餅を焼く、区役所が苦手、爪を黒く塗る【2024.01.27~2024.02.02の日記】

1月29日(月)

 朝から餅を焼く。オーブントースターで餅を焼く。もう何年も前の話だけど、夫が食パンを焼くためにオーブントースターを買いたいと言い出したとき、最初、わたしは反対した。たいていのものはフライパンで焼けるし、わが家はトースターが必要なほど食パンを食べないし。でも経緯は忘れたけれど結局は買った。買って、使ってみて、いまでは心から夫に感謝している。オーブントースター最高。食パンはカリッと焼けるし、ピザだって小さいサイズなら焼けちゃうよ。バターロールだって、ちょっと焼くだけでとってもおいしく食べられる。ありがとうオーブントースター。

 でもいちばん好きなのは、オーブントースターで餅を焼くことだ。オーブントースターがその本領を発揮するのは、餅を焼いているときだと言っても過言ではない。もはやオーブントースターというより餅焼き機とお呼びしたい。餅を焼くのはとても楽しい。直方体の切り餅の、すべての辺がゆるゆると柔らかくなっていき、端から少しずつふくらんでいくのを、オーブントースターの扉のガラス越しに見守る。上側の面が全体的にゆるんでくると、ここからいよいよお待ちかね、中央に入った十字形の切り込みから餅がぷくーっとふくらんでいく。と思いきや、サイドの面や底面からふくらみはじめることもあり、おっと、そうきましたか、とニヤニヤする。餅がふくらみ切ったところで、オーブントースターのタイマーを無理やり回して「切」に合わせ、チーンと言わせる。真っ赤になっていたヒーターが急激に色と熱を失い、みるみるシュンとしていく。餅の膨らみも止まる。わたしはいそいそとオーブントースターの扉、その冷たく固い餅をも変形させる魔法の世界とわたしの世界を分かつ扉を開けて、焼きたての餅を取り出す。柔らかくなった餅が金網にこびりつかないよう、慎重に取り出す。こびりつくと後で洗うのがちょっと面倒になるからね。

 オーブントースターで焼いた餅は、外はこんがり、中はふっくらしていてとてもおいしい。わたしが食べている餅は、年末に買ったサトウの切り餅1kgパックで、一切れずつ個包装になっており、賞味期限は2025年10月だ。こんなにおいしいのに保存も効く、カロリーも豊富な完全食品であり、さらに焼いている間は上質のエンターテインメントが楽しめる。サトウの切り餅ありがとう。来年も買います。

 午後、バスに乗って外出しようとするも、目の前で乗りたかったバスが行ってしまう。悲しいのでそのまま公園の中を通り、散歩がてら遠回りして別のバス停に向かう。寒さもゆるまり、穏やかに晴れた冬の昼間。散歩に来ている犬とその飼い主、ベビーカーに乗った赤ちゃんとその保護者さんがたくさんいた。途中で見かけた犬の数、13。空を飛んでいた飛行機の数、1。

 バスに乗って区役所に行き、所用を済ませる。区役所はとても混んでいた。わたしは区役所が苦手だ。なんというか正しい市民として振る舞わなくてはいけないような気分になる。あちらでもこちらでもピンポンピンポンと音がして、○○番の番号札をお持ちの方、●●番の窓口へどうぞ、と絶え間なく案内が流れ続ける。同時に3つくらいの番号札が呼ばれたりもする。わたしがもらった番号札は3251番だった。さんぜん・にひゃく・ごじゅういちばん、と機械音声に滑舌よくアナウンスされる。3251番として待合室の席に腰かけ、3251番の方、と呼ばれ、3251番として振る舞い、3251番のために用意された書類を受け取る。そして一個の市民としてのわたしに戻り、区役所の建物を出た。

1月31日(水)

 春先のように暖かかった1月最終日。午後、カウンセリングを受けるために行きつけの心療内科に向かう。前回同様に、45分間まるっと仕事の愚痴のようなことを話して終わる。これでカウンセリングになっているのかどうか全然わからない。でも、この日は話している最中に、「わたしはもう、元の仕事のやり方に戻ることはできないな」と自分で気づいてしまった。

 そう気づいて、ちょっと落ち込んでしまう。ライターの仕事は好きだし、刺激があって楽しかった。それなりに評価もされていたと思う。でももう、無理だな、と気づいてしまった。少しずつ仕事を再開していくつもりでいたけれど、結局またあの薄っぺらい記事量産システムに巻き込まれるだけだしな……と思ったら、なんだか一気にやる気を失ってしまった。

 あーあ、だったらわたしはこれからどうしようかなあ。これといってやりたいことがあるわけでもないし、そもそもわたしはやれることの少ない人間だ。たまたま、薄っぺらい文章を量産することに適性があっただけだ。その適性のおかげで、この歳まで楽しく自由にお金を稼いでこられたけれど、もう自分のやっていることの薄っぺらさに耐えられそうにない。そう気づいてしまって、落ち込みながらトボトボと家路についた。

