雷の刻印【全8話】 5.解毒
朝早く子分が倉庫の鍵を開けると、リザルがただ一人だけ座って、泣きじゃくっていた。
「娘、あのアキアーノはどこに行った!」
子分は驚き、娘に向かって怒鳴った。
「あの人は……優しい言葉をかけて私をだましたのです。私からシークレットチェストの合言葉を聞くとあの窓から私をおいて逃げたのです……なんて……なんてひどい人……」
そういって、縄はしごが垂れた窓を指さすと、リザルはまた泣きじゃくった。
「大変だ、ボスっ!」
血相を変えて子分は出て行った。子分が出ていくのを見て、リザルは今まで泣いていたのがウソのようにケロっとした表情になり、賊が開け放って行ったドアの後ろに声をかけた。
「出てきていいわ」
俺は隠れていた扉の後ろから出るとリザルに手を差し出した。
「さあ、逃げよう」
俺は彼女の手をしっかりと握った。決して離さないと心に決めて。
◇ ◇ ◇ ◇
俺は連れてこられるときに、アキアーノという仕事柄、大体の船の構造を把握していた。シークレットチェストが運び込まれた部屋も、ボスの部屋も見当がついた。
俺が逃げたと勘違いしたやつらはシークレットチェストの部屋に慌てて駆け込んでいるだろうと予想して、船の一部に倉庫にあったマッチで火を放ち、彼女と一緒に船尾に移動した。
やつらが船火事で混乱している隙に、俺は船尾にあった小舟を手早く海に浮かべ、縄はしごを垂らすと彼女に降りるよう促した。
そう、そこまでは順調だった。あと少し……。彼女が縄梯子に移ったその時、気付いたやつらが俺を取り囲んだ。
「その娘を渡せ」
「お断りだな。お前らこそ、この街のアキアーノを侮るな!」
そこから格闘が始まった。やつらは所詮、チンピラ海賊。まともな戦い方を知らないのか、やたらめったらと、ダガーを振り回す。そして多少戦闘の経験のある俺はただの棒きれだったが、なんとか応戦した。
それでも、戦いは五分五分だった。
「あんただけでも逃げろ!」
俺は縄はしごに移ってからも動かないリザルに叫んだ。しかし、
「嫌です。一緒じゃなきゃ嫌です」
頑なにそう言って動こうとしなかった。だが、多勢に俺一人、次第に俺は追い詰められた。ひとつ、ふたつ。あちこちにダガーに切り付けられ、切り傷が増えた。それでも彼女だけは命に代えても守りたかった。奴らのダガーがとうとう俺の左腕に大きな切り傷を作り、もう駄目だと思った時だった。
ドガーン、ドガーン
大砲の音がした。音のする方角を見るとホッシビリタの旗を立てた大きな船がこちらに向かっていた。ホッシビリタの騎士団の船だ。その船の先頭で、こちらを指さして大声を出しているのは、執事のじいさんだった。
◇ ◇ ◇ ◇
そのあと……
ホッシビリタの騎士団が船に乗り込み、チンピラ海賊たちは一網打尽に捕えられ、俺たちは助かった。
とりあえず近くの港へ行き、俺とリザルは身体を休めることにした。
執事のじいさんは、俺の想像した通り、泳いでいたところを他の船に助けられ、俺たちを探してくれたのだそうだ。全く、しぶといじいさんだな、と俺はじいさんに向かって笑った。
じいさんは言った。
「お嬢様が倒れた原因の薬ですが……。あなたに聞いた『フェンチル』という名前を頼りに薬について調べました。やっとどんな薬かもわかり、ここに解毒剤も持ってまいりました。呪いをかけた魔女よりも上級の魔法使いが作った解毒剤です。今、お嬢様はその魔法使いから解毒剤をもらっているのでもう大丈夫でしょう。二十四時間以内にお嬢様は正気に戻るはずです」
「え……」
じいさんの視線の先の方向を見ると、今まさに、リザルが紫色の衣を着た魔法使いから手渡された瓶から薬を飲んでいるところだった。飲み終えて、彼女は軽くむせていた。
「そうか……解毒剤を飲んだのか……」
彼女を遠くに見ながら、受けた腕の傷よりももっと強い、胸がつぶれるような痛みが胸の中を貫いていくのを感じた。
―― 正気にもどる ――
じいさんの一言が、胸に突き刺さった。
そう、リザルは正気ではなかった。明日になれば、解毒剤が効いて彼女には普通の生活が待っている。彼女の大好きで大切な人たちと祈りをささげながら過ごす平穏で幸せな日々。だが彼女の明日からの生活の中に俺の姿はない。そうして彼女は俺のことなど、いつか忘れてしまうのだろう。
四日前まで当たり前であったことが、言いようもない痛みと悲しみとなって、俺の心を強く締め付けた。
傷の治療をしてもらい、テントから出ると、そこにリザルが立っていて、彼女から少し離れたところに騎士団の団長が立っていた。
俺の姿を見るとリザルは相変わらずまだ薬が効いているのだろう、深くお辞儀をしてから頬を赤く染めた。でも、それも薬が切れるまでの間だ……。
「おケガは大丈夫ですか?」
「ああ、かすり傷だからな」
そこで俺たちの会話は止まってしまった。しばらくの沈黙のあと、俺はいった。
「あんた、解毒剤飲んだんだってな」
するとリザルは悲しそうに目を伏せた。
「解毒剤だと知っていれば飲みませんでした……。元になど……戻りたくありません」
俺はリザルに向き合った。
「あんた、俺に聞いたよな? あんたの気持ちは俺には負担にしかならないのかって」
「はい」
リザルはいつも俺に正直に気持ちを伝えてくれた。
いつもまっすぐな瞳で俺を見つめてくれた。
彼女の想いとそのまなざしが薬で作り上げられた紛い物だったとしても、彼女に薬が効いているうちに俺はちゃんと答えるべきだ。
俺は一度空を見上げてから、大きく息を吐き出してから言った。
「あんたの気持ちが、薬のせいなんかじゃなく、もしも本物だったら……どんなに嬉しかっただろうと……何度も思ったよ。何度も……何度も……。そして今でもな。それが……俺の答えだ」
リザルはハッとして俺の顔を見て何か言いかけたが、団長が遮った。
「お嬢様、参りましょう。旦那様と奥様がお待ちです」
「待って、私はドゥオ様と話があるの!」
リザルは叫んだが、団長はこれ以上ここにいてはいけないと思ったのだろう。俺に申し訳なさそうに一礼すると腕をとり強引に彼女を連れて行った。
リザルは何度も何度も振り返り、悲しそうな声で俺の名を呼びつづける。俺はその場に立ちつくして、そんなリザルの姿を目に焼き付けることしかできなかった。
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