103話〜112話(最終回)

103話、突然現れてめちゃくちゃ語る五十嵐、ひなたが直接知っていてかつて一番近かった人物の来し方を集約して語らせている。第三者が聞くとちょっとイラッとする物言いも、ひなたはわかっているから入れている。順調な家業を手伝う意味が見出せない、そこにかつてもらった木刀とCD。
OPクレジット、大月錠一郎が大阪編以降で唯一途中で入っていて、出番が一瞬の回想のみだったからかなと思ってましたが、トミーと並べてありました。トミーのCDをジョーが文ちゃんに渡したからこうしたのかも。これはトミー喜んでそう。トミーのCDが本人の知らないところで誰かの運命を動かしていた。
・Bun Igarashiでは気づかなかった、これ、母安子を探すのも難しいということでは。漢字でなく音だけになったら。 ・ひなたの部屋から両親のイメージの旗本退屈男と黍之丞ポスターがなくなったのは、ひなたが五十嵐に再会したことを言わなかった=もう両親の庇護の元ではないということなのかも。
字幕を出して英語部分を見ると、英語の単語や言い回しも繰り返していて、藤本先生が英語部分も最初にご自身で書かれて監修を受ける形にされた理由がすごくわかります。
補足 >大月錠一郎が大阪編以降で唯一途中 途中の早い段階で(通常最後の方)の意味です。

104話。10年ぶりに五十嵐と会ったことを母ではなくてアニーに話すひなた。50年娘と会っていないアニーこと安子。ラジオ英語講座がかつてのカムカム英語を連れてきているのに。ひなたに言ったことが自分に返ってくる。
アニー(安子)から手紙を出しても返事をしない虚無蔵さん、かつてるいから手紙を出しても返事を返せなかったジョーさんとは逆。

105話、バーでひなたが五十嵐と飲んだシーン、芋たこなんきんで八木沢さんと北野さんがたこ芳のカウンターで北野さんが結婚の報告をするシーンがあったように思うのですがそのオマージュのような気がします。照明が赤系なのは提灯のイメージ?
京都の下町の空に飛行機の音はしないと言われていたけれど、そんなことは承知で物語として入れたんじゃないでしょうか、ひなたには遠ざかる文ちゃんの乗る飛行機の音が聞こえた。
ひなたという自分の若い頃を思わせる映画村の職員の家がお菓子屋さん、かつての金太さんのように小豆をとって口に含むアニー=安子の背景には薔薇の柄のタペストリー?と花瓶に生けられた薔薇の花。おばあちゃんは薔薇の花似合うなあというひなたの趣味が全開なのかも。

106話、トランペットを吹かせてあげたかった、聞いてみたかった、るいのこのジョー本人には言わないでトミーに言ったこのシーンはやっぱり何度見ても涙します。こんなシンプルな言葉でこんなに感情を伝えてくる。吹けなくなったと聞いた時から長い間ずっと抱えてきた思い。るいの願い。
このときジョーはひなたにお茶入れてと声をかけて居間に行くのですが、ひなたとジョーがいるとるいとトミーが話ができない、という都合だけで書くわけがなく、繰り返されるひなたがお茶を淹れるシーンは、ひなたのもう一つのルーツ、ジョーは本当はお茶のお店の子だったを指しているように思います。
それにしても、世良さんが二役なので、ひいじいちゃんがなんで進駐軍のステージで歌うの?の問いに、知らん、酔っ払っとったんじゃろうが、本人が本人のことを言っているふうでもあっておかしい。

