高校世界史 中国 ~秦の時代~
こんにちは!Chihiroです。
今日もお疲れ様です。
高校世界史中国 ~秦の時代~を、
語り部調でまとめていきたいと思います。
お楽しみください^^
1.秦の成立
長い春秋戦国時代を経て、
紀元前221年、実に550年ぶりに中国全土を統一する者が現れた。
中国の西方に支配を広げていた国、秦の王である「政」というその男は、
自分を秦の「始皇帝」と名乗り、現在の中国に大きな影響を残していく。
・この秦が、15年間という短い期間で滅亡の一途をたどったのは、
なぜだろうか
・現在の''Chin''aに大きな影響を残す秦は、
いったいどのような国家を築いたのだろうか
ご覧あれ。
2.始皇帝の政策
まず、中国本土という広大な土地を支配するにあたって、
始皇帝は中央集権の一つである、郡県制をとった。
広い土地をいくつかのグループ(群)に分け、
中央の都からすべての群へ、自分の命令を行き渡らせるようにした。
そして、ばらばらになっていた国のあらゆるものを統一した。
たとえば?
・文字…篆書(てんしょ)
・貨幣…半両銭(はんりょうせん)見た目は…Let's google!
・単位…度量衡(どりょうこう)<度→長さ / 量→体積 / 衡→質量>
・暦
・車軌<車両の幅>
etc
そしてある大事なものがまだ出ていませんね?
それは、思想です!
春秋戦国時代前最後の統一国家である周の国を理想とする儒家たちに対して 始皇帝が望むのは、いわば現実主義ともいえる法家の考えが
浸透することでした。
法家の考えとして根強いのは信賞必罰(しんしょうひつばつ)、
つまり「ルールを守った者には褒美を、破った者には刑罰を」ということ。
なんとも支配という観念に沿った、始皇帝らしい考えともいえます。
ちなみに、
法家の代表として始皇帝とこのときタッグを組んだのは、
李斯(りし)です。
この思想統制のために始皇帝が行ったことは、
1.焚書(ふんしょ)
-春秋戦国時代の6か国の出来事や詳細を示す書物を、
すべて焼き払った。
いくら物がなくなれば記憶もなくなるとはいえ、
荒々しい手であると言わざるを得ませんね。
書物を焼くという行為は
実際に現在の中国でもタブー中のタブーであり、
始皇帝の悪評の大きな要因となっているようです。
2.坑儒(こうじゅ)
-始皇帝の思想統制に反対する儒学者たちを穴埋めにしてしまった。
3.秦の滅亡
秦の統制の勢いはすさまじい一方で、
とても厳しく国民にとっても負担が大きかったのは、言うまでもない。
北方の遊牧民の侵入を防ぐために建築された万里の長城、
そしてそこまで若くもなかった始皇帝自らのお墓のために、
国民たちは過酷な兵役や土木工事についていた。
また遅刻した際には腰切りの刑(すなわち死刑)としていた。
たとえ行くまでの道で川が氾濫し渡るべき橋が流されていたとしても、
言い訳は許されない。
川を何とか渡って遅れて行っても死。
川に流されてしまっても死。
国民たちに残された選択は、一縷の望みをかけた反乱であった。
紀元前209年、陳勝・呉広の乱
スローガンは、
「王侯将相いずくんぞ種あらんや。」
<どうして王・将軍に家柄が関係あるだろうか、いや無い。>
この反乱をきっかけにして、
秦の、短くも影響力のある15年の歴史に幕が下りたのだった。
4.ふりかえり
最後までご覧いただきありがとうございました!
私の授業内容の目標は、
根底となる知識をさっと覚えてしまい、
その先にある教訓やおもしろい裏話を調べたり、
地形や文化、気候などと絡めて包括的に学びを深めることです。
追加知識や訂正などあれば、ぜひぜひ教えてください^^
このシリーズが、私にとってはそのための知識の整頓、
あなたにとっては
懐かしい、または新しい学びになっていれば幸いです。
なお、このページの太字が
重要語句(内容理解の上でカギとなる出来事や考え方)となっております。
このページをプリントやらなんやらして
赤シートマーカーで引いて隠すと便利では!?
なんて思うのはJKだけでしょうか。
ぜひお試しください笑