第5章 三谷という男
「おい・・長谷部、見てみろ。」
三谷は前を向いたまま、眩しさのあまり目をこすっている長谷部に声をかけた。
「駅・・?」
分岐した地下線路にポツンとたたずむ駅を見て、長谷部は首をかしげた。
「ああ、こりゃすげえぞ。」
三谷は興奮した様子で、光るホームへと走っていった。長谷部はそのあとをトボトボとついていく。
「よっと。早く来いよー。」
軽々とホームに登った三谷は、キョロキョロとあたりを見渡した。何かを探しているようだった。
「何探してんの?」
長谷部はホームによじ登ろうとしながら、三谷に訪ねる。スーツの汚れなど既にもう気にしてはなかった。
「ん、ああ。ほら、つかまれ。」
三谷の差し出した手を借りて、長谷部も駅のホームへと上がった。
「サンキュ・・・え?」
駅の灯りに照らされた三谷の顔を見て、長谷部は思わず声を漏らした。暗かったこともあり、ここに来るまで一度もちゃんと確認したことがなかった三谷の素顔。それが初めて長谷部の目の前に現れたのだ。
「三谷・・・先生?」
浅黒い肌、しっかりとした濃い眉毛に、二重まぶたの鋭い眼差し。笑みを浮かべたニヒルな口元。色眼鏡こそかけていなかったが、そこに立っていたのは、三谷先生そのものだった。しかし・・・若い。そう、この男は長谷部と同じ年齢くらいにしか見えないのである。
「先生?なんだよ?」
長谷部はうろたえた。確かに三谷そっくりなのだが、歳が全然違う。ここにいるのがもし本当に三谷だとするならば、それはもう50代にはなる中高年のはずだ。
「いや、ごめんなんでもない。ちょっと小学生の頃の担任に似てて。」
長谷部はそう言うと三谷から目をそらし、ホームに設置されているベンチへと移動した。
「ん?・・あー、もしかして、俺の親父?」
頭をかきながら三谷は思いがけない答えを返してきた。長谷部はベンチに座ろうとしていたが、それをやめ、もう一度長谷部の顔を見た。
「三谷先生の、息子さん?」
なるほど。どうりで似ているわけだ。長谷部の頭はスッキリ解決した。今目の前にいるのは三谷Jrだったのだ。
「ああ、そういうことか。有名人だな、アイツも・・。」
意外なことに三谷はこのようなめったにない偶然に、はしゃぐことはなかった。長谷部は色々話題ができたと思って嬉しかったのだが、三谷が急にテンション低く、ホームを歩き出してしまったので、声だけが空回りしてしまった。
「あぁ・・えーっと、その。」
三谷が振り返る。
「何探してたのかなーって、思って。」
とっさにそんな質問をした。特に気にもならなかったのだが、長谷部はなんとなく話題をそらしてみた。
「んー。なんていう駅なんだろって思ってな。でもなんか看板とかねえんだよな。」
長谷部はホームからしっかりと駅全体を見渡した。たしかに駅名も書いてなければ、改札もない。
「なるほど。なんなんだろ・・これ駅なのか?」
そう言って長谷部はベンチに座り込んだ。なんの変哲もない、地元の駅のベンチと同じ座り心地だった。革靴で慣れない線路の上を歩いたり走ったりしていたものだから、足が疲れていた。ジンジンしている。
「どう見ても駅だろ。いやあ、謎の地下鉄に隠された謎の駅・・ワクワクするねえ。」
三谷は興味津々に駅の構造を調べていた。どうやらこの駅は、単線なこともあって、反対側のホームというものが存在しない。そしてその片側のみのホームは、駅名も書かれてなければ、改札もない。4人がけのベンチが二つだけあり、天井の古い電灯が駅全体を白く照らしていた。
「おい、長谷部、ちょっと来てみろ。」
三谷がどうやら何か見つけたようだ。長谷部はすぐに三谷のもとへと駆け寄った。
「ほら、扉だぜ。」
三谷が見つけたのは灰色の大きな扉だった。両開きであろう、重合感のある鉄製の重そうな扉。
「この先に改札でもあるのか?どうする?」
長谷部は横にいる三谷を見た。やっぱり三谷先生に似ている。
「どうするって、そりゃあお前。」
三谷は扉へと近づき取っ手に手をかけた。開けようとしている。長谷部はそれを見ていたが、一向に扉が開く気配はなかった。
「おい長谷部、手伝えよ。この扉押しても引いてもビクともしねえぞ。」
三谷に言われたので長谷部も片方の取っ手をつかみ引いてみた、やっぱり動かない。三谷と力を合わせていろいろ試すも、全くダメだった。
