いちばんがよかった。
一気に秋めいてきて、あちこちで運動会の時期だろうか。
長女の運動会が土曜日に控えていた。
1ヶ月ほど前に配布された運動会のプログラムには旗振りの演目「最高到達点」の5文字。
何となく目を通して、無くさないように冷蔵庫に貼りっぱなしだった。
ある日習い事の帰り道に車内で、長女が「さいこおとおたつてんに〜」と口ずさむ。
(おうおう、ちゃんと曲があるんだね?)
調べてみると、SEKAI NO OWARIが歌ってるらしいじゃないか。
「最高到達点」とやらをかけてみると目をパッと見開いて突然始まった。
「みーぎ、ひーだーり、まーわーる、うえっ!」
と手をあちこちに振って、時々黒目は斜め上を向いて一生懸命に思い出しているよう。
私は運転しながら、涙がじんわり出てきた。
この一生懸命な姿に涙が出るこの感覚は何だろう。
この練習する姿を毎日のように見て、当日をとにかく楽しみにしていた。
週末にかけて雨が続き、開催も危ぶまれていたが天気には恵まれたようだ。
朝から「早く走れるかな?」「うまく踊れるかな?」と不安げな娘に
「これで早く走れるよ!」とバナナとヨーグルト(エビデンスはない)を頬張り会場へ向かう。
開会式の前から、大泣きで地面に転がり体操着は砂だらけの子。
少し緊張混じりで大勢の前で開会宣言する子。
メラメラと闘争心を燃やす子、カメラ片手に白熱するお父さん陣。
それを見守るお母さん陣。
競技が始まり、会場の端から端まで携帯片手に追いかける。
ゴールテープから数メートルのあたりで、長女が走ってくるのを待つ。
「◯◯!がんばれ!!!」
この声は届いただろうか。
結果は4位。
きっと1番がよかっただろう。
わが子にももちろん、どこの誰かわからない子の頑張る姿に涙が出る。
この感覚は何だろう。(2回目)
そして毎日練習してきた旗振り演目。
膝をついてスタンバイする娘は、膝につく砂が気になってワンテンポ遅れている。
ちょっと目線をずらすと、入園から見ていた仲良しのお友達が意気揚々と踊っている。
去年は緊張して動けずにいたのに。
また涙が出てくる。(そろそろいい加減にしてほしい)
全てのプログラムが終わって、閉会式には保護者と一緒にということで
長女の隣へ向かう。
「ママー!」と満面の笑みは束の間で、
表彰で次から次へとトロフィーを受け取りにお友達が呼ばれていく。
「いちばんがよかった。」
「あれ(トロフィー)はもらえないの?」
「◯◯もメダル欲しい」
閉会式中は終始ぐずぐずだった。
「そうだね。いちばんがよかったね。」
「でも一生懸命やったんだからはなまるだよ。」
その日1日が終わり、ふとキレイゴトか?と考えた。
だって悔しいのは私も一緒だから。
できれば1番で喜ぶ姿が見たかった。
娘がこれを望まないなら、親のエゴとも言えるだろう。
でも今の彼女の気持ちは?
それを考えると「悔しかった」のそれ以上でもそれ以下でもないのだ。
「でも」とかなくて、
そこにある彼女の感情をそのままただただ受け止める。
まだまだ私も練習中だ。
夜布団に入るなり、いつも通り「今日の楽しかったことはね…」と娘は続ける。「運動会で走って楽しかったし、最高到達点踊って楽しかったしー
メダルも貰えて楽しかった。でもね、いちばんがよかった。
⬜︎⬜︎君と同じの早く走れる靴が欲しい。」
「そうだね、悔しかったね。いちばんがよかったよね。
いっぱい練習したもんね。
ママは知ってるよ、たくさんお家で練習してたこと。
だから、一生懸命な姿見れて嬉しかったよ。
また、来年頑張ろうね。
楽しいこともたくさんあったね。
かけっこが早くても遅くても、大好きな◯◯には変わりないんだよ。
大好きな◯◯が一生懸命、楽しんでくれたら嬉しいの。」
伝わっただろうか。
「おやすみ…
ママ?4番目(6人中)は早い?遅い?」
そりゃそうだ、負けず嫌いな娘だ。
遅いより早い方がいいに決まってる。