地道な努力
先日、修士論文の要旨提出日に大学院の自習室に同級生が自然と集まりました。
それぞれが、指導教官のOKをもらったとの知らせを聞いて自分のことのように喜び合うみんなです。
これから修論本編が最終的に大詰めになっていきます。
ところで、facebookの過去記事で、2014年の今日(1月16日)にこのような画像をアップしていました。
一般的に、ひとは、大きな壁に当たったり、周りの人が活躍していると、
自分には力がない、とか、
圧倒的に知性が足りないとか、
あの人は、有名大学出てるから、とか、
資格を持っているから、とか、
他者との比較だけで、その壁を乗り越えることを諦めてしまいます。
でも、経営者の方(親戚をはじめ夫もそうで、起業家が多かったりする)は、
めんどくさいことをきちんとやり抜いた先に見えるものがある、というようなことを異口同音、おっしゃいます。
要は、試験で言えば、「ヤマ」、とか、
特別枠、ばかりではない、ということ。
そして、地道にやったことは何かの形で必ず達成されるということ。
チャンスが山のようにあっても活かせるか活かせないかは、地道に積み上げたものがあるかどうかと、やるべきことが、なんかいいことないかなではなく、
明確にあること、そして実行可能であること、
謙虚に他者の意見を(自分に都合がいいように、だけではなく)聞いて実行できているかどうか、らしい。
きっとそういうことを言っているのかな、と思います。
めんどくさがりのわたしは、
すぐに近道を探すし、大多数の人は、
人と自分を比べて諦めてしまうけど、
実際、憧れるほど成功している人は、かなり努力しているのだ、
ということは、生き字引のような周りの人たちに教えられます。
とはいえ、ほんまに、しんどいけど、乗り越えてみせるよ〜。
この時期の修論は、いつもときっと違う。
このいろんなことがモリモリのこの2年間で、現場との両立が本当に大変だった。自分の手術とまだ続くリハビリもあったし、
何度病院にも憎きコロナ波がきただろう。
去年の今頃は新人のMSWが育つまでの緊張感と、自分の手術の予定とコロナの大きな波の中でのベッドコントロールと、睨めっこをしていた。
わたしの頭のキャパが確実に超えそうなのに本当にそれが見えている人はひとりも、多分1人もいなかっただろう。
大変だろうということはわかってもそれを一つ一つ言うのは言うだけでしんどいと言うのもあったかなあ。。こう言うのは本当に初めてでした。
今も8波の影響が大きいし、現場にはいつでも激震が起きている。修論だけにとりかかれないというところが、中小規模病院のつらいところだけれど、それが現実。
どんな病院でも働きがいのある組織づくりは見出せるはずだからね。
さて、貼り付けたこの言葉は2014年ですから、多分、認定看護者研修のセカンドレベルを終えた頃だったかと思います。
その時の仲間が、みなさん、大阪近辺で管理職や教育者として活躍されています。
コロナ前に定期的に集まっていたけれど、そろそろ復活したいな。
大阪府下で、看護管理者、教育者として、大活躍の彼女らに早く会いたい。
彼女らも、地道に努力されていたなあ。学ぶことばっかりです。