短歌連作「専門学校生Aとコンビニ店員Bの贖罪」
「純愛の繭」をきっかけに取り戻しつつあるこの作風について、おまけ的に少し書いています。お時間ある方は、ぜひ最後まで読んでもらえたらうれしいです。
短歌連作「専門学校生Aとコンビニ店員Bの贖罪」
嘘だ嘘だ傷つけられればられるほど優しくなれる?じゃあ試そうよ
傷つけて優しくなったとかじゃない錆びたナイフのおかげで僕は
傷口に砂糖と塩とアルコールきっと料理なら美味しくなれた
どうかどうかいっそう優しくソテーして君の犬歯が要らないくらいに
やめてくれ赤く焼けてる靴を履き綺麗になんて舞わないでくれ
君からの「いただきます」が降り注ぐ牛肉豚肉鶏肉 ずるいよ
君がただ「ご馳走さま」をくれたなら僕らは全てを止められるのに
ふと浮かんだ言葉は、会話みたいで。
非現実的なくせに、所々、妙にリアル。
私の頭の中でしゃべっている君たちは、誰なんだろう。
1首、2首と重ねるたび、それは輪郭を持ち始めて。
貴方には、どんな二人の姿が見えたでしょうか?
…そんな短歌連作でした。
読んで頂き、ありがとうございました。
「純愛の繭」から知って頂いた方は、
「ははーん、コイツはこういう手口なんだな」
なんて思っておられるかもしれません。
まったくその通りで、間違いなく源流はこれなのです。
物心つき始めた頃、真っ新な瞳に刻んだのは、テレビドラマ「六番目の小夜子」の美しさと怖さ。
多感な時期には、乙一さんと嶽本野ばらさんを浴びて元気に育ちました。
中高生の頃は、そんな小説ばかり書いていたような気がします。
幼稚さと拙さも相まって、所詮は中二病。
大人に近づくにつれ、小綺麗で当たり障りない文章へ変わっていきました。
小説も脚本も、書きたい、とかじゃない。
その時々、求められるものを精一杯書くだけ。
仲間の事情や環境の制約で、できること・できないこと。
折衷案と折衷案をうまく繋げて、可能な限り丸く治めること。
働くって、生きるって、大変だから。
個性や感性を程よく切り捨てて、身軽になった気でいたのかもしれません。
それこそが、私を大人たらしめるのだと、信じたかったのかもしれません。
失ったものをもう一度取り戻したくて、かつての言葉を一つ一つ拾い集めるような日々を過ごしていた時。
心に滲んだ、真っ赤な真っ赤な、一つの沁み。
このアイデアなら、このヒロインなら…
”あの頃の私”が書いてもいいんじゃないか。
数日で第一稿が書きあがり、小説やマンガが好きな数名に見てもらうと…
「もっとやれ」
「もっとほしい」
もっともっと…と、筆が乗りました。
そうして完成したのが「純愛の繭」です。
それなりに年を重ね、様々な経験を積んだ今だからこそ、ただの中二病の黒歴史ではない、このテイストの文章が書けるのではないか。
作風の一つとして物にできるよう、引き続き精進していきたいです。
いやー、この手の短歌も好きですね。
X(旧Twitter)で、色々な人の作品をずっと眺めてしまいます。
闇も狂気も、この文字数でしっかり受け止めてくれる懐の深さ。
書きすぎない、書けないからこそ生まれる想像の余地が、底知れない影を余計に際立たせるというか…。
初心者の素人ながら、短歌と闇や病みとの相性の良さを感じている今日この頃。
昨夜の雪は、少し溶けたようです。
たておきちはる