家事分担から考える人権 今と昔
緊急事態宣言が解除されるニュースが出たり、そろそろ学校が始まるのかな的空気が流れていたり、ちょっとづつ状況も心も開放されている中、
嬉しい、よかった、と思うと同時に、この生活から抜け出せるか不安で仕方がない。
毎朝7時半に起きてzoomでラジオ体操し、朝ごはんをのんびり作り、8時半ごろゆったり食べる。
今日の家事の分担を割りばしクジで決め、各々学習や家事に取り掛かる。
(息子お気に入りのハルトくん。笑)
仕事していたころは、週1度ぐらいしかしなかったこのタスクを、皆で毎日分担するから私の家事が格段に減り、もれなく家がきれい。
日中は勉強したり、エクササイズしたり、バーベキューしたり、ありがたいことに気ままな日々。夕方は16時半くらいから飲みながら、だらだら料理を作る。
19時半には家族で今ハマっている大河ドラマを観て(西郷どん)、2話続けて観たところで「あと1話観たい~~~~~!!」とのせめぎ合いで、だいたい9時半に就寝。
こんな日々がだんだん日常になるから、人はつくづく慣れることが得意な生き物だなとおもう。
家事と人権 今昔
幕末を舞台とした西郷隆盛の歴史ドラマを毎晩観て思うのだけど、幕末(ペリーがきたあたりの1860年くらい)は、基本的に成人男性以外は意見をいう権利がない。
その男性もお上から「切腹せよ!」と命じられたら、それが仮に機嫌が悪くて腹いせでの命令だったり、愛人から「あの男嫌い~」と言われただけという不条理な理由だとしても、死ななくてはならない。
人権もナニもあったもんじゃないのです。
当然妻はご主人様に「あたしばっかりしてるんだから、家事やってよね」とは言えないし、
「ちょっと昼寝するから子どもみてて」とも言えないわけで、
「あーーー疲れた!疲れたから今日はテイクアウトにしようよーー!」とも言えない。
それどころか、ご主人様のお考えに背くような発言もしちゃいけないし、女子供が政治に口を出すなんて言語道断。
「あ、あの場所は神聖な場所だから、おなごは行ってはいけないのでは?」
という会話があるくらい、マジで男尊女卑社会。
そんな幕末から様々な歴史を経て今に至るのですが、今保育士試験の勉強をしている中で、人権擁護や社会福祉っていうキーワードがたくさん出てきてしっかり読んでみると、凄いことに気が付いたのです。
人権が保障され始めたのって、実は最近。
ということ。
戦後昭和22年(1947)に日本国憲法が施行され、そこで初めて「基本的人権の保障」が明示され、そこで一気に児童福祉法とか生活保護法とか、身体障碍者福祉法とか、老人福祉法とか、母子福祉法とかとか10年くらいでどんどん整備されていき、男女雇用機会均等法が1986年に施行されても、それでもやっぱり女性の地位は実質低いまま。
平成10年(1998)くらいになって初めて介護保険法とか、障碍者自立支援とか、児童虐待防止法とかDV防止法とかできあがるわけです。
子どもの貧困対策の法律は平成25年(2013)。
1998年って、私は1980年生まれだから、なんと18歳頃になってからはじめて「虐待しちゃいかんよ」っていうことになったんかい!!!!って思うと、ものすごい最近な気がするんです。(18歳の頃が最近って言いたいわけじゃないよ)
その幕末の頃の理不尽度から考えたらものすごい進化だと思うのだけど、
今当たり前に思ってるこの法律が、たったの20年前のことだったんだと衝撃が走る…
フツーに生きてると「家族の一員なんだから家事分担は当然」とか「育児と仕事の両立社会」とかになっていることに慣れ過ぎて、そしてたくさんある子育て支援をありがたく当たり前のように享受しすぎて、なんだか、ほんのちょっと前まで、そもそも「守られる」権利すらなかったんだよね。とあらためてちょっと驚く。
歴史を築いてきた先輩方のご尽力のおかげで、今の当たり前があるのだけど、もっともっと良くなるよね、と本音は思う。
母親の人権
子育てをやはり母親だけが担いがちなこと、
働くことと育児が両立が難しいとと、
女性の非正規雇用率が高いこと、
そしてこのコロナで女性非正規が29万人も減少したということ、
ひとり親世帯の貧困率が50%ということ(OECD加盟国で最下位)、
育児はお母さんがするものという空気、
家事はお母さんがするものという空気、
それを上手にできない人の罪悪感、
キラキラできないお母さんの焦燥感、
大小のストレスが積みあがってマグマのように破裂する寸前で、必死に抑えながらなんとかバランスをとって生きている事実。
子育てを取り巻くことだけでも、まだまだ課題はある。
私たち親はありがたく授かった子どもを育てる義務があるけど、私たちは母親になるためだけに今までの人生を送ってきたわけではない。
母親になるためだけに、一生懸命勉強して大学に行ったわけでも、
母親になるためだけに、仕事に一喜一憂して邁進して日々努力を積み上げてきたわけじゃない。
母親になるためだけに、結婚したわけでもない。
私は私の人生を、日々本気で生きてきて、その通過点の中にこの命を育てる義務があるだけで、これが一生続くわけではないこともわかっているものの、それでも私たちだって私たちの人生の「今」も生きている。
子育てを疎ましく思うわけでもないし、むしろかけがえのない時間。
だけどそれを、本当に親子共にかけがえのない時間にするためにも、自分自身の人生を大切にしたいと思う。
子どものためだけに生きることができない自分は、決して欠陥品ではないのだ。親失格ではないのだ。
「がんばってるもんね」と皆が子育てを認めてくれるような世の中にしたい。
苦手な人も、得意な人もいて、それをお互い「そうだよね、そうなんだね」と認め合える世の中にしたい。
かつてご主人様に不平も漏らさず仕えていた女性たちと比べて、今のわたしたちはワガママになったのだろうか。
わたしは違うと思う。
時代が変わったのだ。
時代を変えていくのだ。
子どもたちの未来のために。