兵庫県知事選の広報担当者のnoteを読んで感じた2つの違和感
兵庫県知事選挙における戦略的広報:「#さいとう元知事がんばれ」を「#さいとう元彦知事がんばれ」に
このnoteを読んで感じたことを書いてみます。
日本中が注目した兵庫県知事選挙。私がこの選挙に興味を持ったのはリハックの番組です。
今回の選挙は日本の民主主義を問うものになる、と斎藤さんが語っておられたのがすごく印象的で、そこから興味を持つようになりました。ボランティアの方、有権者の方がアップしてくださる街宣の動画やポストを読んで、選挙の行方を見守っていました。
そして投開票の日。20:07にお風呂から上がってテレビを見てびっくり。ゼロ打ち当確!のテロップが。歴史的な快挙を目にすることができて鳥肌が立ちました。
それから数日後、斎藤さんの選挙運動の広報全般を担っている折田さんの記事が目に入りました。
選挙運動の舞台裏ってどんな風になっているんだろう。そんな好奇心から読みました。
そこには選挙におけるブランディングやコンセプト、フェーズごとのターゲティングなど広報戦略が惜しげもなく書かれてて、こんなに細かく書いちゃっていいのかな?とこちらが心配になるほどの内容でした。私もSNSの運用をもっと頑張りたいと思っていたので分野が違えど勉強になる点が多くありました。プロモーションを学びたい私のしょうな初心者にとっては内容的に
は参考になるものでした。
内容は良かったのですがnoteを一通り読み終えたあとの読後感として嫌な感じといいますかザワつくような違和感が残りました。でも私の気にし過ぎかなと思っていました。ところがその翌日、折田氏の書かれたnoteがXで炎上していることで、その時に抱いた違和感の正体を知ることとなりました。
言葉にならないこの違和感はなんだろうと思っていましたが書いた文章から滲み出る「私が」「私が」という承認欲求の強さが読後感の悪さになっていたのです。それを読み手側は敏感に感じとったのでしょう。
「私、こんなにすごいことやりました!」って感じて誇りたい気持ちがあるのはわかりますし、歴史的な選挙に間違いなく貢献したと思いますが、こうやって書かれると、抵抗感や反発を抱く人も少なくないのでしょうか。
使うハッシュタグ一つにもこだわり、あれだけ緻密な選挙プランを立案できた方が、なぜこのタイミングで、このような記事を投稿してしまったのかは理解ができません。投稿する前に斎藤さんはもちろんのこと、関係者の方に事前確認したのだろうか。守秘義務はどうなってるんだろうか。そんな疑問を浮かびました。
滲み出る承認欲求の強さに違和感を持ったことに加えて、もう一つ気になったのは物語の余韻が途中でカットされてしまったことの悲しさです。応援する立場だからこそ感じる歯痒さとも言えるでしょうか。
逆風の中からたった1人で立ち上がり、日を追うごとに風が吹き、奇跡の再選を果たした兵庫県知事のストーリーを見てまだ余韻が覚めやらないうちに、「支持拡大のための種まきはこうでした!」と手品の種明かしをされてしまったようなそんな感覚になりました。こんな風に思うのは私だけかもしれませんが。
例を出すと魅力的なかわいいキャラクターの着ぐるみの中の人が、いきなり着ぐるみを抜いてヌッと顔を出してきたらビックリすると思います。きっとそんな心理に近いのでしょうか。
もうちょっとこの奇跡の物語の余韻に浸っていたかったのかもしれません。
斎藤さんの熱い想いに共感した若手議員のみなさんやボランティア、有権者の1人1人の熱い想いがあって実った勝利🏅だと思うのです。そう思いたいのです。仮に裏側では業者が絡んで緻密な選挙プランがあったとしても、そういうのにまんまと乗せられたとは思いたくないのです(笑)
私は婚活が専門なので、婚活の事例で考えてみます。
未婚の女性がマッチングアプリで出会った男性と付き合うことになって、初めて彼の家に遊びに行ったら、本棚に「女を口説き落とすテクニック100選」ってタイトルの本があったらちょっと引きませんか。そういうのは隠しておいて欲しいというお気持ち。
承認欲求云々よりも重要な争点となっているのは、公選法違反になるかならないかだと思いますが、引き続き注意深く見守っていきたいと思います。