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掃除嫌いの私をどうにかするために
私はとにかく、掃除というものが嫌いであった。
どうしたら家は片付くのか分からず、ほんとうに長い間「自分にはセンスがないから無理」と諦めていた。
しかし、嫌い嫌いではいけないと思い、意を決して取り組んだのは40歳になってから。
ココから私の、掃除奮闘記が始まる……と大層な書きぶりで始めたが、大した話ではない笑
できない人間が、ただただ多少どうにかなった程度の話。
整理収納アドバイザー資格を取ってみた
片付けができず、子どもの頃から「片付けなさい」と言われ続けていた私は、とにもかくにも片付けができない人間だった。
家に帰宅してみたら、自分の勉強机を弟に片付けられていた日もあったくらい、片付けが大の苦手。
昔懐かしい勉強机を使っていた私は、誰かが来るとなれば、無理矢理デスク部分を持ち上げて強引に締めることでその机をどうにか綺麗に見せていた。
もちろんそんなまやかしの机が美しくなるわけもなく、開いたが最後締められないことは多々あった。
幸い、両親の指導が良かったのか部屋中散らかして寝られないだとか、ゴミを捨てずに床に放置するといったことはなかったけれど、綺麗な部屋! と思われるには程遠い部屋を維持していた私は、とにもかくにも綺麗に片付けることができずにいた。
そんな私を奮い立たせてくれたのは、最早世界で有名になったこんまりさんこと近藤麻理恵さんの著書を読んでのことだった。
「片付け方を教えてもらっていないだけ」この言葉に衝撃を受けた私は、だったら私も掃除ができる人間になるのでは? と考えた。
何事も前向きに考えることで、言い方向に進むこともある。
さて、そんな単純思考の私は、早速勉強しようではないかとこんまりさんの本は全冊読みあさり、断捨離でおなじみの「やましたひでこ」さんの本も多数読破した。
しかし本を読むだけでは飽き足らず、やるならとことんやってやろうと思いたち、数年前、整理収納アドバイザー2級の資格も取った。
よし、これで万全! と考えた私は、例によって甘かったことを知る。
多少片付けができたところで、掃除は別物であることを。
掃除を続ける事は難しい
根本的な考え方として
・片付け=一時的
・掃除=毎日
という図式が成り立っている。
これをごっちゃにして片付けと考えていると、ちぐはぐになってしまうのだが、私はまさにこのちぐはぐをやらかしていた。
片付け方をある程度理解できたところで、すぐさま掃除ができるようにはならないのだ。
というのも、片付けはある程度「型」があり、学べばそれなりの効果を直ぐさま実感できる仕組みになっている。
例えば、机の上に無数の鉛筆や消しゴムが転がっていたとして、筆箱を1つ用意すれば、その散らかった鉛筆と消しゴムを収納することであっという間に散らかった文房具をどうにかすることができる。
この道具があることを知ってさえいれば……! がまかり通るのが片付けなのである。
だから、こんまりさんそのほか片付けをする型が一様に仰るように、片付けは祭りだとか、一気にやるものといっているのは上記に書いたように「片付けは一時的」なものだからである。
しかし、掃除は少し違う。
この筆箱にぶち込んだ鉛筆や消しゴムを、毎日管理してやる必要があるのだ。
例えば鉛筆は毎日削らなければいけない。
削ったかすは捨てる必要がある。
消しゴムも同様に、出た消しかすを捨てる必要がある。
けれど悲しいことに、この小さなかす達はときに筆箱内に居座って出て行かない。
非常に残念である。
そんなかす達を捨てて綺麗を保つこと、コレが掃除である。
片付けと違ってぶち込めばゴールではない。
机を掃除しやすくするためにgetした筆箱もまた、掃除をするべき対象なのだ。
なんて厳しい世界なんだろう。
片付けだってなかなかスキルアップしないのに、掃除力は全く上がる気配がない。
思い出してみると、キッチンの床ふきを母がよくやっている姿を見た記憶があるが、自分がやった記憶はとんとない。
掃除機をあてることも好きではない私は、たまのクイックルワイパーが関の山。
はてさて、これは片付けだけではなく、掃除力も上げなければ……と思いたった私は、またしても勉強することで解決を図ることにした。
重曹とクエン酸を知る
掃除とはどうすれば良いのかを勉強する中で、行き着いた答えがいくつかある。
その内の1つが「重曹とクエン酸」だ。
どうやら掃除ができる人は、この2つを常備しているらしい。
そう気づいた私は、早速重曹とクエン酸をgetした。
これらは100均でも手に入るので、いつでもどこでもあってありがたい存在である。
