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《転職起業記録④》今までのこと、産後のこと、これからのこと

最近こっそりとひっそりと、保育士資格取得のための勉強をスタートしているもうすぐ40歳 、小1小2の母です。

今の広告関連の仕事とは180度方向転換しようとしているのですが、そのきっかけの話をしたいと思います。

産前は都内の大手広告代理店 D に在籍していたのですが、産休時に伊豆へUターン。(その時点で戻る気ないだろと思われそうですが、結局復帰1カ月前に2人目の妊娠がわかり退職…予想通りですみません w)

当時仕事大好きで、優秀過ぎる素晴らしい仲間や先輩に囲まれて働き、大きなプロモーション案件に日々関わり、それが世の中に出る時のよろこび、広告が大きなモニターで流れるよろこび、自分がかかわった商品を手にしてレジに行ってくれるお客さんを見るよろこび、広告で心が躍らされるあの感動を創るよろこび、皆で味わうものすごい達成感で、仕事が毎晩遅くても全く嫌ではありませんでした。

22時くらいに仕事が終わった後は大好きなワインバーで飲み歩き、週末はヨガやバレエをするという、結婚後も独身の頃と同じ自由な生活をしていた私ですが、妊娠し、さすがに早めに帰宅するものの、

当然、出産で大きなカルチャーショックを受けます。

余談ですが私は子どもの頃から、小さな子どもが苦手でした。
中学の頃のボランティア活動の授業で、保育園へ行ったとき、
たまたま遊具に乗ってた子どもの足が私の顔に直撃して鼻血がでたのをきっかけに(笑)この予測不可能な動きをし、話が通じない人種が苦手になったのです。(今は当然慣れましたw)
そんなこんなで、当然、赤ちゃんや子どもを抱いたことがなく、
自分の子が生まれたときに、人生ではじめて赤ちゃんを抱っこしたのです。

赤ちゃんとの生活は、朝から晩まで自分の時間は一切なく、夜も数時間おきの授乳でろくに眠れません。
睡眠不足でイライラし、ごはんもゆっくり食べられないし、常にこの小さな命に危険がないかどうかソワソワ心が疲れる。お風呂に入るたびに産後で髪の毛がごっそり抜ける。
すぐに泣いてしまうのでゆっくりお湯につかっている時間もない。髪に数分のトリートメントをすることも、ボディクリームを塗ることもなく、濡れた身体を急いで拭いて、赤ちゃんのもとへ向かい、抱っこする。

育児をしたことがある人は「あたりまえ」の生活かもしれませんが、私にとっては、この「急な転職」に慣れず、上手に力を抜くこともできず、それは辛い日々でした。

それでも夫はいつも通りの生活。

その遅い飲み会、要る?
その時間の打合せ、意味ある?
ちょっとくらい面倒みてよ!
こっちは一瞬も休みないんだよ?


何度も何度もヒステリーになって夫を詰る私。
当然うるさがる夫。

結局は、私一人だけ置いていかれた淋しさに押しつぶされそうだった。

「赤ちゃんはかわいく、かけがえのない存在」

なのに、私は、私にとっては、
私の目の前にいるこの赤ちゃんは、

「私の人生を奪っていった存在」

といった感情が自然に沸き起こってくる自分が恐ろしく感じました。

みんな、こうやって育児してるのに、
私だけが、ちゃんとできない。
赤ちゃんを皆がきっとかわいいかわいいと愛でているのに、
私だけが、そう思えずにいる。

なんてダメな母親なんだと、罪悪感で押しつぶされていた。

でもどこかで、
こう思っている人は、私一人ではないのではないか?
一人でこの罪悪感を抱え、孤独と淋しさに押しつぶされながら、
それでも必死に赤ちゃんのお世話を、ぎりぎりのところでやっているママは、私以外にもいるんじゃないか?

その感情が大きくなり、
私は思い切って「育児、つらいです」と発信し始めるようにしました。

「育児がつらい」

その一言を言ってしまうと、”ダメな母親”ということを自他ともに認めてしまう気がして、そして”虐待しそうな親レッテル”が張られてしまうんじゃないかという妙なプライドが邪魔をしたり、”心配される人”になるのでは…いろんな感情が渦巻いていたのですが、もうある意味本当にプライドを超えた限界だったんだと思います。


「そうだよね、大変だよね、がんばってるよね」

その言葉を言ってもらえたのは、保育園の先生でした。
私の言葉に共感してくれたママたちでした。

「わかるよわかるよ、本当に、私たち、頑張ってるよね」
「もう頑張れないくらい頑張ってるよね」
「どれだけこの子を大切に思ってるか、子どもには伝わってるから大丈夫だよ」
「私たちだって、私たちの人生があってもいいよね」

この言葉に、私はどれだけ救われたか。

そうだ、私たちは何かアドバイスが欲しいんじゃない。
ただただ、「そうだよね、そうだよね」と、頷いて、隣で、背中をさすって欲しいだけだったんだ。

思うように上手にできないことを責めてる自分に
「もっと楽して、肩の力を抜いていいんだよ」といわれるより、
「思うようにやりたいんだよね。できなくて苦しいんだよね」と、肩の力を抜けないでいる事実にも寄り添ってほしかったんだ。

自分の時間を欲しがってしまう自分に
「今だけよー」といわれるより、
「今だから、自分の時間が欲しいんだよね」と、寄り添ってほしかったんだ。


この会話は、
弱者同士の傷のなめ合いに見えるかもしれない。
解決策のない不毛な慰め合いに見えるかもしれない。

それでも、その言葉は、確かに、一番救われ、一番欲しかったものでした。

あの頃の支えがあったから、今のわたしがいて、
あの頃の支えがあったから、今の子どもたちがいて、今の家族がある。

今家族が笑顔で過ごせているのは、あの頃の支えがあったから。

心の底からそう思うからこそ、
今度は私がそのバトンをつなぐ番だ。

自分が何のためにこれからの命を使うのか、
仕事がない今、あらためて考える時間がことができたからこそ、
そう確信することができたわけで、考えると自分の人生のミッションって、やはり自分がしてきた経験から基づくと思うのです。

きっと誰もが、こういう経験があるんじゃないかなと思うのです。
自分の人生を振り返ったときにつらかったことから立ち直ったとき、つらかった時に支えられたとき、どん底から這い上がったとき、過ぎ去れば忘れてしまうことかもしれないけど、

確かにあの頃必死に生きていた。

その時間って後から思えば、宝物なんじゃないかって。

さあ、今日もまた一歩。
あの頃の赤ちゃんが小学生になった今も相変わらず自分の時間はないのですが、それでも今日を一歩歩みたいと思います。

子どもたちが、話が通じるだけ、あの頃よりは救われます。
まぁ、聞いているかは別として…笑


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