釣った魚に餌を与えなかった場合についての考察。
短く切り揃えた色気の欠片もない爪を、先週買ったばかりのマニキュアで染めていく。
最近は便利なもので、サロンに行かなくてもセルフでジェルネイルが出来てしまう。
しかもただ塗って硬化するだけ、その上剥がしたい時にすぐにペリペリと取れる。
本当に素晴らしい世の中になったものだと思う。
眠い目を擦りながら10本の指を塗り終え、明日何を着ようかと考えながら眠りについた。
翌日、午後からではあるが、久々のデートである。
昨日の夜から朝起きてから出かける直前までありとあらゆるところを磨き上げた。
新しく買ったワンピースも我ながら似合ってると思っている。
待ち合わせ場所に彼の車を発見して、助手席に乗り込む。
今日は天気も良いし、人混みを避けて少しだけ海に行くことになった。
お出かけの日は必ず彼に一台、フィルムカメラを支給する。
私の方は今回は初めて使うインスタントカメラだ。
「たくさん撮ってね」とプレッシャーをかけておく。
今日は久々のお外でデートだ。
最近頑張ってるナチュラルメイク、私にしては可愛いらしいワンピース、普段は出来ないネイルまでしてる。
お金も時間もかけた。
ねぇ、知ってる?
これ全部ね、君からの「可愛い」の一言がほしいがためにしたことなの。
でも私も学んだ。
この人はいわゆる「察すること」が苦手な人なのだ。
恥ずかしいけれど言うしかない。
「今日どうですか?」
「…どう、とは?」
「メイク、ちょっとナチュラルにしたの。あとね、ネイルもね、したんだよ。」
「ね、ちょっと今日ナチュラルだなって思った…え?それで?」
「だからどう思う?」
「…良いと思いますが」
…お前は、童貞か?高校生か?何なんだ?
恥ずかしくて、ちょっと惨めで、泣きそうになって下を見る。
可愛いなと思って悩みながら買ったピンク色、「あんたらしくない色だね」と母に言われた少し可愛らし過ぎる色が目に入っていろいろ痛い。
職業柄短く切り揃えた爪、ゴツゴツと筋張ってる上に、このコロナ渦でアルコールやらいろんなもので荒れた手に不釣り合いな可愛い色。
だけど下手くそなりに頑張ったんだ。
ジッと見てしまえばそりゃ粗しかない。
右手なんて、本当皆んなどうやって塗ってるんだ。
29歳独身。三十路まであともう少し。
少し浮かれ過ぎているのか?
て言うか君は、本当に私のことが好きなのか?
何故世の中には釣った魚に餌を与えない男性が多いのだろうか。
女の子は皆んな、好きな人からの「好きだよ」とか「可愛いね」がほしくて頑張ってるんだ。
身に付ける下着も選んで、肌も磨き上げて、デートの当日は出かけるまでずっと一人ファッションショーだ。
メイクなんて、ファッションなんて自己満足でしょ。
誰かのためじゃなくて、自分のためだもん。
もちろんそうだ。
でもそうじゃない時もある。
珍しく君が「この子好き!」って指差したテレビの中の女優さん。
タイプが私と真逆だった。
ナチュラルメイクとか何それ、美味しいの?な私が、それでも頑張ってみた。
全部、全部、君からの一言が聞きたかったの。
さてここで本題です。
釣った魚に餌を与えなかったら、その魚はどうなるでしょうか。
多分、餓死するでしょう。
でも私は餓死したくない。
ならば餓死する前にまた大海原に自由を求めて飛び出すか、それとも餌を与えてくれるまで律儀に待ち続けるか。
知ってるんだよ。
君が私のことをそこそこ大切に思ってくれてること。
じゃなかったら、わざわざ夜に電話口でメソメソベソベソしてるめんどくさい私の話を聞いてくれないよね。
じゃなかったら、ここを直してほしいって言ったことを頑張って直してくれないよね。
じゃなかったら、平日疲れてるのに頑張って時間作って、ご飯食べようってならないもんね。
でもね、私お腹空いてるの。
わかりやすい愛情がほしいんだ。
君が撮ってくれた私はどれも笑ってて、どれも楽しそうで、どれもしあわせそうで、きっと私のこと好いてくれてるんだろうなって思う。
でもね、やっぱりお腹が空いてるんだ。
ああ、でもほらね、間違えてパノラマになってる写真たちも、インスタントカメラにありがちな指が入っちゃってる写真も、全部全部愛おしい。
だからね、大海原に私がまた出て行く前に、どうかお願い、少しだけで良いからこの空腹を満たしてください。