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勉強をする意味
勉強をする意味をたいていの大人はこう言うだろう。
「良い大学に入って、大企業に就職したらお金がたくさんもらえるんだよ。そして幸せな生活を手に入れられるよ」と。
幸せ≠高収入
確かに、800万円までは人間の幸福に影響を与えるという研究を見たことがある。しかし、高収入を目指すが故に社畜となり鬱々とした人生を送る人や社長になった後に転落する人も大勢いるだろう。すなわち高収入=幸せの関係は成り立たない。高収入は勉強の本質ではないのだ。
ではなぜ勉強しなくてはいけないのか。
私なりの結論は「目に映る現象を発見し感動できるようになるから」だ。
私たちが当たり前のように暮らすこの世界では様々な現象が幾千も発生している。自然の小さな現象に目を向けることができれば、死ぬまで永遠に発見が続き感動できる。それってとても幸せなことではないだろうか。
感動できる人とできない人の差
かの有名なモナリザの実物を見たとして感動できるだろうか。残念ながら、多くの人は感動できないだろう。あんなの、現代カメラ技術のほうが精巧じゃないか,と。
しかし、一方で感銘を受ける人も一定数いるのも事実だ。そうでないとここまで有名になっていないはずだから。
では、感動できる人と感動できない人の差は何か。
それは知識の差や経験の差だろう。
感動できる人はその時代背景を知っている。絵画技術を知っている。さらに美術系出身の人(同じ道の経験者)は、コンセプトのすばらしさや発想、技巧と自分の能力を比較してさらに感銘を受けるのだ。
彼らはその系統の勉強をしてきた人たちだ。
同じものを見ているはずなのに胸の高鳴りは全く別物である。
モナリザはフランスにあり私たちから遠く離れているから勉強したって見にいけなかったら感動できないじゃないかそう嘆く人もいるだろう。そんな方々に朗報である。
モナリザは目の前にあるのだ
目の前のモナリザを求めて
かつてダヴィンチが感動したであろう自然現象の結晶がモナリザなのである。そう考えると、モナリザの一部は目の前に漂っている、そう解釈できるのではないか。
ダヴィンチはある日の空を見てその神秘性に感動し空の色を詳細に分析することで魅力を抽出しモナリザの背景に描いたし、女性の含みのある微笑みに人間の奥行きを感じ取り、そのすばらしさを絵を通して表現しようとしたのかも知れない。
美しいものは目の前にある。しかし、勉強していないが故に感動できない。めちゃくちゃ損な人生である。
前述では、美術や歴史の知識の重要性について説明したが、化学や数学も同様に感動を与えてくれる。
昼の空は青く、日の入り近くになると空は赤くなるのはなぜなのか考えたことはあるだろうか。
リンゴ自体は光っていないのになぜ赤く見えるのか、木炭を燃やした後に残る白い灰はどういう成分なのか…
これらの答えは今まで学んできたことから予測できるものである。
私たちの身の回りには勉強で得た知識を活かす場面がたくさんある。目の前の現象に敏感になり今までの知識と結び付けようとすることが感動へとつながるのだ。
勉強は感動できる回数を増やすものだ。
そして感動できる頻度の増加は幸せに直結する。
勉強すればするほど感動することも増える。
だから勉強するべきなのだ。