ホシヲキクモノ【全9話】 7. ニュース
「それでは次のニュースです」
ノーザン・ニュース・ネットワーク(NNN)の定刻のニュース番組内、十九時十分。
折り目正しく原稿をめくる知的なキャスターが、淡々とニュースを伝えている。
「アーテムウイルスを介した病気が流行しはじめてから約二年が過ぎましたが、この病は人間だけでなく、自然界にも影響をもたらしている模様です」
キャスターの説明のあと、画面が切り替わり、録画された映像に初老の男性が映る。
「瑞穂市の山本さんは悠木大学の観測データの回収依頼を受け、白木山の森に入りました。設置場所はこちらです」
映し出されたのは、歩きやすそうな山道で、見通しの悪い茂みもあちこちにあるが、いかにも登山道という、あまり危険は感じられない場所だった。
「以前なら、ここはピクニックコースが近くにあるため、週末など多くの人でにぎわう場所でした。その山道に近い場所に観測機器は設置してありましたが、アーテムウイルスの流行で、登山が禁止になったため、この場所には二年近く、全く人が足を踏み入れてなかったそうです。ここで山本さんは驚くような場面に遭遇しました」
カーキ色の帽子を被り、マウンテンパーカーを着て、いかにも山に詳しいと思われる山本さんは興奮した口調で話し出した。
「誰もいないと思って振り向いたら、見たことのない、でっかな牡鹿がそこに、ホント、すぐ近くにいたんだよ。えっ、と思ったら、群れだったのかねぇ……、気が付いたらたくさんの鹿がいて、取り囲まれたんだよ。ホント、ぐるぅぅっと周りにいるのよ。『こわいっ』と思って逃げようとしたんだけどね、鹿のやつら、全然私のことなんか気にしないの。『なんだ、人間か。』みたいな顔してさぁ。草とか食べ始めてるのよ。おびえる感じでもない。びっくりだよね。初めての体験だね」
山本さんは自分が描いた絵を見せた。それは自分を中心に円を描くように鹿の群れが山本さんを取り囲んでいる、まるで幼稚園児が描いたような稚拙な絵であった。しかし、興奮して必死に話している様子から、彼の話していることを嘘だと思う者はいないだろう。
「山本さんはこのあと、山から逃げ、村の人を何人か連れてもう一度、森に戻ったそうですが、そのときにはもう鹿の群れはいなかったそうです」
「まあ、人が入らなくなった山だから、そうそう危なくはないと思うけど、これが熊とかだったら怖いよね。アーテムが流行って動物たちも意識が変わったのかなとか思っちゃったよ。うははは」
画像がスタジオに戻り、難しそうな顔のキャスターに切り替わった。
「この自然界の変化について、生物環境がご専門の晴明大学教授、御坂先生に伺います。御坂先生、この山本さんの不思議な体験ですが、このことについてどう思われますか?」
短く整えられた灰色の髪と鋭い眼差しで御坂教授は冷静で丁寧に話し始めた。
「はい。世界的に広がったアーテムウイルスの影響で、現在、人類は様々な動きを制限されています。それに従って、自然界にも変化がみられています。山本さんのような野生の動物が人間を怖がらずに、都市部まで普通に下りてきているといった報告も各地から届いています」
「なるほど」
アナウンサーが相槌を打つ。
「また、リヴェリア国の水路として知られている場所では、世界的に広がったロックダウンによって、水路の交通量が激減し、イルカたちにとって絶好の遊び場となっています。そのほかには、ライオン、サル、フラミンゴなど多くの動物たちの今までにない大規模な群れが見られたとの報告もあります。絶滅危惧種の動物が増えているといった研究結果も続々と上がってきています。いずれにしても、人類の行動の制限が地球上に住むあらゆるほかの動物の生態系にも影響をもたらしていることは確かです」
画面は、ヴェリア国の水路で遊ぶイルカの群れや、大規模な動物の群れの映像に切り替わり、その後、再び御坂教授に戻った。
「この現象について、専門家の方々からはどんな意見が話し合われていますか」
「今まで、人類という足かせがあってバランスをとってきた生物界が、ある意味自由になったわけですから、均衡が保てなくなり、ある生物は増えすぎて食料が不足し狂暴化することも考えられます。アーテムウイルスがもたらした現在の状況を人間と野生動物の共存のあり方について、重要な洞察できる絶好の機会と考える研究者も少なくありません。人間の行動制限の影響がアーテムウイルス流行の前と後でどのように変化するのか、詳しく研究することが求められています」
「人間と野生動物との共存、我々も頭において、生活していくべきですね。本日はありがとうございました。晴明大学教授、御坂先生でした」
「ありがとうございました」
つづきはこちら