Someday at Joyfull……
昔、貧しかった時代、旅先にはいつもジョイフルがあった。
大阪では食すことのできない、ご馳走だったんだ。
そして辛かった証券マン時代もジョイフルに助けられた。
京都支店勤務の私は、桂にジョイフルがあることを見つけ、
自らそこを営業エリアに志願し、ねじ込み、
毎日ジョイフルで過ごしていた。
このファミリーレストランは、田舎にしか存在しないのだが、
当時は、いや、今でもひたすら憧れていたな、地元の学生たちに。
20歳も過ぎた頃、高知に滞在していたときだった。
そうあれは9/1。
朝早めに宿を出て、ジョイフルでモーニングをしていたんだ。
すると、
女子高生たちが自転車で、一人、また一人と入店してきたのさ。
彼女たちは何をしてたと思う?
私は目を疑ったよ。
連中はね、これから始まる始業式の前に、宿題を写しあっていたんだ。
激安モーニングを嗜みながらね。
あぁ、こんな学生時代を過ごしていたら、私はきっと、違う人生を歩んでいたのだろうなと。
…あの女子高生たちは一生忘れないだろう、写しあった地元の仲間たちを。
ジョイフル、彼女達が一言で表現するとすればそれは青春というのだろう。
今ごろ地元に残った人や、都会に出た人もいて、
なにかの拍子にジョイフルの隣を走り、久しぶりにふと、思い出す。
ああ、昔、よく行っていたな…と。
今ごろみんなはどうしているだろうか。
そうだ、連絡してみよう。
そして帰省した際、皆それぞれ、予定があって忙しい。だから深夜。
眠い目をこすりあの駐車場に、一台、また一台と、今度は車で、集まってくる。
ジョイフルは24時間営業だからね。
ある一人からは
「子どもを寝かしつけてきたんだ」
とでも聞こえてきそうなそんな夜だ。
なあに、何も変わらないよ。
なんてことない。あの日の続きが始まっただけさ。
何も考えず朝まではしゃげたら、
それが一番良かったんだ。
そしてふと、私は問いかける。
転勤族の元吹田市民どもよ、聞こえるか?
俺たちに故郷はない。
だから年末だけでも集まろう。毎年死ぬまでな。
そうやって気がついたら、
今年で17年目の忘年会になったわけなのです。
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