毎日長々と日記をつけているのに、読み返しても特に感慨がない【2024.01.06~2024.01.12の日記】

2024年1月6日(土)

 よく晴れて暖かい土曜日の朝。起きて日記を更新してから、夫と出かける。目的は神奈川県立近代美術館 葉山でやっている「移動するモダニズム」展。JRで逗子駅に向かう。途中までは電車がすごく混んでいたけれど、鎌倉駅でみんな降りた。たぶん鶴岡八幡宮へ初詣に行くのだろう。逗子駅から美術館へはバスで向かう。葉山の街はいつ来ても道路が混んでいて、住人の人は大変だろうなと思ったりする。

 「移動するモダニズム」展は、「100年前の未来」という副題がついている。1920-30年頃の国内外のアーティストたちが、当時の最先端の芸術表現を追求していったさまが紹介されている。映像資料として、1923年の関東大震災直後の映像と、その6年後くらい、すっかり復興した東京の街の映像があった。横浜の、よく見慣れた地域も映っていた。能登地域の地震のこともあり、とても他人事とは思えず見入ってしまった。そしてその6年後の映像を観て、あまりの復興の速さに当時の景気の良さをひしひしと感じた。

 展示では、1920年代の上海で、作家の魯迅が主導したという木版画運動を扱ったコーナーがあった。魯迅という人は作家であるばかりでなく、社会運動を広めるための手段として木版画を推進していたらしい。

 その魯迅によるグループの作家の作品がたくさん紹介されていた中に、暗い部屋で男がひとり、デスクライトに照らされた机に突っ伏している木版画があった。タイトルは、「金は使い果たしたし、家にでもいるか」。そのタイトルに共感しすぎて、哀愁あふれる男の背中から目が離せなくなってしまった。わたしには机に突っ伏しているように見えたけれど、背中しか見えないから、もしかしたら本を読んでいるか手帳に書き物でもしているのかもしれない。金がないから家で過ごす、そういう週末あるよね~。

 同じ作家の作品で、女性が無の表情でソファに仰向けに寝転がっている木版画もあり、こちらのタイトルは「疲れた」だった。わかる~。あと「十字路で迷う」というタイトルの作品もあり、何度行っても方向感覚を失ってどっちに行けばいいかわからなくなる神保町の交差点を思い出したりした。1933年に作られた中国の作品に、やたら共感を覚えてしまった。

 美術館の中庭にはこけしのような彫刻が2体、コンビのような面持ちで並んでいて、わたしはこの彫刻がとても好きだ。見ていると、なんとも穏やかな心持ちになる。わたしは信仰心の薄い人間だけど、仏像に手を合わせる人はこんな気持ちなのかもしれない。いま調べたら、これはイサム・ノグチの作品で、タイトルは本当に「こけし」というらしい。

背後に、仲間に入りたそうな顔でこっちを見ている灰色の彫像がいるのにお気づきだろうか

2024年1月7日(日)

 三連休の中日、日曜の朝。この日は一日、妹と遊ぶ予定になっている。駅前のジョナサンでご飯を食べながら、とりあえずお互いの近況を報告する。妹にこの日記ワークショップのことや、月日という日記専門書店の存在について話したら、大いに面白がっていた。調子に乗って、ワークショップメンバーTさんのとある日の日記がいかに面白かったか、妹に熱弁する。妹は、8日まで怒涛の12連休の真っ最中で、休み明けから新しい部署に異動するとのこと。話を聞く限り、妹らしいキャリアを順調に築いているようで安心する。

 お昼を食べてから、一緒にボルダリングジムに向かう。初めて行くジムだったけれど、初心者課題を一生懸命登っている妹にも常連さんたちが「ガンバ」の声かけをしてくれたりして、雰囲気のいいジムだった。

 ボルダリングではなぜか、登っている人が難局に差し掛かると「ガンバ!」、そこがうまくクリアできると「ナイス!」の声が周囲からかかる。「がんばれ!」ではなく「ガンバ!」である。これはたぶん全国共通の文化だと思う。その日たまたまジムに居合わせただけの、誰だか知らない人であっても、頑張って登っている人に対して声援を送る文化があるのは、最初はびっくりしたけれど素敵なことだなと思う。でもなんで「がんばれ」じゃなくて「ガンバ」なのかはわからない。

 登り終えた後は、ふたりで口々に「腕がだるい」「指先に力が入らない」「脚もだるい」「階段を降りるのがつらい」と言い合いながら駅まで戻り、駅前の居酒屋で乾杯をした。

2024年1月8日(月)

 三連休の最終日。前日に妹と遊んで疲れたので、朝は10時ごろにゆっくりと起きる。すでに夫はテニスに行っていて不在だった。溜まっていた洗濯物を片付けて、日記を書いているうちに夫が帰ってくる。

