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お誂えの振袖が欲しかった

子どものころから、着物が好きだった。
踊りをやってたからか、
着物をたくさん持っていた祖母に憧れていた。

中学生くらいの時から、
成人する時に、自分の振袖を買ってもらうことを楽しみにしていた。
周りのひとには、
流行りの着物を着るひとも多いだろうから、
式自体は母やおばの振袖を着てもいいな、
とは思っていた。

大学受験を終えると、
着物屋さんのパンフレットが届くようになった。
レンタル、購入、ママ振。
着物と同様に、選択肢はたくさんあった。

それと同じ時期、
父がガンになっていることが分かった。
わたしの学費と、父の医療費がかかり始めた。

着物を着るうえで、
選択肢はたくさんあったけれど、
当然ながら金額はかなり違う。
当たり前といえば当たり前だが、
自分の振袖を買うとなると、
いちばん値が張る。
レンタルの中でも、ある程度自分に合わせて採寸してくれるレンタルと、
既に仕立てられた着物を借りるのでは差がある。
一番値が張らないのが、「ママ振」であった。

父の医療費がかかるので、振袖にお金をかけられなかった。
我が家には、ママ振の選択肢しかなかった。

ただ、わたしと母の身長には10cmの差があるのだが、
ここまでの差があるとサイズが合わないということが分かった。
母が仕立てた頃は、着るひとぴったりに採寸していたから、らしい。
そのため、わたしと身長が近い伯母の振袖を着ることになった。

でも、伯母の方が裄が短かった。
お直ししなくても何とか使える長さだったのでお直ししなかったけれど、
ずっと袖を持っていないといけなかった。
なんだか、惨めな気持ちになった。

前撮りの時、別の着物も着てみよう、という話が出ていた。
でも当日、鼻血を出してしまった。
私としては何度も出しているので、どうってことはなかったのだが、
大事を取ってやめよう、という流れになってしまった。
結果、伯母の振袖以外の振袖は着れなかった。


40年前の振袖が嫌だったわけではない。
白というかクリーム色というか、そんな色も素敵だった。
鳳凰の柄も、周りにはいなくて珍しがられた。

でも、私の好きな紫やピンクの着物も着てみたかった。
濃い青の着物も素敵だった。
自分の振袖で、結婚式に参列したかった。

今のわたしがいるきっかけになった友人の結婚式に、
自分の振袖どころか伯母の振袖でも参列できなかったことが、
今でも心残りだし、後悔である。

欲を言えば今からでも自分の振袖が欲しい。どうせ一生振袖だし。
でも買うお金でさえも貯められない。
誰かの結婚式に呼んでもらえることがあるなら、
レンタルでもいいから振袖を着たいけれど、
大事な友人の結婚式がドレスだったのに、
他の人が振袖だったら、序列を付けているようでそれも嫌だ。

毎年、成人式のシーズンになると、振袖を着ている方がうらやましくなる。

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