人には人の年末年始【2023.12.30~2024.01.05の日記】

2023年12月30日(土)

 旅行から帰宅した翌朝。旅行中は早寝早起きをしていたので、急に生活のリズムが人間らしさを取り戻す。朝7時前に目覚め、清々しい気持ちで洗濯をする。

 旅行から帰ってきた翌日の洗濯が好きだ。洗うものがたくさんあるので腕が鳴る。天気もいい感じに晴れてくれたので、思いきり洗って思いきり干す。テレビの天気予報では、本日は11月下旬の陽気で暖かくなるでしょう、と言っていた。わたしは寒がりなので暖かいのは嬉しいけれど、あまり年末という気がしない。

 スーパーで買い物をして、駅前の生花店でお正月用の花を買って帰る。買ったブーケをエコバッグに入れたら、スーパーで買った長ネギがブーケとシンクロして、お正月飾りの一部みたいになっていて思わず二度見する。なんというか、門松の竹の部分みたいな雰囲気をかもし出していた。なんで「わたくしも花束でございます」みたいな顔してるんだ、長ネギだろおまえは。

 帰りのバスに乗っていたら、途中の停留所から乗ってきた人のスマホライトがつきっぱなしだった。ああ~まぶしくなっちゃってるよ、しかも充電も早く減っちゃうよ~。ライトついてますよって教えてあげたい、でも席が離れているからわざわざ伝えにいくのも何だしな~~と遠くからソワソワしていた。わたしがバスを降りるときまでライトがつきっぱなしだったら、降りるついでに伝えられるかなあと思っていたけれど、その人はわたしより早く、ライトをつけたままで降車していった。

2023年12月31日(日)

 昔から、赤いセーターが好きだ。色彩が暗くなりがちな冬の服をパッと明るくしてくれるし、クリスマスにもお正月にも、2月のバレンタインデーごろの気分にも合う。いま数えてみたら、赤いセーターだけで4着持っていた。4着も! 少し前に『フランス人は10着しか服を持たない』という本がはやったけど、わたしがフランス人だったら、10着のうち4着が赤いセーターで占められてしまうところだった。永遠にフランス人にはなれそうにない。

 夫とふたりでお昼に年越しそばを食べてから、近所のスーパーへ食材の買い出しに行く。帰りに、近所の公園を通って散歩する。金管楽器(クラリネット?)の練習をしている人がいて、その音色が公園のどこからか流れて聴こえてくる。演奏している人の姿は見当たらない。アラジンの曲「A Whole New World」の練習をしていて、大みそかの穏やかな夕暮れの公園によく似合っていた。途中で見かけた犬の数、25。リスの数、3。

 夕食は夫が担当してくれた。紅白歌合戦を観ながら、我が家の今年の10大ニュースを書き出す。毎年大みそかに、A4の紙にその年の出来事をランキング形式で書いていくというのが、結婚以来の我が家の恒例行事になっている。今年は、わたしが「日記ワークショップにハマる」が第5位に、「ポケモンスリープにハマる」が第7位にランクイン。地味なランキングだ。

 紅白が終わったら、Eテレの「2355&0655 年またぎスペシャル」にチャンネルを変える。昔、この「2355(ニイサンゴーゴー)」という23時55分からの5分番組が大好きで、毎日これを観てから寝ていた。今はもっと早い時間に寝ているから2355は観ていないけれど、大みそかのスペシャルだけは欠かさず観ている。年が明けてすぐの「たなくじ」というコーナーを毎年楽しみにしている。

 「たなくじ」は、爆笑問題・田中がおみくじのようなボードを持った画像がフラッシュで移り変わるので、視聴者が各自のスマホで写真を撮り、そこにたまたま写ったボードがあなたの本年の運勢です……という遊び。今年のわたしの「たなくじ」は、「もち吉」だった。

粘り強い吉!

 ごくまれに、爆笑問題・太田がおみくじボードを持っている画像も入り込むんだけど、一度も写真を撮れたことがない。ぜひいつか太田バージョンの写真を撮ってみたいと思っている。

 というわけで年をまたいだので寝ることにする。今年もよろしくお願いします。

2024年1月1日(月)

 北風の強い2024年元日。「ZINE制作のスペシャリスト」を名乗る女性講師による、ZINE制作セミナーを受講する夢を見て目覚める。夢の中で講師の女性は、「ZINEは短ければ短いほどいい」「目次は3行におさめなさい」と、うさん臭い情報商材屋のようなことを言っていた。ZINEを作ったことのないわたしでも「そんなことはないだろ」と思うような内容のセミナーだったけれど、夢の中のわたしは「そうなんだー」とわりと納得しながら聞いていた。そんな夢。