107話、みんな間違うんです。 この回は、エデンの東における"timshel"の解釈の段のようにも見えます。罪を治めることができる、ここからどうするか選べる。ずっと後悔してきた雪衣さんの告白。同じ出来事も違う側から見たらそれが正義になり、しかし、幼いるいに言ったことは間違っていた。
映画村ではアニーが気になってわざわざひなたの元に来て、回転焼のことを聞く。ひなたという名前、餡の味、そしておまじない。アニー、安子は逃げてしまう。自分の間違いから逃げなかった雪衣さんとは対照的に。
お母さんに謝らなあかんのは私や。にステージで歌うことを提案するジョー。アメリカでお母さんに届くようにと歌ったことがここに来る。祈る、願う、人間のその営みのそばにそっと寄り添う神社やお地蔵様をずっと見てきた、形を変えながら。ひなたも映画のヒットを道場の神棚に祈っていた。
ふと思い出したのですが、「人間は誰でも間違うし失敗する、だから祈るんだ」エデンの東を下敷きに書いていると思われる漫画NATURAL(こちらも成田美名子先生)で神職の西門が主人公に言ってました。端的にこれがズバリなんだと思います。(西門、祭文でサイモン、お兄ちゃんも憲人で祝詞とケントで東洋と西洋両方の名前だったんだ・・・)
この107話のるいとジョーの会話は106話と対ですよね。 トランペットを吹かせてあげたかったと語るるいと、歌ってみたら、お母さんに届くかもしれへんよと言うジョーは。

108話、放送当時はいきなり老夫婦のるいジョーがディッパーにいて驚いたけれど、今見るとかわいらしくてしみじみしますね。二人で過ごした時間をこんなに愛おしく見せてくれる、このために40代の実力ある役者さんを起用したのかなという気がします。
安子編で登場した旧岡山偕行社の控室にある小物、木製のロッカーや白いクラシカルなストーブ、花柄の照明スタンド、床に置かれたボストンバッグ、そこはかとなく大阪編でも少し違う形で存在していたものがあって人も物も集まって物語が収束していく感じもします。
平助さんのハンカチが和子さんからるいへジョーへ木暮さんへとバトンのように渡るのがかつてのクリーニングの流れのようでもありこの4人は血縁はないのに本当の親子のようで親同士で会ってこの日を喜んでいるよう。
会場で勇大伯父さんの後ろに映っている像はマリア像なんでしょうか。子供を抱えているようにも見えるけれど違うかな? あと、一瞬映る岡山の商店街にまたまた何かを意味するかもしれない立て看板がありました。右側真ん中あたりに「茶道具」と書いたのが角度が妙に正面向いています。

109話、かつて安子がラジオをつけて英語講座が流れて物語が動き出し、今度はラジオの中からアニー(安子)がラジオで日本語で語る。最初は漠然と聞こえた戦時中戦後の話が顔の傷、るいという願いを込めた名前で「私の」物語となる。 額の傷は象徴的でもあるのかな。誰もが抱えているもの。
動揺するるいのそばにずっとジョーがいるのが写り、長年の友人のトミーが冷静な態度でいてひなたと桃太郎が奔走する。母安子と離れ離れになったあの時とは違う。 ジョーの言う、予定通りサニーサイドを演奏しよう、お母さんに届くように、なんて台詞だろう。何度も見てると印象が変わってきます。
初見時はひなたと一緒に行った方がいいのではと思ったけれど、50年会っていないアニーがどんな態度に出るのかもわからない、混乱しているるいがどうなってしまうかもわからない、無理矢理捕まえて会うのがいいことなのかわからない。ジョーさんは互いに会いたいと思って会って欲しかったのかなと。
そして「物語」としての意味があるのかなと思いました。 そういえば「エデンの東」は「風と共に去りぬ」を意識しながら書いているのかなとwiki見ながら思いました。アイルランド移民やハミルトンという名前。20年後に書かれたエデンの東は見方や価値観がだいぶ違うように思います。
額の傷、エデンの東ではもう一本つけたら聖灰の水曜日のカトリック教徒のようだと言っていますが、カムカムの額の傷も多分普遍的な意味(信者が皆つけることから)でもあるのだろうなと思ってます。
↑完全にCIPHERからですが。(みんなつけてるね、と言っている)

