[試し読み]星の子供たち Episode.1 暁
さらさらとした砂ばかりが続く白い大地に、暴力的な太陽の光が照りつける。地表から草木が姿を消して千年、大気が薄くなるにつれ、紫外線は強さを増した。昼間は大人でも防護服なしで外を歩くことができないのだから、十三歳になったばかりの俺が、そう簡単に外へ出ることは適わない。
子供が外に出ることを許されるのは、陽が沈んだ後だけだ。それでも酸素が薄く、昼とは逆に凍えるほど気温の低くなった外に出ていられるのは僅かな時間。限られた時間で食い入るように見つめるのは、宝石を散りばめたような眩い夜空だ。
もうすぐ船が見つかると、大人たちが噂している。残された人類が百数十年かけて探している遺跡の入り口が、やっと発見されたらしい。詳しいことはまだ秘密にされているけど、うれしさを隠しきれない大人たちの歓びは、子供の俺にだってわかる。
俺の夢は、その遺跡に隠された宇宙を飛ぶ船の操縦士になること。不自由なこの星を飛び出して、人がのびのびと住める星を見つけること。空には数えきれないほど星があって、その向こうにも宇宙は広がっているのだから、きっとどこかに夢みたいな星があるに違いない。
「スフェン」
呼びかけると、三つ編みにした長い白金の髪が地面に擦れることも気にせず、しゃがみこんで熱心に砂を掘っていたスフェンが顔を上げた。夜空に浮かぶ緑色の星に似た大きな瞳が俺を捉えると、柔らかく微笑んだ。
「うん?」
「たまには上を見ろよ。今日は流星が多いと思わないか」
「そう、僕にはいつもと同じに見えるけど」
「今のうちからちゃんと空を見ておかないとダメだ」
「それは暁が代わりにやっておいてよ。それより、これ見て」
俺が星を見る邪魔にならないよう、光を小さく絞ったカンテラを自分の手にかざす。スフェンの透けるように白い手の甲に乗っていたのは、小さな黒い虫だった。虫は滑らかな素肌の上を慌てたように這い回っていたが、スフェンはそれが手から落ちないよう器用に掌を返すと、まじまじとそれを眺めて感心するように言った。
「人間が暮らせないような場所で、どうやって生きてるんだろう?」
「そんなのどうだっていいだろ。もうすぐこの星から出ていくんだから」
そう言うと、おろおろとスフェンの掌を這い回る黒い虫に向かってふっと息を吹いた。スフェンが「あっ」とも言い終えないうちに、小さな虫はたちまちどこかに吹き飛んでいった。
*
この星が人間を嫌って数百年、僅かに生き残った人々は、外界と遮断された白く大きなドームのなかでひっそりと生きている。これはいよいよこの星が終焉を迎えると悟った千年前の権力者が作らせたもので、昔はシェルターと呼ばれていたらしい。
地熱に風力、太陽光を組み合わせたエネルギーシステムは修理に修理を重ねて何とか今日まで使い長らえてきた。それでもドームのあちこちに綻びは生じていて、それを直す手立ても尽きかけている。
幾度となく絶望的な状況にあって、それでも残された者たちが生きることを諦めなかったのは、ひとつの希望があったからだ。
権力者が造らせたのはシェルターだけではなかった。枯れゆく星に見切りをつけた彼は、星の外に飛び出すための巨大な船を造らせていた。計画は権力者に近しい限られた者のみが知る極秘のうちに進められ、彼は多くの民を残し、静かにこの星を去るはずだった。
でもその願いは叶わなかった。民を残して己だけが助かろうとする様に疑問を抱いた側近が、すべてを白日のもとに晒したのだ。憤慨した民は権力者を糾弾し、彼ら一族とその関係者に至るまで全員を処刑してしまった。怒りの矛先は事を公にしたはずの側近にまで向き、彼自身も処刑されてしまったというのだから救いようのない話だ。
救いようのない話はまだ続く。権力者は誰に悟られることなく秘密裏に計画を進めていた。それを造ることはもちろん、その船がどこにあるのかさえ一部の人間しか知らなかった。ところが船に関係したすべての人間を処刑してしまったために、肝心の船が隠された場所を知る者が、誰一人いなくなってしまったのだ。
ドームの外に茫漠と広がる砂の大地の、どこかにそれが埋められている。ここに暮らす人々は、自分たちの棲家に限界があることを知ったときからそれを探し続けてきた。既に三百人を切った今の人口なら、全員が船に乗ってこの星を去ることも夢じゃない。
*
