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時間は流れていく。そして忘れていく。

初めて子どもを出産してから、3年が経った。


出産してから子どもの睡眠が安定するまでの日々は本当に壮絶だった。

今まで生きてきた中で、あんなに寝れない状態が続いたことや、メンタルが落ちてるけど休めない状態が続いたことがなく、とても衝撃を受けた。

まあ、メンタルが落ちるのも当たり前だろう、寝れないんだから。
たとえば一般企業で、寝ずに働いてる社員がいたら、そりゃメンタルも崩れるでしょうね。なんて思った。

人生の中で本当に一番心を揺さぶられた日々だったし、あの時の記憶は死ぬまでずっとずっと忘れないような気がしているのだけど、それでもやっぱりあの時ほどの臨場感を持って振り返ることはできなくなったなあ、なんて思う。

息子に出会ってからの毎日も、ときどき写真共有アプリの『みてね』で見返すのだが、やはりどんどん記憶が塗り替えられていて、一番息子だな、と思うのは「現在の息子」なのだった。


未来から見たわたし。

先日、小学生2人の子を持つママと、7か月の子を持つママと話す機会があった。

小学生の子を持つママは7か月の子を持つママの子育ての話を聞いて、「そんなときもあったね、もう忘れてきちゃってるなあ」とほほえみながら言った。

私は、「ああ、忘れるんだなあ。」と思った。

きっと、小学生になるまでに、子育てで幾度となくあらわれる「これはどうしたらいいんだ?」と思う出来事や、なかなか思い通りにはいかない日々の子どもとの暮らしなど、ずっと必死で目の前のことに対応していくと、過ぎた日のことをもうどんどん忘れていくのだなあ、としみじみと思ったのだ。

そう考えると、少し先の未来からみたときの今の私の姿って、きっと本当に尊いんだろうなあと。

子どもが3歳を過ぎてほんの少しだけ子育てにも慣れてきて、その感覚がようやくわかるようになってきた。

しかし、子どもが生まれたばかりの頃はその感覚がよくわからなかった。
「今がかわいい」とか「尊い時間だ」なんて言われても、なんとなくピンとこない。

なんせ初めての子育てだし、なんの見通しもつかないのだから。すぐ成長していくと思っても、意外とずっと一緒にいると昨日の顔も今日の顔も、明日の顔も同じように見えている。

けれど1ヶ月や2ヶ月経って写真を見返すと、もう別人のような姿になっていて、「時間がとけたのか?浦島太郎の玉手箱をあけたのか?」みたいな気持ちにもなっていた。


わすれたくないきもち。


あの頃のわたしは、「尊い時間だ」なんて言われることでさえ、少し苦しく感じていた。
なんとなく、その尊い時間を尊く思う自分でいなきゃいけない気がして。

たしかに尊い。
尊いんだけど、あのころの私は初めての育児に必死で、全てのことが心配に思えてきて。
とにかく、「ヘルプミー!」状態だったのだ。

けれど、時間が経ち、そのときの自分を忘れそうな自分がいる。


ああ。こうやって忘れていくんだ、あのときの気持ちも。

そう考えたら、あのときの息子の姿も、それに必死で対応していた私自身も、総じて愛おしい。


「今の必死の頑張りを、今尊い、なんて思わなくていい。総じて愛しく感じるときがくる。だから、焦らないで。安心して。」


今の私が、あのときの私にかけてあげたい言葉。






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