 夫はおいしい食パンを買って帰ってきた。お正月に義実家に帰ったとき、夫のお母さん手作りの柚子ジャムをいただいてきたので、それをおいしい食パンにつけて食べよう!という話をしていたのだった。買ってきてくれたのは嬉しいけれど、グレープフルーツジュース1リットルパックが上に乗っかってしまったらしく、ふかふかの食パンが哀れな形に押し潰されていた。それを見た夫が変な悲鳴をあげる。

 仕方ないのでわたしが食パンの蘇生を試みる。以前にワークショップメンバーSさんが、日記で「ピザの蘇生が特技」と書いていらしたその言い回しが大好きで、わたしも何か食べ物を蘇生してみたかったのだ。食パンを包んでいるビニール袋の上から、あっちを押したりこっちを押したりしてみるけれど、潰れてしまった食パンはなかなか蘇生しない。虫の息といった感じである。もはやこれまで、と、あとは食パンの自己治癒力に任せることにする。要は放っておくことにした。

2024年1月9日(火)

 ダルビッシュ有選手とスタバでデートする夢を見て目覚める。夢の中で、ダルビッシュ選手の隣りには盛大に食べ散らかし飲み散らかしている女性が座っていて、テーブルの上をゴミだらけにしたあげく「もう時間がないから行かなきゃ」と言っていた。それを聞いたダルビッシュは、「いいですよ、僕が片付けておきますから」と言い、嫌な顔ひとつせず、その女性のテーブルを片付けていた。なんて紳士的な態度! 野球もできる上に人としてもできている! しかしさすがにこれはわたしの願望(?)が反映されすぎている。そんなダルビッシュの隣りで、夢の中のわたしは、「有さんは(なぜか有さん呼び)顔が小さくてスタイルがいいから、一緒にいるとわたしの顔のデカさが目立っちゃうな~」とくだらないことを考えていた。本当にくだらない、心の底からどうでもいいことを考えている自分に、夢の中とはいえウケてしまう。そんな火曜の朝。

 朝食を食べようと、前日に蘇生に失敗した食パンを見たら、あんなに哀しげに潰れていたのがかなりふっくらと回復していた。食パンの自然治癒力に感動する。感動ついでにトースターで焼いて、義母お手製の柚子ジャムを塗って食べる。おいしい。義母にお礼のLINEを送っておく。ちいかわの栗まんじゅう先輩が怖い顔で「ありがとうございました」と言っているスタンプも送っておいた。

2024年1月10日(水)

 在宅勤務中の夫と、近所の日高屋に昼食を食べに行く。わたしは中華丼、夫は中華ちゃんぽんを食べた。中華丼はご飯、ちゃんぽんは麺という違いはあれど、上に載っている具材はたぶんまったく一緒だった。

 隣の席に、スーツ姿の男性2人がやってくる。何しろ隣席との距離が近いので、話の内容がよく聞こえる。ふたりは子どもの習い事の話をしていた。わたしの斜め前に座っている人が、今はもう子どもだけで通えるけれど、まだ小さかった頃は送り迎えが本当に大変でね……という話をしているうちに、彼らが注文した料理が来る。料理が来て少し会話が途切れたな~と思った次の瞬間、わたしの斜め前の人が「じゃ、ごちそうさま。先に行ってるぞ」と言って席を立ち、自分の分だけお会計をして去っていった。料理はきれいに完食されている。

 えっ、食べるの早すぎじゃない? 思わず夫と顔を見合わせて唖然としてしまった。この食事の異常な速度感、なんだかすごく既視感がある。そう、ポケモンスリープでカビゴンがごはんを食べるときの速度と一緒だよ! カビゴンは料理をお皿ごと口の中に放り込んで、もぐもぐもぐと数回咀嚼して笑顔で食べ終わる。わたしは毎日3回カビゴンにせっせとごはんを与えているからよく知ってるんだ、あれはカビゴンにしか出せない速度だよ。あのスーツの人、ひょっとしてカビゴンが人間に擬態してたんじゃないの? さすがにお皿は食べてないけど(当たり前だ)、あの食べる速さは只者じゃないよ。カビゴンだとしか思えない。私は「ポケスリ新規」なので、ポケモンスリープにハマっているわりにはポケモンの世界観のことをよく知らない。だからカビゴンに、人間に擬態する能力があるのかどうか知らない。でも、そのくらいのことはできそうじゃない? だって奴ら、かわいい顔をしているけれど「モンスター」と呼ばれる存在だぜ? あまり舐めてかからないほうがいい。

 この日は他に、日記屋 月日さんから届いた皆さんのアンケート回答を読んで、改めて自分の日記を読み返すなどしていた。せっかくせっせと日記をつけているのに、あまり自分の日記を読み返していないことに気づいたので。

