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【海外就職】4度目の正直?アラフィフでベトナム国内転職

こんにちは!Chifukuです。

TOPの写真はハノイのCau GiayにあるFPTで、IT企業が集結する地区です。これからこのエリアで働きます。

新卒で20数年働いた日本の企業を退職して以来、インドのバンガロールで1年、ベトナムのホーチミン市で約1年5ヶ月働き、こんどはベトナムのハノイの企業に転職することになりました。

アラフィフで4回目の転職。

日本の大企業に勤めていた時と違い、退職金が増えたり企業年金が増えたりするわけではないので、退職するリスクはほぼゼロ

また、賞与も日本のときのように5〜6ヶ月分とかではなく1ヶ月分程度なので、そのタイミングまで我慢したり待つ必要もなし

しかも、日本だと、短期間の複数回離職は好感されないと思うが、ベトナムのIT企業は日本人の経験者を必要としているので、日本で20数年の業務経歴を重視されて、ジョブホッパーとは思われませんでした。
(もちろん転職理由は問われましたが)

なお、3度目の転職については、こちらに記載していますが「今度こそ長く勤めるぞ!」と張り切っていましたww

ベトナムの就職は、労働許可証取得のために時間やお金がかかったので、そう簡単には辞められません。

転職理由

仕事に不満はありませんでしたが、友達がいなかったです。たまに同じレストランで遭遇した時に相席することはありましたが、原則ひとりです。

また、ベトナム語で注文できないので、指差しで注文できる5店舗くらいを使い回していました。最初は良かったけど、だんだん同じメニューに飽きてきて、たまに「ピザ食べたーい」ってピザ屋に駆け込んでも、超高いのに味は普通。Pizza 4P‘sは遠いし、結局安いベトナム料理がコスパ最高なので、美味しいものに飢えていました。

こんな小さくて700円!

インド現採時
インド歴10年の社長が色々な人を紹介してくれて、そこから人脈が広がりました。

最終的には、小学校時代の親友に会うこともできて、毎月誰かと食事していました。インドのランチは14:00以降と遅いので、早起きの私はひとりで12:00にお手製カレーかビリヤニを共有の飲食スペースで食べていましたが、たまに同じシェアオフィスで働く知人と一緒に食べることもあり、自分で持ち寄ったお弁当をシェアしていました。

職場がMGロードというバンガロールの中心地だったので、多国籍料理が気軽に食べられるし、美味しいパン屋やカフェもある。しかも英語で注文もできる。

中国駐在時
日本語ができる中国人スタッフとランチしていました。日本人は高い日本食を食べていたので、一緒に食べるのはやめました。

このランチタイムで、色々な情報交換ができて、とても有意義でした。10年前で既にQRコード決済が主流で、割り勘もアプリで完結していました。こういうのはひとりメシでは知り得ません。

たまに一人でランチする時も、中国語で注文できるし、麺も種類がたくさんあって、毎日同じになることはないので飽きませんでした。

でもランチ時は激混みなので、かなり待たされますし、道も常に渋滞だし、エレベーター待ちもすごくて、1時間じゃ足りないと言う人口多すぎ問題はありましたが。

ホーチミン市現採時
ベトナムはつまらなかった。
その根本原因は言葉ですかね。

海外旅行が好きで、社会人になってから色々な言語を学びましたが、ベトナム語の発音がわからなくて、なかなか勉強が進みません。発音できないと文字だけでは記憶に留められないので。

じゃあ、なぜハノイ?と思いますよね。
それは、昨年何度も主人が住むキンマー通り付近のレストランの多さや利便性、天候などを含めて、ハノイ良いかも!って思ったんです。
あとは、京都や北京のような観光も楽しめそうな立地。色々ありますが、全部緊急度は高くないし、直感なので、ご縁があればハノイへ転職したいと思うようになってきたのです。

duolingoのベトナム語は挫折

転職活動開始

前回ホーチミン市の企業を紹介してくれたエージェントに連絡しました。

転職して1年未満だと、別の企業を紹介できないとか、縛りがあるのかなと思ったけど、それは大丈夫です、と言われながらも一旦は終了。今年の初めくらいだったかな。特に急ぎではないと伝えたので、挨拶で終わりました。

