死に狂いと生命の燃焼
『武士道といふは、死ぬ事と見附けたり』
(執行草舟 葉隠十戒 第一戒)
それを一言で表すと
生命の燃焼
人が感動するのは
この、生命の燃焼を感じた時だと思う。
4〜5年前に半年間 月に一度
執行草舟先生に直に
講義を受ける機会を得た。
これが楽しみで楽しみで東京へ通った。
最近は有り難くもYouTubeの執行草舟チャンネルで
毎日拝見できる。
そこで語られる宇宙論、生命論は
執行先生の体当たりの読書から
導き出されたもので
物質文明から霊性文明の過渡期の今
葉隠に生きるご自身の思想を
電脳社会に残すために
YouTubeを始められた。
エイブラハムやバシャールなどに代表される
地球人に憑依して語る宇宙存在は
引き寄せやワクワクの概念を
地球人に伝えてくれたが
崇高な魂の在り方は伝えられない。
苦しみや悲しみ、
喜びや平安といった、
心活動を行う肉体を持ちながらにして
それをいつ捨てても悔いなしと生きる。
今日を最期と生きる
そういう在り方を
エイブラハムやバシャールには
伝えられないのだ。
それは、命あるものが
肉体があるうちに
辿り着かねばならない境地なんだな。
だから、宇宙最高の精神性は
武士道精神だと思う。
昨日、「魂のことば」(フジコ・ヘミング著)から
『死に物狂いになったら何でもできる。
そのかわり一生懸命にならないと、
実現できないわよ。
情熱の一部なんかでは絶対にできない、
ということを肝に銘じるべきだわ』
を記事に挙げて
すぐに思い出したのが
『本気にては大業はならず、気違ひになりて死に狂ひするまでなり。』
(執行草舟 葉隠十戒 第七戒)
何かに対して
死に狂いの境地で打ち込むというのは
生命を燃焼して生きられるということ。
フジコヘミングさんの
演奏が胸を打つのは
そういう、
生命の燃焼を感じるからではないかと思う。
武士道の精神は
日本人なら必ずDNAに刻まれている。
きっと、半分日本人のフジコさんにも
魂の記憶にあったのだと思う。
ありがとう、フジコさん。
貴女の生命の燃焼である演奏を
YouTubeという電脳媒体で聴きながら
今日も書くこと、続けられました。
【参考:執行草舟葉隠十戒】
http://shigyo-sosyu.jp/zayumei/hagakure.html