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第7章 招待状

 長谷部は大きなため息をついた。目的地に着いてしまったのである。相変わらずの大きさ、丁寧に手入れされた芝生、そしてレンガ造りの2階建て。ただ一つだけ昨日と違っているのは、愛車の白いクラウンが停められていなかったことだった。外出中なのだろうか。
「ほへー、思ってたよりも豪邸じゃん!」
三谷は興奮した様子で邸宅の隅から隅まで覗き込み、観察していた。事あるごとに、おお!だとか、
すげえ!だとかこぼしている。
「おい、チャイム鳴らしてみようぜ。俺かげから見てるからさ。」
三谷がせかしてくるので、長谷部はあまり気乗りしない様子でインターフォンの前に立った。このままだと勝手に三谷が鳴らしてしまいそうだと感じたからだ。
「うーん、車もないし誰もいないかもしんないけど。」
留守なら留守で長谷部にとっては好都合だった。むしろ留守であってくれ。そう思いながら長谷部はチャイムを押した。ピンポーン。インターフォンのカメラに三谷が映らないように手で追い払いながら。・・・やはり応答はない。
「留守だぜ?残念。」
何とも心のこもってないセリフを吐きながら、長谷部は引き返そうとした。と、さっきまで道路にいたはずの三谷がいない。
「あれ?もう出てきていいよ。」
返事がないのでキョロキョロしてみると、なんと三谷は庭にいた。勝手に人の敷地内へ入り込んでいるのであった。
「おいおい。いいのかよ・・。」
ここで声をかけて近所の連中に怪しまれるのはたまったもんじゃない。長谷部は他人のふりを決め込むことにしようとした。しかし、三谷はすぐに長谷部のもとに戻ってきた。いつもに増してニヤニヤしながら。
「おい、長谷部・・あれ見えるか、あれ。」
三谷は、2階を指差した。二階には用途のよくわからないバルコニー部分が張り出しており、その奥には、見えにくいが、出入りできる大きな窓があった。
「ああ、大きなベランダだな。あんなの何に使うんだか。」
長谷部はそれがどうしたと言わんばかりの無関心な返事をしてやった。
「窓よく見ろよ・・あいてるぜ、鍵。」
まさか、と思い長谷部は鍵の見える位置に移動し、目を細めて凝視した。いまいちよく見えない。
「ほんとかよそれ。」
疑いの眼差しで三谷を見ていると、三谷は屈伸をしながら自信満々に答えた。
「ああ、視力2.0の俺が言うんだ、間違いない。」
なんという良い目をしているんだこの男は、と長谷部は思い、羨ましかった。長谷部の視力はいわゆるD。0.0なんとかというやつだ。
「でも鍵があいてるからってそれがどうしたんだよ。」
長谷部はもう行こうぜ、と言わんばかりに辺りの住宅を見渡した。住民には一応変な目では見られていないようである。
「そりゃあやることはひとつ。」
その時、三谷は再度、庭に侵入し迷うことなく雨どいをよじ登り始めた。
「あ、おいっ。」
さすがの長谷部もそれを見ると庭に入り、三谷を止めようとした。しかしもう半分以上登ってしまっている。正気なのかこの男は。
「大丈夫だよ、さっきポスト見たんだけどよ、昨日の夕刊が入ったままだったからな。こりゃ旅行かなんかだぜ。」
まさか。そんなところまで三谷は見ていたのか。これではまるで、空き巣ではないか。いや、空き巣であることには間違いないのだが、こいつはいわゆる『プロ』である。
「だからっておまっ、いつ帰ってくるかわからねえのにそんな・・。」
長谷部は道路に人がいるかどうかが気になってしょうがなく、後ろを見ながら戸惑っていた。三谷はというと、既に二階バルコニーへ軽々と飛び移り、身をかがめながら、隙間から親指を立てている。
「いや、すぐには帰ってこねえよ。朝刊は入ってなかったからな。・・つまりだ。旅行に出かけるから新聞を止めたのはいいけど、昨日の夕刊を取り損ねてんだよ。まあよくある話だな。へへ。」
三谷の洞察力に長谷部は素直に感心していた。たしかに夕刊だけしかポストに入っていないのはおかしな話である。もし本当に新聞を止めているというのなら、しばらくは家に帰ってくることは、ない。・・・だからといって三谷の行動はリスクが大きすぎる。見つかれば即ブタ箱行きだ。
「あー、もうどうなっても知らねえぞ。俺はとりあえず公園戻って寝とくから・・。」
