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つわりと電車と優先席。
職場までは、電車で40分ほどかかる。
妊娠したからといって、その時間は変わるわけではない。(ちなみに、コロナ前でリモートの概念はまだなかった。)
「どこでもドアがあればいいのに。」と、これほどまで強く思ったことはない。
電車の匂いが苦手だ。
それは妊娠する前からのことだったけれど、妊娠してから更に匂いに過敏になったのか、耐えられなくなった。気分が悪くなって、途中下車してしまい、泣く泣く会社に遅刻の連絡を入れたこともある。わたしにとって通勤は間違いなく一日の中で一番の山場だった。
どストレートに言ってしまうと、優先席で席をゆずってもらえないこともつらかった。
優先席でパソコンをひらいてカタカタしてる人や、イヤホンをして天を仰ぎ、寝ている人がいると苛立った。中には目にタオルを乗せて、目隠しして寝ているツワモノもいた。
優先席では譲ってもらえないけど、普通の席では譲ってもらえる、みたいなこともしばしばあった。
「譲る気持ちがある人は、そもそも優先席には座らないのかもしれないな。」と思った。
とはいえ、マタニティーマークをつけながら、普通の席の前に立っているのは、譲れと言っているようでなんだか申し訳なかった。
席を譲るというのは、なかなか勇気がいる行為だ。優先席を避けて普通の席にいるのに、マタニティーマークをつけたわたしがいることで、きっと、席を譲る、譲らない、の葛藤をさせてしまうことになる。あえて優先席に座らない人に、そんな思いをさせてしまうのは、なんだかいたたまれない。だから妊婦のわたしはいつでも優先席周辺にいることにした。
「優先席は、障がい者やお年寄り、妊婦、乳幼児連れが優先して座るもの。」
優先席に貼ってあるご案内の文字通り、シンプルにそういうものだと思っていた。
だから妊娠する前のわたしは、なるべく優先席に座ることは避けたし、座ったとしても周りに優先すべき人がいないか、気を張っていた。
妊婦という立場になるまでは気づかなかったが、みんながみんな、そういう意識でいるわけではないらしい。
そんな社会に疑問を感じて、妊婦に席を譲ることについて、どんな意見があるのか、無駄にネットで調べてしまったけど、妊婦に対するひどい言葉もあって、傷ついただけだった。絶対に調べないほうがいい。
身体的につらいのもあったけれど、優先席問題を通して、妊婦という存在に対する社会の風当たりの強さを感じてしまって、精神的につらかった。
一方で、席を譲ってくれる人ももちろんいた。
混雑した電車を下車するときに、「大変だったね。」とやさしく声をかけてくれた女性もいた。
譲ってくれる人がいるのに、譲ってくれない人の方が頭に残ってしまうのが嫌で、譲ってくれた人をスマホにメモすることにした。
(・朝女子高生二人組、とか。)
どんどん長くなるメモをときどき最初から見返して、譲ってくれた状況を思い出し、「ありがとう...!」という気持ちになれたから、精神衛生上、かなりよかった。
つわりの中でいちばん顕著だったのは眠りつわりだった。ずっと、徹夜明けみたいに眠い。少し目をつぶったら、寝てしまいそう。
仕事を終えて、山場である帰宅の電車を乗り切って、自宅に着いたら電池が切れたように真っ先に寝た。
家事は全て夫が担ってくれた。冷たいおにぎりが食べたいといったら作ってくれたし、電車内での不満も聞いてくれて、気持ちに寄り添ってくれた。
ついつい、嫌なことばかりが頭に残りがちだが、そればかりに目を向けるのはとてももったいないことだなあ、と思った。
気遣ってくれる人、自分を大切にしてくれる人、守ってくれる人はちゃんといる。
自分にとって今後、大切になってくるのは、間違いなく自分を大切にしてくれる人だから、そちらに目を向けることを大事にしたい。と、気づくことができた。