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2025年の自己紹介。


はじめましての人もそうじゃない人も。
こんにちは。
2025年、今日の私の自己紹介をしたいと思う。

というのもフリーランスという活動の仕方に興味を持った2022。
ぼんやりしていた自分の中にあるものが少しずつ見えてきて
・何がブロックになっているのか
・何が足踏みさせてるのか
・なんでやらないのか、やれないのか
・何を大事にして活動したいのか
わからないなりに、フリーランスという働き方をやってみて
今こうして改めてまた自己紹介したいのは
3年かけて見えてきたものを改めて世に放ちたいのだ。
もちろん満足いくまでの活動内容・収入・ぶれない軸があった訳ではないからこそ
それだけ、これだけ自分にも向き合う時間があったのだとも思う。


Ch!emi (おはら ちえみ)

秋田県出身 千葉県在住
4人家族の妻であり2児【5歳女の子、3歳男の子】の母。
現在は、産後ケア施設に勤務しながらフリーランス助産師として活動。

新卒で総合病院の産科病棟に勤務し、周産期・新生児のケアに携わる。
ワークライフバランスに疑問を持ち、大好きな職場を円満退職。
ワーホリでオーストラリアへ。
語学留学で学校に通うわけでもなく、ワーホリビザだけを取得し
拙い英語力だけで住む場所・働く場所を探し
働いて、遊んでの繰り返しの毎日を過ごしていた。

この時知り合ったのがパパです。笑

帰国してすぐに結婚・妊娠・出産・子育てを経て
自分の助産師としてのあり方について考え直すきっかけになった。

コロナ禍での自分の妊娠・出産・子育て経験

長女を出産したのは2019年の12月。
里帰り出産のため、帰宅する日程を調整しようと考えていた頃
コロナ禍での子育てがスタートした。
今となっては5類感染症に分類され、以前の生活に戻りつつあるが
当時は未知のウイルスに怯えながら子育てする毎日だった。
あらゆる場所が閉鎖され、発熱というだけで受診さえも前日予約。
子育て中の母親といえば、家の中で我が子と2人きりで過ごす毎日。
買い物さえもままならない。
「横のつながり」というものが薄れてしまった。
長女が1歳になり保育園もスタートするが入園式もなく
保育園での様子は先生からの連絡帳だけが頼りで、保育参観もなかった。

生まれて初めて私と離れて、保育園という子どもの社会で
どんな顔してるのか、どんなお友達とどんな遊びをするのか
知る機会は本当に少なかった。

まるで1人で子育てしているような感覚

助産師としてのある程度の知識があった私は
産後の自分の心の状態や、状況を客観的にみることができていた。
初めての子育てとは言え、「命の危険に関わるかどうか」の判断はできた。

不要不急の外出をと言われる中で、SNSが普及していった。
便利な反面で情報が溢れていたが、必要以上に振り回されることは少なかったようにも思う。

それでも初めての母親という肩書きは、
これまでに見ることのなかった感情に揺さぶられることも少なくなかった。

(きっと、知識も経験もないママたちはもっと不安だろうな)
(気軽に相談できる環境も共感してくれる場所もない孤独感)

コロナ禍という抗うことのできない世の中で気づいた
私の助産師としてありたい姿がぼんやりと浮かんできた。

助産師としての自分のあり方・軸を考える


出産して終わりではなく、始まり。
退院してから、次の健診まで数週間
1ヶ月健診を終えて産婦人科を卒業してから。

我が子がいくつになっても
何人目だとしても
悩みが尽きることはない。

「産婦人科卒業ですね」
そんなドクターからの言葉を隣で聞いていて、
フォローが必要な方の情報を保健師さんに共有していて
いつだってどこかもどかしさを感じてた。

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その後はどうしているんだろう。
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さらに時折、TVで目につく悲しいニュース。



「元気に生まれてよかったね」で終わってはいけない。

私が届けたい人

恥ずかしながら、寄り添っているつもりだった私は
自分自身の妊娠・出産・子育てを通して
ようやくわかるようになった気がする。

子育てをしていく中で自分を責めてしまう感情
漠然とした不安に襲われる瞬間
自然と無意識に自分を後回しにできる
その結果うまれる、余裕のない自分。

妊娠・出産は奇跡の連続。
一番よくわかっていても
立ち止まらなければ簡単にも忘れてしまう。

薄っぺらい表現になってしまうが、痛いほどわかる。
だからこそ
自分自身の子育てを自信を持って楽しめるママが増えたらいいなと思う。


第二子が生まれ、2人が幼稚園に入る頃
ご縁があり、産後ケア施設に勤め始めた。
フリーランス一本で活動している時に比べたら
産後のママたちに出会える数は格段と増えた。

「来てよかったです」
「また来ます」
「気持ちが楽になりました」

ママたちが喜ぶと私の心も喜んだ。


でも、ここに辿りつけないママたちがいる。
サービスを受けるために必要な書類や面接、手続きができずにいるママたち。
そんな存在が少なからず、一定数いることを知っている。

どちらも産後のママ。
産後ケアを受けたい人が受けたい時に受けられる形を作りたいのだ。
サービスの形や窓口は違えど、たくさんのママに繋がれる窓口を作りたい。



それが、私の訪問型助産院開業への道。
開業すること自体はきっと難しくはないだろう。
でも私は私として、いるべき場所に居続けること。
ノックできる扉を置いておくこと。


それをやっていきたいと思っている。



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