぬ顔顔で入るとが江戸っ子の粋、とされたのでした。
また、江戸は何もない土地から日本一の城下町を作り上げた場所でもあります。
当時の建設工事での重労働の疲れを癒すため、熱い風呂に入ったとも考えられます。
さらに、江戸は、燃料となる木材を大量に入手できたことも、一因でしょう。

参考文献:銭湯検定公式テキストⅠ

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