青山剛昌先生への正直なラブレター
こちらは エッセイ Advent Calendar 2024 の15日目の記事です。
「人生で死ぬまでにやりたいこと」を質問をされたら迷わずこう答える。「青山剛昌先生にひと目会いたい」と。私は『名探偵コナン』が大好きである。
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名探偵コナンとの本当の最初の出会いはぎりぎり小学生になったころ。祖母の家で流れていたアニメを見た。月影島のエピソードで、オープニングが『運命のルーレット廻して』。
と思っていたが、調べてみたら時期が合わない。のでどちらかが記憶違いだ。記憶は曖昧。だが、オープニングのコナン君にスポットライトが当たる映像を強烈に覚えている。
そこから漫画にはまった。もちろん毎週アニメも欠かさずみていた。初めて単行本を買おうとしたとき、母に「本当に読める?」と心配された記憶がある。
あの頃は本当にコナンに夢中だった。毎日のように繰り返し繰り返し、セリフも全て暗記するくらい読んでいた。子供の頃は1ヶ月に1冊も本が買えなくて、親にねだったりお年玉を崩したりして買っていた。そうやって手に入れた1冊を、大事に大事に読んでいた。
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一推しのトリックは、券売機からお釣りが出たときの音で犯人の行き先を突き止めるエピソードだ。これは確か哀ちゃん初登場の事件で18巻。18巻の表紙は科学者風コナンくんだ。
大人になった今は、あのエピソードも青山先生は頭を抱えながら考えたのだろうか、と思いを巡らせてしまう。青山剛昌先生が出演されたプロフェッショナルをぜひ観てもらいたい。
25巻のコナンが撃たれてしまうエピソードも、当時は衝撃だった。コナンくんに大ピンチが初めてやってきた事件だ。早く解決してくれ〜とドキドキだった。
名探偵コナンで知ったこともたくさんある。ルミノール反応とかアーモンド臭とか死後硬直とか吉川線とか(物騒ですまん)。海蛇に噛まれたときにどうすればいいかとか居合の達人の手にできる傷も知った。
英語もよく出てきた。Need not to knowとか「知らんぷり」とかShineとか。切ねえぇ・・・。鳥取クモ屋敷の怪もぜひ読んでいただきたいエピソード。
登場人物の名前の由来も必須に覚えた。江戸川乱歩にアーサー・コナン・ドイル、モーリス・ルブラン、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティ、アイリーン・アドラー。当然、何も理解していなかった。シャーロックホームズを背伸びして読んだ理由はもちろん名探偵コナンだ。
こんな名作を生み出した青山剛昌先生。毎回毎回こんなトリックを思いつくなんて。この人は世界で一番天才なのだろうと子供心に思った。思っただけではなく、周りにも言って歩いていた。「世界で一番の天才って誰だと思う?私は青山剛昌先生!」
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最近、名探偵コナンの話をするのがちょっとだけ苦しい。理由はわかっている。最近の名探偵コナンのエピソードがわからないからだ。
友達に「〇〇がまさかだよね!」と言われたとき。なんのことかわからなかった。その時の私の顔はこわばっていたと思う。ネタバレごめんと謝られたが、それ自体、私が読んでいないわけがない、覚えていないわけがないとないと言っている様だった。
タイムラインに「名探偵コナン 最新刊発売のお知らせ」が流れてきたとき。そこには最新刊の発売を楽しみにしているコナンフリーク達の喜びのコメントが大量に溢れている。「前の話、どんなんだっけな」と喜びもなくぼーっと考えている自分にそこで気づくのだ。タイムラインが眩しくてみていられなくてすぐにスクロールしてしまう。
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60巻くらいまでの話はもう染み付いている。どの巻にある話なのかがわかるものも多いし、各巻の表紙も覚えている。あの時のあのキャラのあのセリフが、という話題もわかるし、トリックの話も永遠にできる。
最近のストーリーは、読んでいるのに覚えていない。昔のように何度も何度も繰り返し読まなくなったせいだろう。大人になり、日々の忙しさや他の楽しみに押されて、あの頃の「夢中」が少しずつ遠ざかってしまったのかもしれない。
大人になったからこそできることももちろん増えた。自分で稼いだお金で鳥取にある「青山剛昌ふるさと館」に飛行機で行けるようになったし、ポップアップショップが開催されるとなればすぐに行ってグッズを買える。映画だって何度も見に行ける。これはコナンフリークだったあの頃の私が憧れていた未来だ。
そのはずだが「ストーリーを覚えていない」というその1点が、寂しいし悔しい。あんなに好きだったはずなのに。
たかが漫画で、と思う人もいるかもしれない。ずっと大好きといってきたが故に、名探偵コナンを、青山剛昌先生を、コナンのファンたちを、裏切っているような気持ちにすらなるのだ。書いていてちょっと驚いている。想像以上に私は「引け目」を感じているらしい。
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今年、2024年は『名探偵コナン』連載30周年である。全国各地で記念展が開かれた。
連載30周年記念というだけあってたくさんの展示があった。書き直されたものではなく、当時のあの絵そのままだ。懐かしさが込み上げた。説明が止まらない私を見て、友達が笑った。それでも私は語らずにはいられなかった
「新一くんと蘭ちゃんのパネル!今が撮影チャンスです!!!」というスタッフの方の大声が響いた時は流石に笑った。他のお客さんも笑っていた。
5月には『プロフェッショナル 仕事の流儀』に青山剛昌先生が出演された。初めての密着だったそうだ。あんなに喋っている青山剛昌先生は初めてみた。絵を書いているところもあんなにじっくり見たのは初めてだ。
とても純粋な方で、まっすぐな方で、ファン想いな方で、プロなんだと知った。今までの私にとっては「名探偵コナンの作者」という割合が大きかったが、今はもう違う。
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年明けには青山剛昌先生の故郷、鳥取にて『青山剛昌先生と話そうDAY!』が開催される。毎年恒例だ。抽選になっており、300人ほどしか当選しない。さらに次の日にはサイン会も開かれる。これはこれでまた別の応募となっており、当選者数は50人ほど。
合わせても350人ほど。凄まじい倍率なのだと思う。毎年送っているが当選する気配はない。でもいつか当選することを夢見て毎年応募し続けている。
子供の頃とは違う。当選さえすればいける。別に資金が潤沢にあるわけではない。けれども、このためになんとかできるくらいには大人になったのだ。
でも、もしかしたら『青山剛昌先生と話そうDAY!』が急に最終回を迎えるかもしれない。私が資金以外の理由で動けなくなるかもしれない。そんな未来はやってきてしまうかもしれない。
そう、悩んでいる暇はないのだ。
私の「人生で死ぬまでにやりたいこと」は子供の私には実現できなかった。今の私には実現できる可能性はある。大人になったからこそできることもある。
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プロフェッショナルで青山剛昌先生の姿を見て、「名探偵コナンの作者」以上の存在だと気づかされた。
先生が子供を信じて書き続けてくれたからこそ、あの頃の私は夢中になって読んだ。難しくても理解するまで何度も何度も読んだのだ。子供の頃に比べたら読めなくなってしまったけど、それでも今も読み続けているのもそのおかげなんだと思う。私も先生を信じているのだ。
子供の頃の私は青山剛昌先生に会うことは叶わなかった。でも大人になったからこそ、今の気持ちも、あの頃の夢中だった気持ちも伝えられるはずだ。大人になった私で感謝を伝えること、それが今の私の、何よりも大切な夢だ。