そう言って立ち去ろうとすると、三谷はOKサインを指でつくり、部屋の中へと消えていった。
「イカレてるとしか思えない・・。」
長谷部は道路にでて、この豪邸をもう一度眺めた。道路からは中の様子は見えることはない。まあ、一度中に入ってしまえば、あとは堂々と正面玄関から出てきたらバレることもないだろう。長谷部は背を向け、公園へと帰ろうとした。昨日の仕返しもできそうだし、これはこれでありだな、とすら思えてくるのであった。その時だった。車の走る音が前からしたので、顔を上げてみるとなんと、白いクラウンが長谷部に向かって近づいてくるではないか。長谷部は心臓が飛び上がった。次の瞬間、本能的に長谷部は車の前で腕を大きく広げ、満面の笑みで手を振りアピールしていた。住宅街なので速度もあまり出ておらず。白のクラウンは余裕を持って停車する。中から現れたのは、間違いないちょうど24時間前、この場所で自分のことを全否定してきた張本人、白髪の大富豪だった。
「なんなんだお前は。危ないじゃないかそんなことしたら。」
早速、挑発的な態度で老人は長谷部に向かって吐き捨てた。それはまるで汚い野良犬を見るような目だった。
「申し訳ございません!どうしても、どうしてももう一度話だけでも聞いていただきたくて、思わずこのような真似をいたしましたことを、深く、お詫び申し上げます!!」
長谷部はなるべく大きな声で、深々と頭を下げた。研修中の新入社員も真っ青の120度おじぎだ。なんとかして三谷に、知らせなければならないと思ったからだ。この異様な声さえせめて届けば・・。勘の良い彼なら気がついてくれるに違いない。そんな思いで長谷部は頭を下げ、どうすれば時間を稼げるか、頭の中のネットワーク全てを張り巡らせていた。
「やめなさいみっともない。近所の人にも迷惑だろ。おい、どけ。」
無情にも老人は運転席へと戻り、車のドアを閉めた。長谷部は未だかつてないほど、手に汗を握っていた。必死に車の前から動くまいと、頭を下げ続けていると、遂に老人は頭にきたのか、クラクションを盛大に鳴らしたのであった。しめた、この音なら、三谷も異常に気がつくに違いない。長谷部は、自分の背後にある豪邸の様子が気になって仕方がなかった。しかし、絶対に振り返ることはできない、やつに決して感づかれてはならないのである。長谷部はジリジリと老人を見つめたまま、後ろに下がっていった。そのとき、
『ガシャーンッ。』
何かの割れるような、そんな大きな音が後ろからした。間違いない、三谷はやらかしたのだ。長谷部はつい、反応して豪邸を振り返ってしまった、その仕草をみた老人も、家で何かあったのかと、車の窓を開け、マイホームの様子を確認した。
「おい、今なにかあったよな?どけ。・・どけ!」
老人は長谷部を無視し、車を駐車場にねじ込んだ、間一髪、避けていなければ長谷部ははねられてただでは済まなかったであろう。それほどこの老人は勢いよく急にアクセルを踏み込んだのである。
「おい邪魔だコラ!」
老人は目の前でコケてしゃがみこんでいる長谷部に怒鳴り、玄関へと向かった、と、次の瞬間、三谷が玄関の真上の2階バルコニーから顔を出した。長谷部に目で、必死で何かを訴えている。とっさに長谷部はなるべく目立たぬよう、お腹の前でOKサインをつくった。老人は家へと入っていったからである。三谷は次の瞬間バルコニーの柵にぶら下がり、ためらいなく飛び降りた。ドスン。その音とほぼ同時である、老人の叫び声が聞こえてきたのである。三谷は猛ダッシュでこちら目掛けて走ってきた。長谷部もこれはただ事じゃないと感じ、一瞬ひるんだものの、くるりと背を向け、持てる限りの全速力で道路を走り出した。ここで捕まれば、おわる。後ろに人の気配がする。それが三谷であるかもわからない長谷部は、怖くて、ひたすらに走った。少しでも死角に入りたくて、十字路を迷わず右に曲がる。すると前から電動自転車に乗ったおばちゃんが走ってきた。それを間一髪避けた瞬間だった。なんと長谷部は左靴が脱げてしまったのである。
「まじかよ、まじかよ・・。」
