ニーチェと古神道
「ツァラトゥストラかく語りき」を読み始めた。
これがなかなか進まない。
まるで子供の頃から読み続けた聖書の様だ。
聖書にも難解な詩篇がある。
でも、古神道の教えにつながり
ハッと思うところがたびたびある。
影のできないくらいの真っ昼間を
「大いなる正午」と表現した。
大いなる正午は影をも包括している。
光と影の二元論の否定のことじゃ無いのか。
だとしたら、
わざわざ善悪二元論の生みの親のような
ゾロアスター教の教祖の名前で語るなんて、
イカれててイカしてる。
いや、これはわかってて、敢えて、なのではないか。
「空」とか「光一源の原理」を
感じ取ってはいたのは間違いない。
もともと光は光でしかなくて
影は黒い光でしかない。
「永劫回帰」についても、
古神道でいう「中今」の
今、今、今を生きるしかない
ということじゃ無いのか。
執行先生はYouTubeで
永劫回帰は単に自然循環を示すのではなくて
それを宇宙に遍満する神の霊、
魂の在り方だと云う。
神霊とは宇宙に永劫にあるものだ。
宇宙そのものが、これでできている。
全ての元になっている
氣の粒なのだと思うが
これは、肉体が死のうが生きようが
形を変えて在り続けるもので
仏教的に言えば、
縁起で出来上がる物質、
それは、生命の形を変えて
いったん宇宙に帰還しても
また何らかの命として繰り返し
次の縁起で生まれ出づるもの。
だから死ぬ事は生まれる事で
何のことはない、全ては天意(あい)
それが、魂の本質という理解
私の浅い理解ではそっとnoteに書くのみだが
宗教のもとのもとは日本の古神道
光一源の原理にあり
中今にしか命はないことにあり
ニーチェはそれがわかっていた。
あるいは、
執行先生がおっしゃる
宇宙からの重力によって
突き動かされて書いたのだと肯定すれば
それは、文明の永劫回帰
800年ずつ東洋文明と西洋文明が入れ替わるから
その前段階としての重力に押され
100年前から準備期間よろしく
二元論が果て、
物質文明が果てて
霊性文明に向かうための
文明の祖先帰りに先立って、
書かれたのではないか・・・
何回も読まないと
とてもとても理解に及ばないながら
今のところの勝手解釈を記しておきます。