度重なる環境の変動に耐えて生き残った人間は、人種を問わず、肩を寄せ合って暮らしている。子供は12歳までに教育を終えると、ドームでの生活を維持するための様々な仕事を補助して回り、それはワークカリキュラムと呼ばれている。18歳になると成人とみなされ、それまでの経験をもとに、それぞれの適性に合った専任の仕事を自動的に割り振られる。
植物も家畜も自分たちの栄養を補うためだけの必要最低限しか育てられず、限られた食物は均一に分配するためすべて加工され、年齢、性別によって公平に配られることになっている。飢えることはないが、満たされることもない。最も俺たちは、「満たされた」感覚がどういうものか知らないけど。
一日で一番混雑する夜のカフェテリアで、カウンターのタッチパネルに10894と入力する。続けてスフェンも10895と入力すると、人参とほうれん草のビスケットキューブにコンポーク、栄養ゼリーの入ったチューブパックを乗せたトレイが二つ、ベルトコンベアから流れてきた。
「暁、コンポークとキューブ交換しない?お肉好きでしょ」
「あのな、これはちゃんと公平に栄養が採れるようにしてあるんだ」
「じゃあキューブはいらないよ。コンポークだけあげる」
「だから、それがダメなんだって。こないだ昼飯のときにお前のコンポーク食べたら、夕飯前にへとへとになってたじゃないか。お前が動けなくなってできなかった清掃のカリキュラム、俺が代わりにやったの覚えてるだろ。船に乗ったら、それこそ食い物の好き嫌いなんて言ってられないんだからな」
スフェンはみるみる悲しそうな顔をした。どうしてスフェンがコンポークを嫌いなのかは知っている。スフェンは以前、物珍しさから家畜として育てている豚小屋に足しげく通っていたことがある。その成長を見守るうち、愛着が湧いてしまったのだろう。コンポークが彼らだと理解した途端、スフェンは顔を青くして口元を押さえ、トイレに駆け込んだ。
「暁も、コンポークが豚だって知ってるでしょ…どうして食べられるの」
黙々とコンポークを食べる俺を信じられない目で見るスフェンのトレイには、コンポークだけが残されている。大体、コンビーフやチキンは食えるのにコンポークだけ食えないスフェンも大概おかしい。聞けばコンポークのことがあってから、意識して家畜小屋には近寄らないことにしているのだと言っていた。俺はまだ手をつけていないキューブとゼリーをそのままに、すぐコンポークを平らげると、素早くスフェンのトレイと交換した。
「キューブだけじゃ腹が減るから、ゼリーも食っとけ。言っとくけど、これ俺にとっては食物繊維不足なんだからな」
スフェンの顔がぱっと明るくなり、ありがとう、と言ってキューブを頬張った。別にうれしいわけでもないが、ほっとするのはなぜなのか。子供は他にもたくさんいるのに、どうして俺は隣の試験管で生まれたというだけで、マイペースなスフェンの面倒をずっと見ているのだろう。
*
ドームを終の棲家と決めたときから、人類が生きるために必要な、すべてが完璧に続いていくサイクルを作り上げたはずだった。でもこの世で永遠に変わらないものなんて、きっとありえないんだろう。安全だと思われた棲家が壊れるのと同じように、人も壊れる。
最初に人口が大きく減ったのは、伝染病のせいだった。これほど神経質に管理された世界でさえ、新たな脅威は生まれるのだ。ワクチンが完成する頃、人口はおよそ半分に減っていたというから恐ろしい。
未知の病原菌と人口の減少は、のちの出生率にも大きく影響を及ぼした。長く不自然な環境で過ごしていることも、自然な出生の困難に繋がった。男女が普通に愛し合っても、命が誕生する確率は極めて低い。
子供が減ることは人類が途絶えることに直結する。それだけは阻止しなければならないと、あるときを境に命の多くは試験管のなかで生まれるようになった。こうなることを予想して、多くの卵子と精子は凍結してあったのだ。
ランダムに受精させた細胞のうち、そう手を掛けずとも形になった命だけが生き残る。俺もスフェンもそうして生まれた。生まれてしばらくは名前がなく、代わりに死ぬまで使う番号が振られる。稀に人間から誕生した子供もすぐに取り上げられて、試験管の子供と同じように扱われる。公平を期し、誰かの子供ではなく、皆の子供として育てるためだ。
だから人間から生まれた子供だったとしても、本人は親を知らない。一方、親のほうは見た目などから自分の子供がわかってしまっても、公表することを許されていない。かつてその掟を破った親は、自身には罪のない子供ともどもドームから追放されたのだと聞いた。