 家に帰って、爪に真っ黒いネイルカラーを塗る。昔から爪を真っ黒に塗るのが大好きで、いろいろなメーカーの黒いネイルエナメルばかり買い集めて6種類くらい持っている。爪を黒く塗ると、なぜか心が落ち着く。何も塗っていない素の爪でいるよりも、黒いネイルを塗っている状態のほうが、裸に近いというか、生まれ持った本来の自分の身体に近い気がする。なんでだろう、もしかしたら前世のわたしは、爪が黒いタイプの動物か宇宙人で、その前世の記憶がフラッシュバックしているのかもしれない。黒いネイルを塗って、その爪先を見て、自分らしさはここにある、と思う。今ここに、わたしの手元にちゃんとある。せめてそれを見失わないようにしよう。

2月1日(木)

 昼間は暖かかったけれど、夕方からぐっと冷え込んだ2月最初の日。前日の日記を書いたり、皆さんの日記を読んだりしながら、この日記屋 月日のワークショップの体験を何かの形にまとめたいな、と思い立つ。最初はお互いの顔が見えない状態で始めた日記が、徐々に相互作用するようになって、他人の日記から影響を受けたり受けなかったりしながらそれぞれのペースで変化していく感じが、とても面白かったので。本当はフィクションとして、小説の形でまとめられたらいいんだろうなと思いつつ、わたしにはその技術がないのでとりあえずは感想文の形でまとめてみようかな。

 それはそれとして、この日は一日、英文メディアの記事を読んだり軽く訳したりして過ごした。今週末に、久しぶりに簡単な翻訳(英語→日本語)の仕事を受ける予定なので、その予習というか事前準備だ。何しろ久しぶりの翻訳作業なので、仕事に取り掛かる前に、脳みそをできる限り英語向けに切り替えておく必要がある。

 翻訳といっても本当に簡単なコラムやちょっとしたインタビュー程度の記事で、しかもジャンルが限定される(ファッション関連の記事と、あとはせいぜいジュエリー、ビューティくらいしか訳せない。日本語の専門知識がないので)上に、ものすごく時間がかかるので、翻訳者としては仕事にならない。ギャラに対してかかる時間が長すぎる。でも翻訳の作業は大好きで、ライターの仕事を一旦全部断ることにしたときも、翻訳だけは請け負おうと決めていた。

 翻訳をしていると、頭の中に他人の脳みそが直接注入される感覚がある。わたしは絶対にしないような表現や、書かないような文章を、自分の頭から出た日本語に置き換えていく作業を続けていると、脳みそを乗っ取られるような、エクスタシーに近い独特の感覚が生まれる。自分が思ってもいないようなことや、想像すらしないような表現は、普段は自分の言葉として書く機会がない、当たり前だけど。でも翻訳をしていると、そういう絶対に自分からは生み出し得ない内容の文章を、日本語の文章として自分の中から生み出していくことになる。それがたまらなく面白い。だからなるべく翻訳の仕事は続けられたらいいなと思っている。

2月2日(金)

 一日中曇りがちで寒かった金曜日。お昼に、在宅勤務中の夫と公園に行き、出張販売に来ているパン屋さんでパンを買う。最近、この金曜のお昼に公園までパンを買いに行くのがルーティーンになってきた。この日は塩パンとカツサンドとカレーパン、あとパンダパン(クリーム味)を買う。列に並んでいるとき、わたしの前にいた3人グループの人が「塩パンって、あると絶対に買っちゃいますよね〜」と言っていて、わかる〜わたしもそうです〜と心の中で同意する。外が寒すぎたので、公園の散歩もそこそこに、買ったパンは家に持ち帰って食べることにした。途中で見かけた犬の数、5。

 家に帰って、すべてのパンを真二つに切る。こういうとき、わたしは自分で選んだパンを責任持って全部食べたいのだけど、夫はふたりでいろいろ買って、すべて半分こしたいらしい。そのほうがたくさんの種類を味わえるから。夫は基本的に食べ物はシェアするのが善と思うタイプで、例えばファミレスにふたりで入ってお互いに別のメニューを注文したとすると、必ず自分の料理のおいしいところを少しわたしに分けてくれる。わたしは他人の選んだメニューに興味がないので別におすそ分けはいらないのだけど、せっかくくれるからありがたくいただき、自分の料理のおいしいところもちょっとあげる。買ったパンをすべて等しくふたりで分ける習慣も、最初は違和感があった(自分で選んだパンは自分で食べたい……)けれど、いまやすっかり慣れ、むしろ率先して半分に分けるようになった。パンダの顔をしたパンダパンも、当然のように半分に切る。心を無にしてナイフで真二つに切る。中に入ったクリームがこぼれ落ちそうになるので、急いで右顔面を夫にあげ、左顔面を自分で食べた。

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