 お正月は毎年、夫がお雑煮を作ってくれるので、わたしはニューイヤー駅伝をなんとなく観ながら、洗濯をしたりアイロンをかけたり、日記を更新したりする。昼過ぎ、夫と公園に散歩に行く。日差しは暖かいけれど北風が強かった。それもあってか、誰かの揚げた凧が木に引っかかって取れなくなっていた。冬休みの公園定番の光景。途中で見かけた犬の数、23。リスの数、1。

 そのまま近所の神社に初もうでに行く。初もうでなんて言っているけれど、1年間でお正月の一度しかこの神社に足を踏み入れないので、年イチもうでと表現したほうが正しい。絵馬のコーナーを通ったら、人間用の絵馬とは別に、ちょっと小さめのペット用の絵馬というのがあった。ペットにまつわるお願いはこっちの絵馬に書くらしい。

 帰ってきたら、テレビで地震のニュースをやっていた。この辺りも揺れたようだけれど、全然気づかなかった。津波警報が出ていて、避難を呼びかけるメッセージが何度も何度も繰り返される。こんなにお正月気分が吹っ飛ぶシチュエーションもそうそうない。急に気持ちが現実に戻されるようだった。夫が新潟に住む知人と連絡を取ろうと試みていて、無事が確認できたらしくホッとしていた。

2024年1月2日(火)

 曇りがちな正月2日の朝。昼前には雨が降ってきた。朝、起きたら能登地域の被害状況がだんだん明らかになってきていて気分が落ち込む。わたしには何もできない……と落ち込むときは、寄付をするとよいと聞いたので、無職だけどしかるべき団体に義援金を送ろうと思う。日本赤十字社は受付準備中だった。Yahoo!ではもう基金が立ち上がっている。どこに募金するかあとで考えよう。

 この日は朝からずっと箱根駅伝を見ていた。お正月に箱根駅伝を見始めると、もう何もできなくなってしまう。だから今年こそ、箱根駅伝を卒業しよう卒業しようと思っていたのに、結局朝5時半に目が覚めてしまい、早朝にやっている特別番組「箱根駅伝 絆の物語」から見始めてしまう。

 特に応援している大学があるわけでもないし、陸上競技にこれといった思い入れもないのに、なぜこんなに熱心に見てしまうのか、自分でもわからない。ずっと解説をしていた碓井さんは、2年前に亡くなってしまった。それがいまだに悲しい、碓井さんの解説が大好きだったから。1区、選手たちが品川を過ぎたあたりで夫が起きてきて、テレビの前から動けなくなっているわたしのために餅を焼いてくれた。

 結婚して横浜に住むようになってから、2区と9区はいっそう熱心に見るようになった。普段、バスや徒歩でよく通る道が、選手たちの走るコースになっているからだ。見慣れた街の見慣れた道路が、駅伝コースとしてテレビに映っているのが新鮮だ。

 数年前、選手たちが通過したほんの数時間後に、コースになった道を通ったことがある。まるで何事もなかったかのように普段の様子を取り戻していて驚いた。読売新聞の旗ひとつ、メガホンのひとつも落ちておらず、テレビで見た喧騒が嘘のようだった。

 3区が始まったあたりで、夫は元気にテニスをしに行った。テニス仲間にお年賀を配るんだと言って、よなよなエールをたくさん持って行く。わたしはもう家から出る気力を失い、公園に散歩に行くのも諦めて、ただただ箱根駅伝を見続けた。

 小田原のあたりから雨が降り出した。箱根駅伝で雨が降っているのを見るのは珍しい気がする。テレビの解説によると、5区の山登りで雨が降るのは2006年以来のことらしい。エアコンをきかせた暖かい部屋の中でぬくぬくしながら、選手たちが薄着で雨に濡れながら山を駆け登るのを見る。夫がテニスから帰ってきて、テレビの前から動けなくなっているわたしのために昼食を用意してくれた。

 5時間以上も箱根駅伝を見続けたわりに、これといった感想がない。青山学院大学すごい強かったですね、とかそのくらいしかない。だからもういいかげん見るのをやめればいいんだけれど、結局毎年見てしまう。なんなんでしょう。惰性という言葉で片付けるには思い入れが強すぎる気もする。わたしは惰性だけで正月2日から朝5時半に起きられるタイプではない。テレビ画面を見続けるのも、本来はかなり苦手だ。

 何で箱根駅伝だけは見続けてしまうんだろう。子どもの頃の、楽しかったお正月の記憶と結びついているから? でも実家で箱根駅伝に思い入れがあるのはわたしだけだ。両親と妹は、面白がってわたしにつき合ってテレビを見てくれていただけだ。いまも、夫が面白がってテレビ観戦につき合ってくれている。