もちろん、最近見た動画の中で「重曹とクエン酸がなくても掃除用具は足りる」という発信をされている人もいたので、一様に必要とは言いがたい。
しかし、本の通りを信じてみるとそこそこ私にも掃除ができるようになってきた。
……というのはやや盛りすぎであるが、多少は掃除ができるようになった。
しかしここでも再び、私は思い知ることになる。
どうやら掃除は、簡単にできる方法を知っているか知らないかで大きく差が出るらしいことを。
というのも、とにかく掃除を丁寧に毎日続けるというのは至難の業である。
誰が好き好んで毎日同じ事を徹底してやれるのかという話だ。
ある程度は頑張れる日があるものの、仕事が忙しくなったり、子どもが体調を崩したりと少しのイベントでガタガタに崩れる。
家を汚す人間(=家族)は自分を含め5人いるのに、掃除する人間が一人だとすれば完全にメンバー不足ではないかと不満を漏らしそうにもなる。
メンバーがもう少しそろえばな……と思うが、思うだけで私のメンバー不足宣言に納得する人間も、賛同してくれる人間もいるはずがない。
さて、どうするか……という試行錯誤をし続けにし続け、結婚18年目を迎えた現在。
ついに私は飛躍的に進化することとなる。
YouTubeとミニマリスト
とにかく家を快適にしたい、綺麗にしたいという思いを強く持てるようになった近頃。
手に入れた資格や、本の知識を活かし、どうにかこうにか片付けはできるようになってきたものの、何か1つ垢抜けない感が残っていた。
微妙にもっさり感があるような。そんなしっくり来ない感を抱きながら過ごしていた。
しかし、そんな私に転機が訪れたのはYouTubeからだった。
久しぶりに開いて見たYouTubeの真実に私は驚愕する。
ミニマリスト……すごっ!!!
何年もかけて整理整頓してきた結果もあり、人を招いても恥ずかしくない程度の家にはできていたものの、今ひとつと思っていた私にとって、ミニマリストの存在は知っていたけれど、その全容を詳しく認識できていなかった。
そして、映像に出てくるおうちがいずれも本当に綺麗で整っていて驚くばかりである。
その後自分の部屋をチラリと見て残念になる。
そう、モノが多いのだ。
圧倒的に視界に入ってくるモノの量が多いことで、画角がシンプルになっていない。
なるほど、これがミニマリストの力か……と思いつつ動画を見ていた私をさらに驚かせたのは「掃除が嫌い」「ズボラで」といった発言の数々。
いやいや、こんなに家を綺麗にしているのに掃除が嫌いなはずがないと思いながら見るものの、多くの人が口を揃えて同じ事を言う。
本当か? 掃除好きだからこんなに綺麗なんじゃないの?
しかし、もしこの人達の言うことが真実であれば、モノを減らすことで掃除ができるようになるのかもしれないと思い始めた。
思い始めた以上やってみるしかない。
そう決意した2024年1月。
私はこれまで以上にモノを捨てている。
買ったのではない、捨てている(笑)
目指すは徹底的なすっきり感。
気持ちと考え方を見つめ直して、もう一度モノと向き合うことにした。
これまで大切にしてきたモノをもう一度掘り起こしてみると、「こんなものあったっけ?」や「これを使う日が人生に来るのか?」と感じるモノと対面することになった。
悩んだ末、全て捨てた。
記憶になかったモノは、今後なくなっても大丈夫と思い切り捨てた。
これはいつか使うかも?系も、3年以上日の目を見なかったので捨てた。
ミニマリストのしぶさんが、「今後買いなおしが聞くモノは一度捨てても大丈夫」と著書に書かれていたのを読んで、確かにと思って捨てることにした。
もったいないとか、いつか使えると思って保管しているより、そのスペースが完全に空いた方がスッキリするんだと言い聞かせて捨てまくる。
よし、以前よりもさらに捨てられるようになってきた。
と思いながら片付けをしていた私に、ようやく掃除力が芽生えてきた。
モノが少なくなったので、もっと拭いてみようという気持ちになってきたのだ。
リビングテーブルの上は、ついにモノがなくなり何もない状態をキープできるようになった。
いつでも拭き放題なので、アルコール消毒をしながら丁寧に拭くようになった。
以前はというと、何かしらモノが載っていたのでどうしても拭くという行為が億劫になっていた。
しかし、何もないと拭いてみようという気になる。
続いて、キッチン周りも何もモノを置かないように、ほとんどのモノを引き出しにしまい、入りきらないモノを捨てて処分した。
本当に必要なモノを問いかけつづけて、「一度捨てる」を敢行したのだ。
するとこれもやはり掃除をするようになり、毎日キッチン周りを拭けるようになった。