 というわけで読み返してみたんだけど、特に発見も気づきもなかった。毎日大した活動はしていないくせに、日記だけは異常に長いな……と思っただけだ。でもまさに今書いているこの日もそうだけど、大したことのない日ほどわたしの日記は長くなるのかもしれない。大したことのない日は、思考があっちこっちに飛びがちなので、そういう思考のログこそ記録しておきたいタイプのわたしとしては、書くことが増えるのかもしれない。だって仕事が忙しくて昼食もろくに食べられないような生活を送っていたら、隣で食べているサラリーマンがひょっとしたらカビゴンかもしれないな?とか考える余裕ないもの。

2024年1月11日(木)

 ゴミを捨ててから公園に散歩に行く。梅園では、つぼみがほころび始めている梅の木がまた少し増えていた。帰りにパン屋に寄ってパンを買って帰る。途中で見かけた犬の数、7。

 午後から、行きつけの美容院へ髪を切りに行く。切ってもらうついでに、最近になって如実に目立ってきた白髪問題について、担当の美容師さんに相談する。できればわたしとしては、白髪は染めて隠したりするのではなく、ナチュラルなままでいきたい。でも実際に白髪が目立ってくると、耐えられなくなって染めてしまう。いっそいきなり真っ白になったりしたら逆にグレイヘアでいく覚悟が決まりそうなものだけど、たぶん髪質的にわたしは美しい白髪にはならなそうなんですよね……というような話をした。

 美容師さんはわたしと同年代の男性で、わたしが結婚して横浜に引っ越してきて以来ずっと担当してもらっている。途中、中目黒の美容院に浮気していた時期もあったけれど、コロナをきっかけにヨリを戻し、元さやに戻った。

 その担当美容師であるイトウさんは、染めたほうがいい・悪いというのは完全に個人の好みだから、僕からは何もアドバイスできないな~と言いつつ、「でも白髪がやけに気になる、悪い意味で目立つというとき、たいていは白髪の量や本数が問題なのではなく、根元が染められないまま放置されているとか、髪全体がパサついているとか、白髪以外のところで髪に気が行き届いていないのが問題だと思うんだよね」と話してくれた。

 なんだかいきなり本質的な解答を得てしまった気分になる。いや本当にそうなんだよね、白髪自体に問題があるわけではないのよ、髪に手がかけられていない(それはつまりセルフケアをする時間的・金銭的・精神的余裕がない)とき、そこに白髪があると何だか白髪ばかりが悪目立ちするのよ。それが嫌なのよ。だったら自分の髪にもっと手をかけてあげればいいわけなんだけど、それって何だかルッキズム的な思想の強化につながってないか? 自分の見た目は自分で決めていい、とはいえ、自分の見た目には自分で責任を取らねばならない、となると話は変わってくる。自己責任論的になってくる。

 はあ、それでわたしはどうしようかな。この白髪問題はわたしにとって、思ったより根が深そうだ。とりあえずヘアマスク的なものを買って帰ろう。髪がサラサラしていると気持ちがいいしね、うん、そうしよう。その他のことはまたいつか考えよう。

2024年1月12日(金)

 ビボ ベアフットというベアフットシューズを一足持っている。ベアフットシューズは底の薄い、裸足で歩いているような歩行感が売りの靴で、本来の人間が持つ足裏の筋力を鍛えられる、らしい。

 8年くらい前、ボルダリングを始めたばかりの頃、ジムで出会った常連さんに「あなた、足裏の筋肉が弱すぎるね」と指摘されたことがあり、衝撃を受けた。それまで、足裏の筋肉なんて意識したこともなかった。そりゃ足の裏にも筋肉がありますよと言われたら、まあそうかもしれませんね、とは思うけれど、自分の足裏の筋肉が強いのか弱いのか、どうしたら鍛えられるのか、考えたこともなかった。以来ベアフットシューズに興味を持つようになった。

 わたしの持っているベアフットシューズはとても底が薄く、これを履いて歩いていると、普通のスニーカーを履いているときの倍くらい疲れる。普段、いかに靴底のクッションに歩行をサポートしてもらっているかを実感する。あと、ドスンドスンと雑に歩くと、かかとが痛くなる。なのでバレエダンサーのように、足裏のアーチを生かして丁寧に歩を運ぶ必要がある。

 この日、とても久しぶりにこのベアフットシューズを履いて公園へ散歩に行った。日記を始める直前まで数ヶ月の間ずっと気力がなかったから、わざわざ疲れる靴を履くような元気がなかった。というかそもそも数ヶ月前までは、散歩に行こうという気も起きなかった。この靴を履いて散歩に行こうと思えたのは、わたしなりにだいぶ元気になってきたことの証しなのかもしれない。

 朝の公園は寒かったけど、最近よく見かけるかわいい犬(白い長毛のマルチーズみたいな犬種で、水色に白いドットのついたお洋服を着ている)が、サンバイザーをつけてお散歩していたのを目撃したので得した気分になった。途中で見かけた犬の数、14。

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