「鍵かかってるなこりゃ。ここに鍵穴がないところを見ると、きっと家のドアみたいに内鍵だ。」
長谷部は開けるのも諦め、腕を回した。その時気がついた。カバンがない。
「え、うそ、なんで。」
記憶を遡ると一瞬で思い出した。そう、走ってくる電車から逃げているときに、放り投げたのだ。
通勤用だったのであれがないと仕事に困る。長谷部は一気にやる気をなくし、地面に寝っ転がった。
「あー、ついてねえ。」
長谷部は目を閉じるも三谷の扉を開けようとする音が聞こえてくるだけで、ほかには何も・・・いや、何か聞こえる。たしかにその音は聞こえてくる、それも三谷の方向から。長谷部は起き上がり、三谷に近づく。三谷もようやく諦めた様子で、腕を組んで扉を睨んでいた。
「なあ、なにか聞こえないか?」
長谷部が三谷に尋ねる。どうやら音は三谷からではなく、扉の向こう側からであった。
「また電車か?勘弁してくれよ。まあホームにいるから大丈夫だけどな。」
三谷はやれやれといった感じで、耳を澄ました。そして二人とも動きを止めたとき、音は確かに確認することができた。
「扉か。」
長谷部は頷き、二人は冷たい扉に耳を当てた。聞こえる。なんなのだろう、ジャカジャカとした音楽?いや、ジャラジャラとした機械音?ざわざわと人が騒いでるような、そんな音にも聞こえる。扉の向こうはとにかく騒がしい様子だった。しかし何の音かは、二人とも結局判別できずに、耳を扉に当てたまま立ち尽くしていた。
「だめだ!なんか聞こえんだけど全然わかんねえ。」
三谷は諦めて、扉から離れた。
「この向こうに何かあるのは確かなんだけどなー。どうする?もし水でも流れてて、開けた瞬間おぼれるとかだったら。」
長谷部がジョークを飛ばすと、三谷は声を出して笑った。
「それ怖いな!だから水圧であかなかったのかね~。」
長谷部が冗談を言えるほどリラックス、まあ正確に言うとどうにでもなれ、と投げやりだったのだが、まあそんなくだらない会話をできるようになったものだから、三谷も楽しそうにみえた。
「さてと、金目になりそうなもんもないし、そろそろ移動すっか。」
三谷は長谷部の背中を軽くたたき、線路の向こうを指さした。また暗闇線路の旅である。
「だな。明日も仕事だし早く帰らないと・・あ、もう今日か。」
仕事のことを思い出すと少しだけ楽しく感じた感情が全て吹き飛んだ。そう、今日はまだ水曜日だ。
二人は線路沿いにまた歩き始めたが、懐中電灯がないことに気がつき、すぐに分岐点へと引き返した。幸いにも懐中電灯はすぐに見つかり、また歩きだそうとしたのだが、分岐点まで戻ってしまったので、どちらに進むかを迷うハメになった。長谷部は悩んだ末、結局、分岐する前の元の線路を辿ることを提案した。腕時計に目をやると、2時30分を指している。
「もう2時半だし、さすがに電車来ないよな?元の本線を行こう。」
長谷部は、終電が終わっても突っ込んできた先ほどの電車は、点検用車両か何かであって、一台過ぎたということは、もう流石に次は始発まで何もこないだろう、と推測した。もちろん根拠はない。それに、本線をたどったほうが確実に地上にたどり着けるというものである。点検用であれ何であれ電車が通る線路ということは、少なくとも行き止まりではない。どこかにはつながっているはずだ。そうやってなんとか説得をして、謎の路線にまだ興味津々だった三谷を本線に引っ張ることに成功した。三谷は鼻歌を奏でながら先頭を歩き始め、線路を照らす。最初一緒に歩いていたときには、全く分からなかったのだが、長谷部は今になってようやく、彼の鼻歌がBen E. Kingの『スタンド・バイ・ミー』であることに気がつき、笑ってしまったのであった。
20分ほど地下線路を歩くと、ようやく上り坂に差し掛かった。そう、地上が近づいてきたのだ。
「おいおい、これってもしかして?」
三谷は長谷部を見た。長谷部は頷き、ニヤリとした。
顔を前に向けると、かすかにトンネルの終わりがぼんやりと浮かぶ。決して明るくはない出口だったが、二人にとってはやけに眩しくみえた。長谷部は久しぶりに生きた心地がしていた。しかし、その安心感も2分後には絶望に変わる。トンネルを抜けるとそこは、豪雨だった。
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