モノがないので、ささっと拭いてみようかという気持ちになるのだ。
そして、拭いたキレイな状態を見る機会が多くなることで、この状態を維持したいと思うようになった。
この効果は恐ろしく、毎日継続したい意欲が芽生えるようになった。
ちなみに私はこれまで、コンロ周りの拭き掃除を丁寧にしてピカピカにするなんてことを実行できた試しがない。
どうにもこうにも汚れが取れないくらい汚し、悲惨な状態にすることの方が得意であった。
筋金入りの掃除ベタである。
そんな私が毎日コンロ周りを拭き、なんだったら壁も床も拭いている。
衝撃で母が倒れるかもしれないレベルの成長である。
そんな私が買ったもの
ようやく買った物を紹介できるターンが来た(笑)
ニトリの使い捨てできるマイクロクロス。
Amazonだと少しお高いが、どんな商品なのか、ご紹介の意味でリンクだけ貼りつけ。
この使い捨てクロスの何が良くて買ったのかというと、拭いて綺麗になることはもちろんのこと、使い捨て商品なので捨てることが前提になっているところにある。
私は1週間に1度捨てているが、最後に捨てるときには、これでもかとあちこちを拭いてから捨てるようにしている。
あまり使っていないと勿体なくて捨てられない。
使い捨てだからこそ、使い尽くさなければと思って、掃除が捗ると感じている。
今調べて見たら、どうやらカインズの方がネットだとお安く手に入りそう。
ネット購入派の方は、こちらを試してみても良いかも?
そんなこんなで、私は使い捨てマイクロクロスを導入してから、キッチン掃除で勝手に最強感を出している。
何せ毎週、冷蔵庫、換気扇、床、全てを拭きまくっている。
これまで掃除ができないと言っていたのに、掃除好きかと勘違いしそうなくらいの成長をしており、自分でもビックリだ。
次に私が買ったものはこちら。
柄の長いコロコロである。
コレは、私の掃除嫌いがついに顕著になった事例かもしれない。
置いているのはリビングではなく、脱衣場である。
以前、とある温泉施設で、柄の長いコロコロが置かれていた。
掃除担当の人が忘れていったのかと思いきや、そうではなかった。
利用者が自分の髪の毛やゴミがあれば、手に取って楽に掃除ができるようにあえて置いていたのだ。
そのことに衝撃があったものの、利用者のほとんどがそのコロコロを使って、自分が洗面台を使った後綺麗にしていた。
私も例に漏れず、すぐに使えるものだからと綺麗にしてからそこを離れた。
誰もがWin-Winで最高だと思った。
が、しかし。
人間は忘れる生き物なので、そんなありがたいコロコロの存在を忘れいたのだが、先日旅行に行った際、脱衣場のコロコロを思い出した。
そのホテルにはコロコロが常備されておらず、洗面台周りが髪の毛だらけになっていたので汚かったのだ。
あぁ、ここにあれば良いのにと思ったけれどないものはない。
仕方がないので、娘にもティッシュを持たせ、自分で掃除をさせた。
もちろん私も自分の汚した箇所は自分で拭いた。
どうやっても髪の毛は落ちる。
それは家でも同じ事で、私はいつも脱衣場の髪の毛にもやっとしていた。
どうにもこうにも、風呂場周辺の掃除が微妙に面倒くさいのだ。
それなのに、ほこりと髪の毛が溜まりやすい仕組みになっている。
なんてこった。
そんなわけで、帰宅してから私は、思い出したばかりのコロコロを早速購入した。
……使える!!!
コロコロだと子どもも使う気になるようで、私以外の人間も使って掃除をしてくれるようになった。
そのお陰で、私がお風呂に入るときにも髪の毛が落ちていない。
コロコロ最強! とほくそ笑む。
このコロコロの良いところは、立ったまま使えるところと、ケースにいれているわけでもないので、ぱっと手に取ってすぐに使えるところだ。
我が家は、洗濯機と洗面台のスキマにコレを立てて置いているが、人目について欲しくない粘着テープ部分は隠れていて、柄だけが見えているので汚らしくもない。
こんなに良い物をこれまでどうして買わなかったのかと悔やまれるくらい重宝している。ありがたい。
こうして私の掃除力は、新たな戦力をお迎えして向上した。
モノとは、必要なものを迎えることにある。
何でもあれば良いわけではない。
長く使えるモノだけが良いわけでもない。
使い捨てでも、使い捨てるまでの短い期間に最大のパフォーマンスをすることもある。
自分にとっての必要なモノ。
これからも取捨選択を繰り返し、より一層掃除ができる人間へ一歩踏み出せるよう引き続き頑張りたいものである。
いやーしかし、いつまで掃除続けられるんだろう。
掃除力のない私は、未来の私をまだ信用したわけではない。