転職するなら、アパートの1年契約が切れる5月がベストタイミングだと考えていました。前回転職活動に3ヶ月かかったので、2月末くらいから0秒思考を始めて気持ちを切り替えようとしました。

ここで分類したのは、Work, Money, Life, Study, Healthの5つでした。でも毎日同じこと書いている。

アホらしい。
だったらすぐやれば良いじゃん!

って思って、0秒思考は16日で終了。3月くらいから本格的に転職活動を開始しました。でも日本で著名なエージェントは国内企業ばかり紹介してきます。毎日送付されるメールを見るのは時間の無駄でした。

前回活用した海外に強いエージェントにお願いすることにしました。

前のエージェント

前職を紹介された担当者は別の仕事に異動されていたのですが、きちんと私の情報は連携されていました。
さすがです。(と言うか、1年後に同じエージェント使って転職しないよね…)

前回同様、精力的に紹介していただきましたが、希望と合致する企業がなかったです。別に無理に転職したいわけではなかったので、なければこのままでいいや、と思っていました。

次のエージェント

以前、インドの同じシェアオフィスで働いていた知人に紹介してもらったエージェントから連絡いただきました。

東南アジアの就職動向?みたいなセミナーに出席したのがきっかけです。そしたら、私のための求人かと思うくらい、これまでの経験が活かせそうなお仕事が見つかり、1次、2次、オファー面談と毎週会議を設定して、3週間で決まりました。7月でした。

私から給与交渉はしませんでしたが、先方が現職と同程度の給与に引き上げてくれました。

更に決め手は、帰国手当が年に2回あるという点。普通は年に1回の会社が多いと思いますし、前職では2年に1回でした。しかも、1回最大700ドルなのでJALに乗れる!
(インドの時はコロナ禍でJAL直行便は20万円超で高すぎるから、とスリランカ経由にされたし、前職では選択の余地なくLCCのベトジェットだったし…)

でも、元々日本採用で現地への出向を考えていたのと、ベトナム国内転職の場合の労働許可証申請方法が未経験で書類準備に時間を要するだろう、と言うことで10月入社になりました。

昨年、ベトナムで就職先を探していただいたのにオファーを辞退してしまったエージェントでしたが、今度はご縁があって良かった。この長〜くてゆる〜い待ちの姿勢が功を奏した国内転職でした。

人脈は大事にしなきゃ。
インドの知人にもお礼と今回の転職の報告をしておきました。

退職

退職する時、連絡先を聞かれたり、たくさんのプレゼントをいただきました。一緒にご飯食べたり飲みにも誘ってもらいました。お腹も胸もいっぱいです。

連絡先を交換した人とは、いつ連絡するかわからないけど、大切にしたいと思います。

まとめ

もし今度退職が脳裏をよぎったら、もう企業勤めは終了します。

だって、中国やベトナムでは女性は55歳で定年なんですもの。日本基準の65歳とか70歳まで働くなんて、磯野波平もビックリでしょう。

中国やベトナムでは、早朝公園で大極圏や散歩している人がたくさん。
毎日運動しておしゃべりしていれば、悩みなんて吹っ飛ばして生きていける。

あと数年後、アラカンの主人と一緒にお酒を嗜みながら世界中を旅して、日本の田舎でのんびり暮らしたいです。

移住の夢を果たしたら、やっぱり日本がよかったって、ハタから見たら何それ?って思われるかもしれないけど、物価が安い国に移住して旅行三昧の生活ができていることには満足です。ただ、いづれは日本に帰国するだろう、と言うことです。

先日息子の結婚式で父が主人に、
「いろんな国に暮らしてみて、どの国が一番良かった?」
と聞いていましたが、主人も
「やっぱり日本が一番いいですよ。」と。


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