当然履きなおしている余裕もなく、長谷部は靴を手にとり、片方靴下で走り続けた。200mは走った頃、ふと後ろを振り返ると、そこに人の姿はなかったのだが、なにやら車の音が聞こえるのである。長谷部の脳裏には、あの、ピカピカに磨き上げられた白のクラウンが甦っていた。ゾッとした長谷部は一瞬ためらったが、表札のかかっていなかった草木の生い茂る、『おそらく』空家であろう民家の敷地に、飛び込むことにした。ボーボーと生えっぱなしになっている植物に隠れ、息を整えた。そして、その隙間から、道路の様子を見ようとしたそのとき、例のクラウンが目の前を横切ったのである。長谷部は心臓が止まる思いで、顔を伏せ、丸くなっていた。三谷はどこに逃げたのだろう。流石にもう公園には姿を現さないに違いない。危険すぎる。だとすれば、やはりアパート・・。
体力と気力が回復するまで、かなり長い時間がかかったような気がした。実際には5分も経っていないのだろうが、やけに長く感じる潜伏期間を経て、長谷部はあることに気がついた。そういえば、なぜ逃げているのだろう?そもそも空き巣に入ったのは三谷だし、自分はただ一生懸命に営業をしていただけではないか。そうだ、逃げる必要なんか、ないのである。走って逃げてるところなんかを見られてしまったら、かえって怪しまれるというものだ。長谷部は自分にそう言い聞かせて、堂々と、そしてそそくさと支店へ戻っていくのであった。

 夜7時、半ば無理やり定時で上がらせてもらい、長谷部は自宅アパートへと急いでいた。支店に帰ってからというもの、三谷のその後が心配で仕方がなかった長谷部は、全く仕事も手につかなかった。いつもそうなのだが、今日はいつも以上に時計の針を気にしてしまい、上司に四季報で頭を叩かれる始末であった。そういえば、香西課長はいつもと変わった様子はあったのだろうか。自分のことで精一杯だった長谷部に、今更になってそんなことが頭に浮かんできた。ようやく最寄駅に到着し、長谷部は走った。昨日の地下線路に続き、昼間も全力で走らされたので、筋肉痛がたちの悪い痛みへと変化していることに気がついた。よくわからないが、なんか筋が痛い。それでも頑張って走った長谷部は徒歩15分の自宅に、なんと5分で着いたのであった。息を切らしながら街灯に照らされるアパートを見上げると、2階へと上がる階段の途中に自分のジャージを着た男が体を丸め座っているのが見えた。三谷もまた、無事に逃げ切ったのである。無言で近づき、うつむいている三谷に長谷部がいきなり声をかけると、三谷は予想以上に驚いた様子で、階段を数段落ちた。どうやら三谷はウトウトしていたようだ。
「ごめんごめん、無事でよかったわ。」
長谷部は安堵し、三谷の手を取り起こした。三谷はそんなに大柄ではなく、身軽なイメージがあったが、筋肉質なためか意外と重かった。おそらく長谷部よりかは上だ。
「余裕余裕。知らせてくれてサンキューな。」
三谷はそう言いながらもくたびれた様子で、アパートの階段を登っていった。長谷部も安心したせいか、急に眠くなってきた。そういえばほとんど寝ていない。
「カップ麺しかないけど、疲れてるし家で食うか。」
長谷部がそう提案すると、三谷は珍しく無言で頷き、ドアが開くのを待っていた。どうやら彼も結構、疲れているらしい。
 部屋に入り、しばらくゆっくりして、長谷部はカップ焼きそばを、三谷はカレーうどんを半分ほど食べたころ、ようやく長谷部は口を開いてみた。
「なあ、結局なんかいいもんあったの?」
長谷部がそう聞くと、三谷は長谷部の顔へと目線を移し、とても残念そうな顔をして首を振った。
「金目のもんは重くて持ち出せなかった。俺としたことが壺は割っちまうし、冴えてないわ。なんか、巻き込んでごめんな。」
今更謝られるとは思ってなかったので、長谷部は動揺してしまった。なんというか、ここは励ますべきなのだろうか。
「いや、たまたま運が悪かっただけだよ。一瞬であそこまでできるなんてほんとすごいよ三谷は。」
これが褒めてるように聞こえるのかどうかは微妙なところだったが、長谷部なりに、気にしてないアピールをしたつもりであった。三谷は頷きながら、カレーうどんの汁をすすっている。

「それにしてもいきなり空き巣しようとするから焦ったわ。」
長谷部が単純に思っていたことを口からこぼすと、三谷から思わぬ答えが返ってきた。
「いや、あれは行くしかないだろ。あんなチャンス人生これから先あるかわからないぜ?」
当然のように言うので、長谷部はポカンとしてしまった。捕まるのが怖くはないのだろうか。