*
「そういうの、いけないんだから」
突然俺たちの横に立ち止まった子供の声に、どきっとして顔を上げた。最後のキューブをかじっていたスフェンも肩を竦ませて目線を上げたが、勝ち誇ったように俺たちを見下ろす少女の顔に胸を撫で下ろした。No.10896、スフェンの次に生まれた香麗だった。
「これあげる。内緒だからね」
香麗は偉そうに俺のトレイへ人参のキューブを落とすと、何食わぬ顔で空になった自分のトレイを返却しに行った。
「香麗は優しいね」
「人参が嫌いなだけだろ」
「きっとそれだけじゃないと思うよ」
香麗のつんと澄ました態度がどうにも苦手だ。俺が渋々キューブをかじる様子を、なぜかスフェンがはにかむような笑顔でうれしそうに見ていた。
*
夕食の後は順番にシャワーを浴びる。水は貴重で、極限まで繰り返し浄化して使用する。それでも度々不足して、たまの雨を願ってセコイアの木に祈る。二段ベッドしか置けない家畜小屋より狭い部屋に戻る前に、セコイアに祈るのが子供に課せられた習慣だった。
ドームの中央にあるセコイアはここで最も大きな植物で、皆はそれを神様と呼んでいる。千年以上前にはたくさんの国があり、その国ごとに神様がいたらしい。でもこの小さなドームに全部の神様を入れてしまったら、それぞれの神を信仰する人間のほうで諍いが起きてしまう。だからセコイアが神様の代わり。セコイアの木は一本だけど、皆はそこにいろんな神様の姿を見ていたのだと、大昔の神話を読み漁っているらしいスフェンが話していた。
ここまで人工物に頼っておきながら、何を今さら神に祈るのかと言う人もいる。実は俺も、そう思う人間のひとり。皆が揃って胸の前で手を合わせ、目を閉じている様を薄目で見ていると、とても滑稽に思えてくる。こんなことをしても、都合よく雨なんか降らないのに。
前にそれを、こっそりスフェンに話したことがある。眠りにつく前、皆の様子を思い出すととても可笑しくなって、下のベッドにいるスフェンに語りかけた。スフェンは祈りの時間に何を考えてるんだ?神様なんていないと思わないか?皆が一斉に祈ってる姿って、何だか笑えるんだ。すると下からごそごそと寝返りを打つ音がした後に、ううんと唸るような声が聞こえた。
「神様は、いるかいないかじゃなくて…概念」
「ガイネン?」
「いることが重要なんじゃなくて、何かあったときに必要っていうか。人間は、神様みたいな存在がいないと生きていけないんだよ。だからセコイアを神様っていうことにしたんだ」
「はあ?」
「暁は、夜中にこっそりセコイアの前で祈ってる人を見たことない?」
「そもそも夜中に行かないだろ。お前、わざわざ抜け出してそんなとこ行ってんのか?」
「ひとりで考えたいことがあるときにね。でも、僕より先にセコイアの前で祈ってる人がいることもあるよ。たまに泣いてる人もいるから、もしかしたら懺悔してるのかもしれない」
俺にはよくわからない。皆が寝静まった後、隠れるようにセコイアの前で懺悔するなんて、弱くてずるい人間がすることのように思えた。
「スフェンも何か懺悔してんの?」
「そうだなあ、たとえば、今日も暁にコンポークを食べてもらった僕をお赦しください、とか」
「お前、それは神様じゃなくて俺に謝れよ!」
勢いよく起き上がり、睨むように下のベッドを覗き込んだ俺を見て、スフェンは気まずく毛布のなかに潜り込んだ。
「だって、暁に謝っても赦してくれないじゃない。人間は神様ほど寛容じゃないから、そう簡単に赦してくれない。でも神様は、相手が誰でも赦してくれるんだよ」
「そんな簡単に赦してくれる神様に赦してもらって、何の意味がある?」
スフェンは黙ったままだった。毛布にくるまったままごそごそと寝返りを打っていたが、苦しくなったのか、ぷは、と毛布から顔を出した。
「暁には意味がないことかもしれないけど…赦されることで、生きていけるよ」
スフェンは時々、俺には理解できないことを言う。でもそれを深く追究しようとは思わなかった。スフェンと俺は違う人間で、分かり合えないのが普通だからだ。俺が黙ってベッドに戻ると、スフェンが下でぽつりと呟いた。
「たぶん、暁にはわからない。君は強いから」
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