意識のための碇(Lee Kit「All things bright and beautiful」)
東京・六本木のシュウゴアーツにおける李傑(Lee Kit)の展示「(screenshot)」(2020年12月12日〜2021年1月30日)で特に印象に残ったインスタレーション「All things bright and beautiful」(2020)について短く書きたい。
「All things bright and beautiful」は、①展示室の白い壁にプロジェクタで映し出される、陽の差し込む白い部屋の壁の映像と、②同じく展示室の白い布のついたてに映し出される海の遠景の映像、からなる作品だ。これらの映像は暮れたり明けたりして微妙に変化する。
映像①には美しい文章が字幕のように順に映り込む。
All things bright and beautiful
All creatures great and small
All things wise and wonderful
When it happened,
He didn't see it coming
She didn't see it coming either
The sunset and the morning that brightens up the sky
仮訳すれば以下のようになるだろうか。
まぶしく美しいものすべて
偉大で小さい生き物すべて
賢く素晴らしいものすべて
起こったとき、
彼はそれが来るのが見えなかった
彼女もまたそれが来るのが見えなかった
夜明け、そして空を輝かせる朝
祝祭感の溢れる文章とともに映像を眺めていると、ぼんやりと海沿いの家を想像して、空想の国に連れて行かれそうになる。なるが、しかし、映像①が映し出される壁には、その映像と被るように大きな板が無造作に立てかけてあり、この板が常に現実世界の欠片として視界に入るため、鑑賞者は現実世界に留まることになる。
この板は、意識の漂流を防ぐ碇(いかり)のようである。何か警告のようでもある。
以上は純粋に作品だけと向き合ったときに感じることである。ここで李が香港出身であることを考慮してみると、この作品の板は、本土政府の統制の強まる香港問題を目の前にして、行動を起こせず/起こさずにいる人々の意識を、どこかに流れて行かないよう現実に繫ぎ止める碇のようにも思える。
展示に際して李はこう語っている。
君ではない誰かが港から逃げ去って行く。逃避した人々もどこかで孤独に苛まれるのだ。彼らは惜しまれ、君も君自身を惜しむだろう。非難され、糾弾されるべき人々は無傷のままだ。
罪悪感が、スクリーンショットされる。
誰もが、どの国家もが、自己の生存で精一杯なこの激動の時代のさなかに、非力なアートや文学ができることと言えば、せめて人々の意識に碇を下ろすことであると信じている。
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