「いやいやいやいや、そんなリスク冒して普通の人はやらないよ。」
長谷部が突っ込むと三谷は不敵な笑みを浮かべ、カレーうどんから手を離した。
「普通は、だろ?普通の人って誰だよ。みんながやらないからやらないのか?それともなんだ?あんな感じの悪い大富豪からちょっと金品分けてもらうってことに、良心が痛むってか?」
三谷が予想以上にいきなり喋り始めたので、長谷部はうろたえてしまった。
「いや、俺は良心とかは特に・・・もしかして金に困ってるのか?」
長谷部は盗みは絶対ダメだとか、そういったことにはあまりこだわりはなかった。もちろん一般人から何かを奪うのは悪いことだと思っているし、そのあたりのモラルは残っている。しかし、自分をこけにした大富豪となれば話は別だ。法律なんてものがないのならば、少しくらい・・・。しかし本当に実行する行動力など、長谷部には全くなかった。
「はは、俺ってそんな金なさそうに見えるか。まあ貧乏だけど。」
三谷は頭をかいて笑っている。そして、目の前のカレーうどんの容器に目を移し、少し黙ったあと、こう続けた。
「まあ、ちょっとやりたいことがあってな。そのために金が必要なんだよ。」
珍しく三谷が真面目な顔をするので、長谷部はその内容が気になってしょうがなかった。
「おう・・。そんな金かかることなのか。」
あまり詮索してない感じを出すために、長谷部は独り言のように呟き、カップ麺の汁をすすってみる。すると、三谷は顔を上げ、笑顔で語り始めた。
「うむ!世界中を旅したくてな、目標は全部の国に入国!」
堂々とそう言い切ると、三谷は立ち上がった。長谷部に衝撃が走った。なにか、言い返さないといけない気がしたのだが、何も、言葉が出てこなかった。目の前で目を輝かして仁王立ちしている三谷をただただ眺めることしかできなかったのである。
「やっぱりそういうのって金かかりそうだろ?」
立ったまま三谷は長谷部の反応を待っていたようだった。
「・・だからって普通そこまでしないよ。」
長谷部は精一杯の苦笑いを作ってみせた。なにか、くすぐったい気持ちと、惨めな気持ちが同居しているようだった。
「だから普通ってなんだよ。お前が言ってんのはさ、盗みは悪いことだからやりたくない、とかいう強いこだわりじゃないだろ?単に誰もそんなことやらないからできないってだけだろ。でもよ、俺はそんな常識守ることよりも、どうしても自分の夢を優先したくてな。極悪人で悪いな。」
三谷は狡猾な笑みをしたつもりだったのだろうが、長谷部にはその笑顔が眩しく見えた。この男は本気だ、本気で夢を実現しようとしている奴の目だ。・・方法はどうであれ。長谷部はなぜか焦ってしまい、部屋に転がっている服をかたづけ始め話題をそらそうとした。
「ああ、うん・・・なんかごめん。ん?あ、これなんだ?」
三谷の脱ぎ捨てたジャージの上着ポケットには、何かが入っていた。長谷部が取り出してみると、出てきたのは丁寧に折りたたまれた、紙。
「あっ、すっかり忘れてた!」
三谷はハッとした様子でちゃぶ台を叩いた。
「あの家から脱出するときに、なんでもいいからと思って、それ持ってきたんだった。」
長谷部は、ちゃぶ台の上にその紙を広げた。何回もおられており、思っていたよりも結構大きいサイズであった、おそらくB5だろうか。
「引き出し漁ってたら奥の方にわざわざ手紙の封筒みたいなのが一つだけあってな。とりあえずポケット入れたんだった。」
ようやく開いたその紙をまじまじと眺める二人。紙はどうやら何かの招待状のようであった。一番上には、金字で、『倶楽部ジェスコ』という文字が踊っていた。
「倶楽部?金持ちの集まりか何か。うーん。」
長谷部が顎に指を当て考えていると、三谷が急に大きな声を出した。
「おい!これみろ!」
耳を抑えながら長谷部は、三谷が指を指す招待状の下の部分を覗き込んだ。そこには、
「カ、ジノ・・・?」
二人は顔を見合わせた。
「カジノ!?」
なんとこの招待状は、カジノの案内だったのだのである。そして、その印刷された地図を見てみると、それが示していたのは、長谷部の実家とアパートのちょうど閒にあるデパート、ジャスコであった。

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