 箱根駅伝が終わったら本を読んだりしようと思っていたのに、地震のニュースを見たりXを見たりしていた。推理小説を読みかけたけれど、ぜんぜん集中できなくて、結局は昼寝をしてしまう。気づいたら日が暮れて、夜になっていた。怠惰を極めた正月2日。大学生たちが頑張って大手町から箱根の芦ノ湯まで、100キロメートルの道のりを走り抜けたこの日、わたしの歩いた歩数はたったの84歩(iPhone調べ)でしたとさ。

2024年1月3日(水)

 朝6時に勢いよく目覚め、箱根駅伝・復路直前特集を観る。青山学院大学・原監督の発言に自信が満ち溢れており、青学の総合優勝を確信する。

 ランナーが8区に入った辺りで家を出て、神奈川県内にある夫の実家へ向かう。我が家からは電車を乗り継いで1時間半くらいの距離。行きの電車はとても空いていて、座席がポカポカと温かく、がっつり寝てしまって最寄駅で夫に起こされる。

 夫の実家へ行っても、わたしは特にすることがない。今年中学生になる姪っ子ちゃんは、ジジババの家でもほとんどゲーム機から顔を上げないし、ゲームをしていないときはスマホを手から離さない。

 そんな姪っ子ちゃんの子どもらしさが、わたしにはまぶしい。自分が子どもらしくないタイプの子どもで、周囲の大人から「子どもらしさ」を押しつけられるのが大の苦手だったから。姪はとても子どもらしくわがままで、素直で明るく自由奔放で、そうかと思うと彼女なりに大人に気をつかっていたりする。そういうところも含めてとても子どもらしい。羨ましい、わたしも彼女くらい子どもらしい子どもになりたかった。いまは大人なので、誰からも「子どもらしさ」を押しつけられないので気が楽だ。子ども時代は本当に苦しかった。「子どもらしさ」の重圧に比べたら、「大人らしさ」の圧なんて大したことない、なんとでもなる。
 
 ニンテンドースイッチに夢中な姪っ子ちゃんは、今年はまだギリギリ、大人たちと一緒にカードゲームもやってくれた。「カタカナーシ」というカードゲームと、トランプで七並べとババ抜き。七並べもババ抜きも、半分寝ながら参加している義父がなぜかいの一番に上がり、あまりの強さに「無欲の勝利だね」とみんなで盛り上がる。家に帰り着いたのは深夜12時前。疲れていたけれどどうしてもお酒が飲みたかったので、缶チューハイを飲んで深夜2時ごろに眠りについた。

024年1月4日(木)

 夫のお正月休み最終日。横浜市内にある庭園、三溪園まで出かけることにする。

 三溪園は、原三渓という生糸の輸出で財を成した実業家の元・私邸で、広々とした池と日本庭園、重要文化財に指定されている家屋などがあり、一般に解放されている。入場料は今まで大人500円だったけれど、昨年末に800円に値上がりした。毎年1月1日からオープンしているので、最近は毎年、正月休みの間に一度は訪れている。

 例年、元日でもそれなりに人のいる三溪園だが、この日はがらんとしていた。園内にいる人の数より、池にいるカモの数のほうが圧倒的に多かった。途中で見かけた犬の数、4。猫の数、1。和装でウェディングフォトを撮っているカップルの数、2。

2024年1月5日(金)

 新年最初の生ごみの日である金曜日。我が家は昨年末の最後のごみの日に旅行に行っていたため、2.5週間分くらいの生ごみが溜まっている。7時半頃に夫とごみを出しに行ったら、すでにマンションのごみ収集スペースはいっぱいで、ネットの中にギリギリ入れることができた。

 そのままひとりで公園へ散歩に行く。久しぶりに公園内にある梅園を通ったら、早くも2本の梅の木が花をつけていた。木についている名札によると、「八重寒紅(やえかんこう)」という紅梅と、「一歳(いっさい)」という白梅。この公園は、近所では桜の名所として知られているけれど、梅もなかなか見応えがある。あとひと月もしたら、今は誰もいない梅園も、人で溢れかえるようになる。途中で見かけた犬の数、12。木に引っかかっていた凧の数、4。

 夫はこの日が仕事始め。夕方、仕事を終えた夫と散歩を兼ねて遠くの書店まで歩いていく。柴崎友香さんの『続きと始まり』(集英社)を買い、近くのサイゼリヤで夕食を食べる。賑わうサイゼリヤの中でこの日記を書く。

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