110話、アニーこと安子を追いかけるひなたが走る現在の岡山の商店街、角の左手の店にラジオの看板、正面にはサンタクロース。過去へ遡るようでもありどこまで本当なのか架空なのかわからない世界へ案内されているようにも見えます。ロケ地のリアルな地理は超越しているのだと思ってます。
鏡越しのるいのわずかに見える額の傷から幼い日の母との訣別の言葉が浮かび上がり、母がもう会わないと決めているなら歌う意味があるのかの問いに意味があるのかないのかわからないことをやるとお茶をたてたベリーが言う。ひなたが追いかけることもステージの演奏もそれぞれができることをやっている。
英語講座の講師をやったことない、できるだろうかと迷うひなたは、最先端の祖母や度胸のある母に比べ常識的で普通の人に見える。そんな人にこそたどり着けるところがあると言っているようにも見えます。 虚無蔵さんの台詞は、ずっと映像で見せてきたことを簡潔に言葉にして念押ししているよう。
客席側は岡山に大阪編の和子さんと木暮さんが来ておはぎパーティー。みんなが集まって舞台が整った。 (大団円に向かって集合しているけど、るいとジョーの関係者が来ていて直接このステージに関係のないひなたの友人関係は来ていない控え目なやりすぎないところが好きです)

111話。On the sunny side of street 1曲の中に、ジョーのかつてのトランペットの録音と今のピアノとトミーの共演と安子とるいの再会の奇跡。互いを大切に思うからこそのトミーの夢とるいの夢とジョーの夢が思っていたのとは違う形だけれど実現された。ヒロインひなたは隅で喜んでいる。
アニー=おばあちゃんの安子を逃さへんでと背負って連れてきた汗だくのひなた。お母ちゃんとおばあちゃんを再会させることができたのは、時代劇を救うために働き、英語を勉強してきたことが誰かのため何かのためなら頑張れるということが力になった。語り手でもあり現代に生きる視聴者に最も近い存在。
最初に英語講座の収録場面 a long time ago と始まり英語講座の物語だったことが示されるけれど、ラストシーンが安子と稔の声を合わせてのひなたの道で呼応させてもいる。未来のひなたビリーと本編での現代時間のるいジョーと過去の安子稔。(ちゃんとアメリカでのロバートとの時間も提示してる)
ロバートの後ろに映るゆりかごに目が向くけれど、このときロバートも花背負って映ってました、そもそも花を買ってた人で安子に花を贈った人だった。 こんなにあちこちに花があるのはやっぱり語り手ひなたの少女漫画大好き妄想世界なのかな。
かつて定一さんが歌った場所で同じ曲をるいが歌う。音楽の力を見せるためには役柄は市井の人であっても、世良さんや深津さんのように歌える人でなければならなかった、喫茶店のマスターや回転焼屋であっても。

112話。見終わってしまった。。。(一年半くらい前に終わってます)あと、情報多すぎて2倍に引き伸ばして見てみたい。 算太のことを安子が穏やかにお兄ちゃん最後まで踊っとたんじゃなあと大好きな兄として言うのも感慨深い。最初はいなくなった理由もわからずにどうしてと思っていただろう。
3人で聞くラジオからSeize the day!とメッセージが流れてたんですね。 それぞれの近況をテキパキと知らせてくれて、安子は100歳になり、るいとジョーは幸せそうな老夫婦。ひなたはようやく回転焼にビリーを誘えた。今も登場人物がそれぞれの町で暮らしていると思える。

何度も見たくなり、何度見ても発見があり、改めて見ると印象が変わったりこうだったのかもと思ったりしました。 偉人がモデルの話でも夢を叶えた人の話でもなく、厳しいことがあっても生き抜いた市井の人にも濃い「物語」があると教えてもらいました。
凝縮された112話、箸休めの回など一つもない、目一杯詰まっているのにほぼ日常会話の当たり前の少なめの台詞でこれだけの表現、一見朝ドラあるある風なやらかしたのではというところもわざとやっていて本当の意味するところは別にあって凄かったなあ。(そしてまだ気づいてない仕掛けがあるのかも?)
唯一と思える、56話のジョーの戸籍謄本のタイプミスすらもしかしておとぎ話であることを知らせていたのかも!?と思ってしまいます。(他の仕掛けが巧妙なので流石にそんなことはないかな) とりあえず今の希望はBS4Kで再放送希望(まだまだ何かありそうな気がするので細かいところを見たいというオタク)



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