63〜72話

63話、ジョーのシャツにスイカの染み、るいが悪戯っぽく笑う、生きていればこそ。家族3人での幸せな暮らし。戦争など知らない平和な時代のひなたの子供時代、物語の調子が変わるけれどふいに差し込まれる終戦の日。ひなたの呑気な子供時代と長く祈る大人達の物語が並行しているよう。

64話、小夜ちゃんに侍が好きになった理由を話すひなたが饒舌なのは、自宅だからもあるけれど、受け入れてくれそうでもあったからなのかなあ。かつて簡単に人のことがわかるなんて言うなと言っていたジョーがお父ちゃんになってひなたは友達に恵まれているんやなあと言うのが感慨深いです。呑気なひなただけど、小夜ちゃんに傘を差し出せる子。本来子供はこうであってほしい、るいやジョーのような目に会って欲しくない。 戦前と違って子供に甘いお父さん、天神さんに行くのにお小遣いを渡し、卵を片手で割ろうとして破片を入れてしまう様子に真面目なるいが色々言いながらも幸せな風景。ひなたの部屋に貼ってある、棗黍之丞と旗本退屈男のポスター、これはジョーとるいですよね。 ひなたはお父ちゃんとお母ちゃんが大好きな侍の子供。

65話、映画村オープン、テレビの向こう側、虚構の世界に入り込む。お金が必要で現実に帰る。るいとジョーは互いの思っていることを顔を見て確認するけれど、映画村から帰ってきた時はるいの様子がおかしいのはわかっても何かはわからなかったから、聞いて確認したんだなあ。この時の家での二人の会話は見せずにはしゃぐひなたを見ながらの会話で感じさせる。ジョーさんの治療費の貯金ができなくなる、と思っただろうるいになんと言ったんだろう。家族が増えて嬉しい、に含まれた僕のことはいいからの意味。ジョー、今回は畳の縁を踏んでいる。これで分かりにくくなっている。62話で踏まなかったのが偶々に見えます。岡山の雉真家で雪衣さんとの対比で見せられてあっと思いました。

66話、空き瓶を拾い換金してお年玉と合わせてモモケンのサイン会にお父ちゃんではなくて友達と行くひなたはちょっとお姉ちゃんになった。「壮大な計画」と言うお父ちゃんのジョー、トランペットでアメリカにるいを連れて行ってお母さんに会わせたいという壮大な夢を思い起こしてしまいます。友達と違って親戚がいないからお年玉が少ない、たい焼きが流行って店の売上が少ないからお年玉が少ない(のかもしれない)、るいの慎ましい幸せが子供に影響を与える。一生懸命お金を貯めたからより一層楽しいのかもしれない。物事には表も裏もあるとひなたはわかってテキストを書いた気がします。

67話、理由は言わずに英会話教室に行きたいとひなた。何故なのかは尋ねずにどうにかしようとする良いお父ちゃんのジョー。一方、るいと二人のときは、泳げたい焼きくんをええ曲やな、と。京都に来てからも時々劇伴にジャズが流れ、河原で音符を記してたように音楽がなくなったわけじゃない。

68話、英語を勉強するひなたのために出席カードを作り本を買ってくるジョーとるい、娘を幸せそうに見守っているけれど、古いラジオが過去を連れてくる。ジョーはギブミーチョコレート世代だと言い、るいは母との思い出、ラジオで英語を聞いていたこと。互いに知らなかったこと。(ジョーさんの小さい頃のことは言われてみればああそうだな、とは思うけれど、実際を知っているわけではない、という意味です。)和子さん役の濱田マリさんが「適切な距離」とおっしゃってましたが、相手が話すまで踏み込みすぎずにそばにいる。全部がわかるわけはないのだから。 思えば、るいと安子は距離感が近すぎたのかもしれない。

69話、ひなたの妄想、夢の中で映画村でビリーに"Let's enjoy Kaiten-yaki together."二人の間、中心が発光して眩しいのが今思うと2025年の最終回に繋がるような感じもしますね。アメリカの場所を丸い地球儀で確認する親子。アメリカはるいが来て指し示すのに対し日本はと聞かれてすぐここやと言うジョー、遠い?聞かれて返事ができずに類がちょっと遠いと答える、アメリカのことを答えるのを躊躇したような感じ。ビリーの国が知りたい子供のひなたとかつて夢見た場所だったジョーとお母さんが行ってしまったちょっと遠い国であるるいと、過去と現在。ひなた誕生から初めて大阪編の回想シーン、海で、吹いてみたいないつかアメリカの空の下で。ひなたはそんなことは知らずに地球儀のアメリカに憧れている表情。子供ひなたの日曜の畳み掛ける感じは「母をたずねて三千里」への枕言葉的な感じもし、「サザエさん」だって核家族の大月家との対比(そして高校生ひなたの会話ではずっとこのままでいたいの意味で登場)でもあったし、と考えるとなかなかに深いですよね。単に懐かしいだけではなかったです。(ドリフの歌もよく聞くと、「親孝行しろよ」と意味深な部分が聞こえてきます。)ラジオ英語講座、「ケン」登場しますね、るいにとっては孫の名前。

70話、店頭でビリーに英語で話しかけられたひなた、答えられなくて後で2階に上がって回想している姿は言ってることはわかって(回転焼きが欲しいのだろうと言うのはまあわかりますよね)答えられなかったんだなあ。回転焼きを払い除けたシーン、ひなたは回転焼きが畳の上に落ちてしまって自分のやったことにショックを受けている表情をしていて、食べ物を粗末に扱ってはいけないときちんと育てられていることがわかります。お父ちゃんがいつになく怒っているのもよく理解して言葉にできずに飛び出したんだなあ。いざという時に言葉の出てこないひなた、お母ちゃんが優しく聞いてくれてようやく話せた。ビリーとのことよりもお母ちゃんとお父ちゃんに悪いと思ったことを。きっとるいはお母さんに聞いて欲しかったんだろうなあ。そんなことも感じました。

71話、高3になり進路に迷うひなた、映画村でチャンバラやって子供っぽいけれど思い浮かべているのは旗本退屈男=るい、棗黍之丞=ジョー。命懸けでやりたいと思う夢も目標も見つけることができない。平和な時代だからこそ。「ガラスの仮面」、マヤと亜弓どうなったよりアルディスとオリゲルト(ふたりの王女、という劇のことのようでした)どうなった、で、これは、A子とB子、カインとアベル、キャルとアロン、のことなんだなとちょっと思いました。

72話、回転焼きを作ろうとするひなたにるいがレクチャーする形での作業工程の紹介。カスがつくからまず型を綺麗にして、ラードを薄く塗って、生地は薄く入れないと溢れてしまう。餡を早く入れないとうまく沈まない。散々な出来上がりに年季がいるんだと。ラジオの英語講座のようにコツコツ積み上げるということを見せてくれる。ひなた編序盤への批判、苦労してきた安子やるいをずっと見てきた影響で、ひなたが遊んでばっかりに見えたせいだと思ってます。雰囲気がガラッと変わったことに抵抗があった、その一つに詰め込まれた70年代、80年代が槍玉に上がってしまった。ひなたの人物像が違えば反応は違ったのではと思います。ひなたほどではなくても自分自身平和な時代に生まれてのほほんと過ごしていたので、どちらかと言うと自分を見ているような気がして恥ずかしい感じがしてました、放送時。ひなたは本当は繊細なのに、ちょいちょい言ったらあかんこと言ってて、そこも含めて。

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