過去のお話、これから過去になるお話。(1)
注意:あまり公の場に書けないことが割と多く存在するので、このnoteを読んでも私の経歴や性格を全ては理解できないようになっています。気になる人は私と仲良くなって、私が自然に話し出すのを気長に待ちましょう。
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幼少期のお話
2001年7月3日、茨城県鹿嶋市で生まれた。母親の実家があるところ。
母の胎内から出てから約3分間、息をしていなかった。分娩室に産声を響かせることなく、私という存在を肉眼で見える形で人目にさらした。
なぜ息をしていなかったかというと、羊水が喉に詰まっていたかららしい。私は助産師さんに足を持たれ、背部叩打法みたいなことをされてやっと、この世の空気を吸収し、作り出す存在になったのである。
千隼(ちはや)という名前を父方の祖父から授かった。今でもこの名前は非常に気に入っていて、様々な人から「ちはやはちはやって感じだよね」といわれる。うれしい。
お察しの通り「ちはや」は枕詞の「ちはやぶる」から抽出されたものである。
ここで皆さんがお察しでない情報を出すならば、この「ちはや」は、かの有名な「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」からとったものではないらしい。
万葉集にある他の歌が由来らしいが、どの歌か実は知らない。名前の話になる度に気になってはいるのだが。今度祖父に聞いてみよう。
で、生まれて集中治療室?とまでは言わないけどちょっと隔離されたところに2週間くらいいて、それから故郷である千葉県習志野市の社宅に引っ越した。
この社宅に3歳後半まで住んでいたはずだが、ほとんど記憶がない。社宅の近くの公園とコンビニなら覚えてる。あと幼稚園に行くためのバス停に親が自転車で連れて行ってくれていたのだが、その道中の踏切で帽子が風に飛ばされて電車に帽子がひかれそうになったことしか覚えてない。
そして4歳ごろに私の実家とも呼べる一軒家に引っ越した。市は変わらず。その頃、ちょうどその周りが開発されつつあって、同時期に同年代の家庭が複数そこに集まった。いわゆるご近所さん。親同士とかは今でもめちゃくちゃ仲が良い。
幼馴染はここで2人できるわけだが、その関係性はたぶん次の章かその次の章で破綻する。
ここまで書いておいてなんだが、正直幼稚園での記憶はほとんどない。
遊ぶ時間にレックウザのぬいぐるみで遊びたくて、毎回おもちゃ箱にはしまわずにおもちゃ箱の裏に忍ばせておいて、みながおもちゃ箱に殺到するのを優雅に眺めながら、おもちゃ箱の裏側からレックウザを取り出していたことは覚えてる。
私の幼稚園児期ってこんなものなのか...と思っているところだ。好きなものはトーマス、プラレール、ポケモン...あ、ムシキングの存在を思い出した。というかこれが私の幼稚園時期のすべてかもしれない。
私はひらがなよりも先にカタカナが読めるようになった。これは甲虫王者ムシキングのせいである。
甲虫王者ムシキングというのは、100円1playのアーケードゲームで、1playごとにカードが1枚出てきてそれらを集めて戦うゲームだ。もちろん名前の通り、カブトムシとクワガタを戦わせる。それらの名前がカタカナで表記されているから、ひらがなよりも先にカタカナが読めるようになったのだ。
このゲームでは幼稚園児の部、みたいな大会で無双しまくっていた記憶がある。
このころ「甲虫王者ムシキング~森の民の伝説~」というアニメが放送されていて、これにも非常に熱中していた。ちなみに本当に子供向けアニメか?という議論が沸き上がるほどにはなかなかに奥が深いというか、考えさせられるというか、闇の深いアニメである。大人が見ても面白いからぜひ見てほしい。
大体これで幼稚園時期の話はし尽くしたと思う。余りにも内容が薄すぎる?記憶が全然ないのだからしょうがない。次の小学生編はまともに書けると思う、多分小学生編で3部くらいできる。皆が一番気になっているだろう高校生編や現在編までの道のりは長い。
それじゃあ、また次の機会に。