もう戻れない時を祈り、つなぐ
毎年この時期になると、新聞で
「御巣鷹山の事故」の記事を読んでいた。
「地元」ではあるが、
地理的には離れている場所で、
生まれる12年前に起きた事故で、
わたしの知る限り周りに関係者もいない。
実体験はないに等しいが、
夏を感じさせるものの1つでもあった。
でも、「御巣鷹山の事故」は印象に残っている。
それはこの事故があった日が、
友だちの誕生日でもあるからだ。
盆入りも近いこの日の夕方、
ひとり旅に出ていたお子さんが、
仕事をしていたお父さんが、
ひとを元気づけていた歌手が、
たまたまあの飛行機に乗ったひとが、
群馬県多野郡上野村の御巣鷹山で、
大勢亡くなった。
たまたま乗らなかったが故に、
「助かった」ひとも、いた。
わたしの友だちが生まれた日は、
たくさんのひとが「亡くなった」日でもある。
わたしには、「御巣鷹山の事故」を、
実際に見たからこその記憶はない。
知ってはいるけれど、
「誰かの記憶」の追体験であって、
「わたしの記憶」ではない。
事故の原因には、
「人災」といえる部分が大きかったようだ。
つまり、防ぐことができたということだ。
飛行機を運行する方たちの中でも、
「御巣鷹山の事故」に、
「わたしの記憶」がないひとが年々増えているらしい。
35年経ち、あの頃まだ、
物心がつかぬくらいだったお子さんも、
今や中堅と呼ばれるくらいになっているかもしれない。
当時入職したばかりの若手だった方も、
定年を控えているかもしれない。
当時、定年を控えていた方の中には、
亡くなった方がいるかもしれない。
「わたしの記憶」がなくても、
「誰かの記憶」を追体験することしかできなくても、
もう時が戻らなくても、
つないでいかないと、忘れ去られてしまう。
事故があったということも、
修理不全があったという事実も、
防げた部分が大きかったということも。
わたしの持つバトンは、
誰かのバトン100%かもしれないけど、
そのバトンは落とさずつないでいきたい。
友だちの生まれた日は、
亡くなったひともたくさんいる日でもある、
その事実を噛み締めながら、
戻れない時を祈り、つないでいきたい。