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少年時代に見たサンタと今の私の世界観
あの頃、サンタは魔法の古時計で時を止め、ソリで夜空を滑り、プレゼントを世界中の子供たちに届けることができると心の底から信じていた
小学生の頃、クリスマスイブにだけ我が家に訪れるサンタの姿をこの目で見ようと闇に身を潜めて機会を窺っていた.しかし睡魔に勝てるはずもなく、気が付けばいつも重厚な色をしたクリスマスプレゼントが枕元に置かれているのだった。
だがあるクリスマスイブの夜は違った。真夜中にうっすらと目を開けると赤い帽子、白いお髭でおなじみの大男が私のベッドの近くまで来たのだ。この出来事を今も朧げに覚えている。
間違いなく夢であったが、幼い私は現実の出来事として捉えサンタの存在を確信させた。フィンランドにはサンタの森があるから、いつか会いに行こう。そう思っていた。
今思うと、なんて純粋無垢な少年だったのだろうと思う。
私達の見ている世界は真実か
しかし、ここで現在の自分を振り返ってみる。サンタは現実世界に存在しないことを知っている今、ちゃんと現実の世界を見れているのだろうか?
今見ている世界は真実だろうか。現実世界の真実は刻々と変化しているように感じるのだ。
昨日まで光の性質は波長のみだったのに、今日では波長と粒子どちらも持ち合わせたものとして認識されている。また、これまでイメージされていたブラックホールは大きな渦の形だったのが、NASAが撮影に成功したことをきっかけに土星のような形としてのイメージが浸透していくだろう。
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私たちの住む世界の真実は一意であるのに、私たちの見る世界(世界観)は常々変化しているのだ。
様々な書籍を通して考える「世界観」
暇と退屈の倫理学という本がある。この本によると人間の世界観を変化させられる能力は他の動物と比べ相当高いらしい。( 本書では環世界移動能力と定義付けている)
わかりづらいのでトカゲと人間を比較してみよう。
トカゲは石を石と認識できず、ただ体を温める機能としか感じず一生を終える。石に対する認識は生涯を渡って不変なのだ。
一方で、私たち人間は「石」を時に水切りをする遊び道具と捉え、あるいは地球の歴史を知る手がかりだと捉えられる。このように人間は石に対する認識を場合によってころころ変える。
つまり私たちは一つの物事に対して認識を簡単に変えることができる生物なのである。
それは人間がその他の動物と比べに比べて極めて高い環世界移動能力を持っているということである。
村上春樹著の「海辺のカフカ」でも世界観について語っている場面がある。この場面では、森を例に深く入り込んでいくと不安が増し、その不安が原因で森から出られなくしていると説いている。その森が迷宮かどうかは,どれだけ深く進めば迷宮のように感じるかによって決まると言っているのだろう。すなわち、森は見方によって迷宮になり得るのだ。
「-つまり迷宮というものの原理は君自身の内側にある。そしてそれは君の外側にある迷宮性に呼応している。」
「-君の外にあるものは、君の内にあるものの投影であり、君の内にあるものは君の外にあるものの投影だ。-」
このように、一つの物だけでなく世界までも私たちの認識次第で変化している。
発想を逆転すればこう言えるのではないだろうか。
自身の考え方次第で世界の相様はいくらでも変えることが出来ると。
私は挫けそうになった時、いつか報われることを信じて立ち上がり日々努めている。そうして報われたとき、私の”努力”に関する世界観は揺るがないものとなり、「努力は報われる」は私の中で真実となると確信している。